津島軽便堂写真館

大阪セメント「いぶき」 3/4 (その後のいぶき号) 大阪セメント1  大阪セメント2  大阪セメント4

大阪セメント(28) 1999(H11).10.5

住友大阪セメント伊吹専用線の廃止後、約3ヶ月経過した1999(平成11)年10月5日、「いぶき501・502号」を、トレーラーで大井川鉄道へ向け搬出しました。

伊吹工場の奥のほうで、まず502号をクレーン車2台で吊り上げ、トレーラーに乗せました。
自重50tの電気機関車で、台車重量が1台車10t以上はありますので、吊り上げた車体の重量は25tくらいでしょうか。
50t吊クレーン車でも、吊り上げられる重量は、クレーン中心からの距離2乗に反比例し急激に減少するので、かなり苦労しながらトレーラーに積み込んでいました。

左端のカメラマンは、鉄道模型誌「とれいん」の前里さんです。このときの写真が「とれいん」301号(2000年1月号)の"MODELLERS FILE 日立製50t電機"で紹介されました。
大阪セメント(29) 1999(H11).10.5

車体をトレーラーに積み終わると、次は台車(モーター・車輪付)を吊り上げてトラックに積み込みます。


トラックの車幅は2.5mで、台車の最大幅も大体2.5mくらいですから、トラックのアオリ戸の内側には収まりません。
台車運搬は、写真のような、アオリ戸の低いタイプや、アオリ戸のないトラックで行われました。
大阪セメント(30) 1999(H11).10.5

トレーラーに乗った502号です。
車両輸送(道路交通法の制限超え)の場合、通常は22時~6時の夜間しか通行許可が出ないので、夜になるまで伊吹工場入口付近で待機です。
屋根上の機器(前照灯・パンタ等)は、高さ制限に引っかかるので外しました。

輸送前に屋根に登って高さ測定します。なお、輸送ルートについては必ず事前走行確認します(道路工事中の場所や待避場所の確認)。全て運送会社任せなのですが・・・

大阪セメント(31) 1999(H11).10.5

貨車輸送廃止から3ヶ月経過した、伊吹工場構内です。
線路も架線もまだ残っていました。

入口から奥の方を見た風景です。前頁の写真(26)と同じ場所です。

DB形ディーゼル機関車がポツンと1両いました。このDBはまだ自力走行可能でした。

いぶき501・502号が搬出されたあとも、このDBは残ったわけで、この先どうなったか知らなかったのですが・・・
当時の同僚Yさんの話では、伊吹工場のDB2両は2005(H17).1.27に搬出し、名古屋市中川区の中部鋼鈑へ譲渡したそうです。

なお、中部鋼鈑は鉄スクラップを原料に電気炉で鋼板を製造するメーカーで、工場内の輸送用にDB形機関車を何台か持っていました。その整備や無線操縦化の改造なども名鉄住商が行っていました。
大阪セメント(32) 1999(H11).10.5

502号の積み込みが終わったので、次は501号です。

車庫のピットで、吊り上げのための準備作業を終えた501号を、DBが引っ張って吊り上げ場所(この写真の撮影地点)へ移動中です。
上の写真(30)の奥のほうです。
大阪セメント(33) 1999(H11).10.5

DBに引っ張られて行った501号(上の写真32)が、構内の一番奥で折返し、今度はDBに推進されて、吊り上げ場所へまもなく到着します。
502号と同じ場所で吊り上げます。

伊吹山を背景にした最後の写真です。
大阪セメント(34) 1999(H11).10.5

501号を吊り上げてトレーラーに乗せるところです。
吊り上げている場所は、1番上の写真(28)と同じで、逆方向から見ました。

朝から始めた502・501号の積み込み作業は、予想外に時間がかかり、あたりは薄暗くなってきました。
このあと、台車を積み込み、後片付けが終わった頃には、このあたりは真っ暗でした。

この日の夜、501・502号は43年間活躍した伊吹工場に別れを告げ、大井川鉄道の新金谷(構外側線)に向けて旅立ちました。
大阪セメント(35) 2000(H12).3.18

大井川鉄道 新金谷

伊吹専用線での「さようならセメント列車」の運行から約9ヶ月。
「いぶき501号」が復活して、旅客列車の先頭に立つ日がやってきました。
ライオンのヘッドマークは粋な計らいですね!
この前年1999(平成11)年10月6日の朝に、「いぶき501・502号」は伊吹工場から新金谷に輸送されてきました。輸送後の復旧・調整を経て、その翌日の10月7日に構内試運転を行い、いつでも営業運転に投入できる状態になりました。
しかし、営業路線で使うためには、運輸省の認可が必要で、他の鉄道事業者で認可を受けた車両を導入する場合は比較的簡単に認可を受けることができるのですが、「いぶき号」は地方鉄道法による鉄道ではなく、運輸省の評価では一段低い専用鉄道の車両でしたので、大井川鉄道の担当者は認可をもらうために苦労したそうです。
そんなこともあり、デビューが少し遅れましたが、晴れてこの日を迎えることが出来ました。
大阪セメント(36) 2000(H12).3.18

大井川鉄道 新金谷

いぶき号運転開始記念列車出発に先立ち、テープカットです。

大井川鉄道の社長と、住友大阪セメント伊吹工場の業務課長がテープカットします。

この日、大井川鉄道は、伊吹工場でセメント列車に携わられた方々6人ほどを招待しました。復活した「いぶき号」の列車に乗り、寸又峡温泉に宿泊する旅行でした。(私もお相伴にあずかりました)
観光旅行のつもりで来た、伊吹工場の業務課長さんは、いきなりテープカットの大役を仰せつかり、戸惑いの表情です。

大井川鉄道は、既に貨物輸送を廃止していましたので、電気機関車はSL列車の後補機という地味な役割だけでしたが、この日だけは特別でした。
大阪セメント(37) 2000(H12).3.18

大井川鉄道 新金谷

テープカットのあとは、伊吹専用線で501号を運転していた人達による、くす玉割りでした。

↓501号の側面には、ライオンマークが貼り付けられました。それ以外は伊吹専用線にいたときのままで、ほとんど改造なしで使われました。

大阪セメント(38) 2000(H12).3.18

大井川鉄道 千頭

「いぶき号」が千頭へ到着したあと、千頭駅構内に機関車を3両並べて撮影会が開かれました。

右のE103号は、1949(昭和24)年に製造された機関車です。いぶき501・502号より7年先輩の、同じ日立製50t機関車です。いぶき導入により廃車予定でしたが・・・下欄理由により延命することになりました。
大阪セメント(39) 2000(H12).3.18

大井川鉄道 千頭

いぶき502号は、この2ヶ月後に三岐鉄道へ譲渡されました。大井川鉄道での活躍期間わずか2ヶ月でした。

中部新空港埋立用土砂輸送を三岐鉄道で行うことが2000(H12)年1月末に決定し、三岐の電気機関車が不足するので、この「いぶき501・502号」が借りられないかという話が急浮上しました。
この出発式の数日前に、三岐鉄道の社長と車両担当者が大井川鉄道を訪問し、501・502号の調査と譲渡・レンタルの話し合いが行われたようです。
そして3月下旬に話がまとまり、501号は大井川鉄道→三岐鉄道へ3年間レンタル、502号は三岐鉄道への譲渡が決定しました。
大井川→三岐の機関車輸送(2両)を5月中旬に行うことになり、三岐到着後すぐに重連総括制御化改造を行い7月中旬から始まる中部新空港埋立土砂輸送に間に合わせるという慌ただしい計画が決まりました。
大阪セメント(40) 2000(H12).3.18

大井川鉄道 千頭~崎平

「いぶき号運転開始」記念列車の折返しです。
千頭駅での撮影会終了後、住友大阪セメント伊吹工場の人達と一緒にこの鉄橋で「いぶき号」を見送りました。

この写真を撮ったあと、寸又峡温泉の大井川鉄道直営旅館(現在廃止)で懇親会を行い、大阪セメント専用線の思い出話を聞かせてもらいました。


いぶき501・502号は、これからわずか2ヶ月後に、中部国際空港(2005年開港)の埋立用土砂輸送の助っ人として、三岐鉄道へ送られました。

 →いぶき号・三岐編
   2013(H25).5.5up
 津島軽便堂Topページへ戻る      大阪セメント1へ   大阪セメント2  大阪セメント4  次の頁(いぶき号・三岐編)
 参考図書:「とれいんNo.301」2000年1月号 エリエイ出版部プレスアイゼンバーン発行