津軽鉄道(混合列車が走っていた頃) 1/4            津軽2へ     津軽3へ    津軽4へ

津軽鉄道地図 津軽鉄道は、津軽五所川原〜津軽中里20.7kmのローカル私鉄(左の地図の赤線)で、沿線人口が少なく、厳しい経営環境だと思われますが、現在も頑張って走っています。

私が、津軽鉄道を訪問したのは1972(昭和47)年3月と、翌年1973年3月の2回です。
その頃は、ディーゼル機関車が牽引する貨車+客車の混合列車1往復と、ディーゼルカーが社有貨車1両(小荷物運搬用)を引っ張る混合列車が1往復走っていました。

廣田尚敬さんの写真集「魅惑の鉄道」に掲載された、雪原の中を走る混合列車と、その手前を歩く津軽女性の写真に感動して訪問しました。

訪問当時は、元国鉄の旧型客車オハ31形に石炭ストーブを取り付け、現役で使っていることでも有名でした。
その後、客車は元国鉄のオハフ33形・オハ46形に置き換えられましたが、石炭ストーブを取り付け、今や「ストーブ列車」が津軽鉄道の観光の目玉になっています。

まず、初回に訪問した40年くらい前の津軽鉄道の風景をご覧ください。

←左地図は国土地理院1:200,000「青森」S45.2.28発行
津軽鉄道 1-@ 津軽五所川原 1972(昭和47)年3月19日

国鉄五能線の五所川原駅と跨線橋でつながっていた津軽鉄道のホームと機関区です。
津軽鉄道 1-A

 金木 1972(S47).3.19

1972(昭和47)年319日は、深浦を7:48に出発し、五能線に揺られて五所川原到着は9:26でした。
津軽鉄道には、このときが初めての訪問でした。

9:29発の津軽鉄道の列車に飛び乗ったのですが、その列車はなんと混合列車でした。
途中、太宰治のふるさとの金木で貨車の連結解放のため長い間停まりました。

反対側のホームに五所川原行きが到着しましたので、後ろから撮りました。
カレンダーで調べると、この日は日曜日でしたが、ラッシュアワー並みの混雑です。
後ろに連結している客車は、ナハフ1200形で、元は西武の電車でした。その客車の後ろ半分は荷物用になっていました。
津軽鉄道 1-B

 金木 1972(S47).3.19

上の写真Aの列車が出発したあとの金木駅です。

私が乗ってきた混合列車の後ろ姿です。上の写真と同じような客車を一番後ろにつないでいます。

冬季は、石炭ストーブ付きの旧型客車オハ31形をつないでいたようですが、私が乗ったのは残念ながらこの電車のような客車でした。

先頭の機関車は切り放されて、入換の仕事中です。
津軽鉄道 1-C

 金木 1972(S47).3.19

入換をしていた機関車が戻ってきました。
これから上の写真Bの編成に連結して、津軽中里に向け出発します。

津軽鉄道 1-D

 津軽中里 1972(S47).3.19

終点の津軽中里に到着した混合列車は、早速入換を開始しました。

入換中の風景です。
津軽鉄道 1-E

 津軽中里 1972(S47).3.19

津軽中里で折り返す混合列車を撮るため、少し歩いて待ち構えました。

真横から撮るには丁度良い長さの混合列車でした。(貨車がもう1両あった方が良かったですが・・・)
津軽鉄道 1-F

 津軽中里 1972(S47).3.19

混合列車の次の列車が津軽中里を出発していきます。
車掌と駅長が敬礼を交わすところが良いですね。
左の方には木造の機関庫がありました。
津軽鉄道 1-G

 津軽中里 1972(S47).3.19

間もなく津軽中里に到着する列車です。
腕木式の場内信号機がお出迎えします。
津軽鉄道 1-H

 津軽中里 1972(S47).3.19

津軽中里駅の全景です。

立派な終着駅でした。
少しひなびた感じがまた良いですね。
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