国土地理院1:200,000「高知」S44.9.30発行より
    青線が軌道線赤線が鉄道線

土佐電鉄 2/4   (軌道線 桟橋線)            土電3(後免線)へ  土電4(伊野線)へ

土佐電鉄 軌道線路線図

土佐電鉄の軌道線は、昭和47(1972)年度私鉄要覧(運輸省鉄道局監修)によれば
 伊野線 播磨屋橋〜伊野11.2km(播磨屋橋〜鏡川橋が複線4.2km 鏡川橋〜伊野が単線7.0km)
 後免線 播磨屋橋〜後免町駅前11.0km
 桟橋線 播磨屋橋〜高知駅前0.7km 播磨屋橋〜桟橋通5丁目2.4km
  合計 25.3kmでした。
 距離数は40年近く経った今もほとんど同じです(終点駅の移転などで微妙に変化していますが)
 上の地図には電停名が書いてありませんので、左の路線図も参考にしてください。(90°反時計回転していますが)
  ←「世界の鉄道'73」朝日新聞社1972(S47).10発行

軌道線は、高知一の繁華街「はりまや橋」で十字に平面交差しています(上図青線の交差部)

まずは、高知駅前から播磨屋橋を通って桟橋通5丁目まで南北に走っていた「桟橋線」の写真をご覧ください。
↑土佐電鉄2-@ 高知駅前 1973(S48).12.25            Nさん撮影
    昭和48年の高知駅前です。今は移転しました。

↓土佐電鉄2-A 播磨屋橋 1973(S48).12.25            Nさん撮影
    高知一の繁華街はりまや橋です。赤い欄干が見えます。

土佐電鉄2-B

桟橋通5丁目 1977(S52)年5月4日

桟橋線の終点です。

防波堤によじ登って、海を入れて撮りました。

私が最初に土佐電鉄を訪問したのは1977(昭和52)年5月でした。
Nさん訪問から約3年半後です。
ゴールデンウィークでしたが、2日連続で雨に降られてしまいました。
土佐電鉄2-C

桟橋通5丁目 1977(S52).5.4

終点へ到着です。 

終端側から見ました。上の写真Bの逆方向です。
土佐電鉄2-D

岸壁通 1990(H2).8.10

終点の一つ手前の電停です。

上の写真BCの13年後です。
2度目に土佐電鉄を訪問したのは1990(平成2)年8月でした。つい最近のことだと思っていたら、もう20年以上も前でした。

復元した2軸電車に飾り付けがしてあります。側面に書いてある文字は
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日本最古の路面電車に
ヨーロッパ電車第1号登場
西ドイツ シュツットガルト市電735号
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路面電車発祥の地は京都で1895(明治28)年開業、高知は路面電車としては10番目で1904(明治37)年開業しましたが、現存する最古の路線となったようです。
屋根上には日本とドイツの国旗が飾ってありました(他の電車も)。

この電停は2007(H19)年に「桟橋車庫前」に名称変更されました。
土佐電鉄2-E

桟橋車庫 1990(H2).8.10

路面電車の立派な車庫です。
電車がたくさん停まっていますが、屋根上にクーラーが載って無い電車のほうが多いですね。

最初の訪問のとき(1977年)、車庫は知寄町にありましたが、Wikipediaによれば、1987(昭和62)年12月にこの地へ移転してきました。
2-F 岸壁通 1990(H2).8.10
  もう1両の2軸車。よさこい祭りPR用の花電車?
2-G 桟橋通2丁目 1990(H2).8.10
  よさこい祭りが歩道を行列しています。
2-H はりまや橋 1990(H2).8.10
「ヨーロッパ電車第1号登場」のPR電車がはりまや橋交差点に入ります。
2-I 1990(H2).8.10
 左の電車は営業運転をしていました。車内風景です。

土佐電鉄2-J

桟橋通2丁目 1990(H2).8.10

この電車が、土佐電鉄のヨーロッパ電車第1号「西ドイツ シュツットガルト市電735号」です。

土佐電鉄2-K

桟橋通2丁目 1990(H2).8.10 

CABINの広告電車がやってきました。
塗装で印象ががらりと変わりますね。
土佐電の電車ではないみたいです。

高知駅前行きの電車に乗るため、おじいちゃんとお孫さんの二人連れが歩道橋をゆっくりと降りてきました。
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