土佐電鉄 4/4   (軌道線 伊野線)

土佐電鉄4-@

伊野   1977(昭和52)年5月4日

伊野線の終点、伊野駅です。
待合所もあって、ムードある終点でした。
赤と黄色の傘が花を添えてくれます。

傘をさした女子高生が歩いているところが高知市内へ通ずる線路ですが、歩道代わりに使われていました。

伊野線は、鏡川橋から伊野まで単線でした。(地図・路線図参照)

土佐電鉄4-A  Nさん撮影

伊野    1973(S48).12.25

上の写真@の逆方向から撮っています。

ちょうど終点伊野に電車が到着しました。折り返して知寄町(車庫前)行きになります。
土佐電鉄4-B

伊野    1977(S52).5.4

伊野へ到着した電車です。

女子高生が大勢降りました。
土佐電鉄4-C

朝倉駅前  1977(S52).5.5

伊野行きの電車は道路の右側通行で向こう側へ走ります。
←おばさんがこの電車へ乗るために走っています。

↓間に合ったようです。
 

土佐電鉄4-D

朝倉   1977(S52).5.5

鏡川橋〜伊野は単線のため、所々に列車交換できる電停がありました。
その中で、ここが一番絵になる風景だと思って、朝倉で撮りました。
傘をさした女性にもご協力いただけました。(頼んだわけではないですが)


 
土佐電鉄4-E

朝倉   1977(S52).5.5

上の写真Dの反対方向から撮った交換風景です。

知寄町行き電車の運転士が窓から顔を出し、伊野行き電車の運転士に通票を渡すところです。(解説がないとわかりにくい写真です)

 
F 1977(S52).5.4   鴨部                                G 1977(S52).5.4 鴨部
高知市内から伊野に向かう電車は、鏡川橋電停から単線になります。鏡川の鉄橋を渡って最初の電停が、この鴨部です。
このあたりは道幅が狭く、単線の線路が片側に寄せて敷設されていますので、伊野・朝倉方面へ向かう電車は右側通行になります。従って、FGのように伊野行きの電車がくると車も右側通行になります。
伊野・朝倉行きは、よく目立つように菱形看板を付けていました。「いの」行きは赤地に白文字でした。
H 1977(S52).5.4 鴨部
 「朝倉」行きは青地に白文字でした。
 続行標も付けています(黄丸板に赤の縁取り)
I 1973(S48).12.25 鴨部付近  Nさん撮影

 上のFより少し昔の「いの」行きは白地に赤文字だったようです。

土佐電鉄4-J

鴨部   1977(S52).5.4

後ろにバスや車をいっぱい引き連れて知寄町行きの電車がやってきました。雨の夕暮れです。このカーブを曲がると鏡川橋の鉄橋です。
続行標を付けていますが、続行電車が何処にいるか分かりません。

上のFGの写真の反対方向から撮りました。
土佐電鉄4-K

鴨部   1977(S52).5.5

タイミングによっては、このように車の通行が少ないときもありました。
土佐電鉄4-L  Nさん撮影

鏡川橋〜鴨部 1973(S48).12.25

鏡川の鉄橋を渡って、はりまや橋・知寄町方面に向かう電車です。

土佐電鉄4-M

鏡川橋  1977(S52).5.4

この電停の向う側(はりまや橋方面)は複線、手前側(朝倉方面)は単線です。

半分以上の電車はここで折り返して高知の中心街に向かいます。
N 県庁前 1973(S48).12.26   Nさん撮影
 高知城をバックに走ります。
O はりまや橋 1977(S52).5.4
 はりまや橋の交差点です。電車の日の記念電車がいました。
 桟橋線の電車も見えます。
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