津島軽便堂写真館

明治鉱業 平山坑凸型電機 3/3   平山坑の蒸機へ  平山坑の凸電1へ  凸電2へ

平山坑凸電(26) railbusさん撮影

 1972(S47).7.27

凸電の入換です。
向こうの方へ行くと左にカーブし、踏切があり、その先に平山坑のボタ山があったようですが、閉山の迫ったこの頃は、もう使われていなかったかもしれません。
(ここから向こうのほうはrailbusさんの写真がありません)

写真説明のため平山坑の路線図を再々掲します。

忘れ得ぬ鉄道情景No.1」に記載されていた地図をトレースし、撮影場所を記入しました。
40年以上前のことですから、間違いはご容赦ください。
の中の数字が、写真番号に該当します。
橙丸がこの頁で緑丸前頁、青丸前々頁です。
平山坑凸電(27) 1972(S47).7.27 railbusさん撮影

入換中の凸電です。正面の汚れ具合が前頁最後の写真(25)と同じですから601号です。
平山坑凸電(28) 1972(S47).7.27 railbusさん撮影

上の写真(26)とほぼ同じアングルです。
平山坑凸電(29) railbusさん撮影

 1972(S47).7.27

人力入換です。おばさんが炭車を引っ張っていました。
平山坑凸電(30) railbusさん撮影

 1972(S47).7.27

風通しの良い建屋の前に、六と四の炭車が止まっていました。
平山坑凸電(31) railbusさん撮影

 1972(S47).7.27

山沿いの線路に炭車がいます。
よく見ると、転車台の上に乗っており、向きを変えています。
転車台兼分岐器の使い方ですね。
平山坑凸電(32) railbusさん撮影

 1972(S47).7.27

おじさんが炭車を引っ張っています。
ちょっと坂になっているんでしょうか?力一杯引っ張っている感じです。
平山坑凸電(↑33)(←34) 1972(S47).7.27 railbusさん撮影

線路の間にケーブルが通っています。
真ん中の金具を炭車に引っ掛けて、炭車を移動する装置です。
平山坑凸電(35) railbusさん撮影

 1972(S47).7.27

「珍犬ハックル」と呼ばれた可愛らしいバッテリーロコ302号です。
平山坑凸電(36) railbusさん撮影

 1972(S47).7.27

302号を斜め後ろから見ました。
とってつけたようなキャブですが、これのおかげでバッテリーロコが可愛らしい姿になりました。
平山坑凸電(37) railbusさん撮影

 1972(S47).7.27

バッテリーロコに搭載しているバッテリーの銘板です。
上の写真(36)の真ん中あたりに写っている銘板をアップで撮りました。

容量(5時間率) 330Ah と書いてあるのが読めます。
平山坑凸電(38) railbusさん撮影

 1972(S47).7.27

「珍犬ハックル」の最後の写真です。
光の当たり具合からすれば、南の方を向いて撮った写真ですね。
平山坑凸電(39) railbusさん撮影

 1972(S47).7.27

平山坑の凸電の最後の写真です。

3ページに渡ってご紹介した「平山坑の凸電」で、この写真だけ2両が写っています。
平山坑には凸電が3両いたということですが、残りの1両はこのとき何処にいたんでしょうか!?
平山坑凸電(40) railbusさん撮影

 1972(S47).7.27

レールが写っているのは、この上の写真までですが、平山坑の情景を続けます。

ボタ山をバックに草野球をする少年たちです。
広っぱの向こうに架線柱が見えます!
ボタ山まで続いていた軌間546mmのナローラインですね!
平山坑凸電(41) railbusさん撮影

 1972(S47).7.27

平山坑の炭住街です。
みんなが使う共同水道がありました。
昔は学校にもこんな場所がありましたね!(今でもあるのかな?)

大きな駅には、ホームにも蛇口と鏡が並んだ洗面所があったことを思い出しました。夜行列車に乗ってきたお客さんが、煤で汚れた顔を洗うためのものだと聞いたことがあります。
平山坑凸電(42) 1972(S47).7.27 railbusさん撮影

ずらり並んだ炭住街です。
大勢の人が住んでいたんですね。
平山坑凸電(43) 1972(S47).7.27 railbusさん撮影

こちらが玄関側です。最後までご覧いただきありがとうございました。
   2013(H25).4.21up
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