大阪セメント「いぶき」 1/4 大阪セメント2へ 大阪セメント3へ 大阪セメント4へ
伊吹山の麓、近江長岡からセメント工場まで3.7kmの専用線がありました。 1952(昭和27)年に大阪窯業セメントが工場を作り、専用線を引きました。当初は蒸気機関車が活躍していましたが、東海道線の電化に合わせて1956(昭和31)年に電化され、日立製の50t電気機関車「いぶき501・502」号が導入されました。 1963(昭和38)年7月、大阪セメントと社名変更、1994(平成6)年10月に合併により住友大阪セメントとなりました。1999(平成11)年6月に専用線は廃止されました。 (私は仕事でいろいろお世話になりましたので、思い出の多い路線と車両です。その写真をご覧ください。) |
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ライオンマーク (直径400mm) 大阪セメントのシンボルマークで、電気機関車や貨車の側面に貼り付けてありました。 1994(平成6)年10月に合併して住友大阪セメントとなってからは、貼られなくなりました。 |
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←国土地理院1/25,000「関ヶ原」S54.9.30発行より 大阪セメント専用線を赤くなぞりました。最初の東海道線は、長浜~大津が汽船連絡で、関ヶ原から長浜に向かう線路があり(専用線と交差する薄茶色の道路が廃線跡)、春照駅がこの地図左端付近にあったということです。その後、東海道線は米原経由となり、関ヶ原~長浜は廃止されました。 |
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↑大阪セメント① 伊吹工場入口 1996(H8).9.23 伊吹工場の入口に保存してあった蒸気機関車102号。専用線廃止後、故郷の三岐鉄道へ里帰りし、現在、西藤原駅に保存してあります。→こちら |
大阪セメント② 1982(S57).5.8 伊吹山をバックに、工場から近江長岡駅まで専用線のセメント列車を引っ張る「いぶき502」号です。 このときが初めての大阪セメント専用線訪問です。東海道線の貨物列車の写真↓を撮りに行き、チョット寄り道しました。 ↓EF66の鮮魚特急が走っていた時代でした! 東海道線・近江長岡~醒ヶ井1982.5.8 |
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大阪セメント③ 1982(S57).5.8 工場へ向かう貨物列車です。 この頃は、敦賀港→近江長岡→伊吹工場の石炭輸送専用列車が設定されていました。 写真の無蓋車「トキ」で石炭を運んでいました。 伊吹工場には「トキ」をひっくり返して積荷の石炭を下ろす、でっかい「チップラー」がありましたが、残念ながら写真は撮っていません。(私が見学したときはもう使われていませんでしたが) |
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大阪セメント④ 名鉄鳴海工場 1986(S61).7 パノラマカーや6000系などと一緒にいる「いぶき501」号です。 いぶき501・502号の定期検査は、その昔は国鉄の工場で行われていたようですが、1973(昭和48)年から、名鉄住商工業が行うようになり、時々鳴海工場でお目にかかることができました。 《名鉄住商工業は名鉄の車両部門の子会社で、1971(昭和46)年に設立され2005(平成17)に解散しました。その間、名鉄の車庫や車両工場で働いていた車両現場の人達は、全員(私を含む)が名鉄住商の人達でした。名鉄電車の整備だけでなく、中部地方の私鉄や第三セクターの車両整備と改造工事などの功績を残しました。平成17年に岐阜地区600V線区の全廃と同時に名鉄住商も解散となり、ほぼ全員が出向元の名鉄へ戻りました。》 |
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大阪セメント⑤ 名鉄鳴海工場 1986(S61).7 鳴海工場で定期検査を終えた「いぶき501」号です。 大阪セメント時代(住友セメントと合併前)は、側面にライオンマークを貼り付けていました。 専用線の機関車ですが、近江長岡で天下の東海道線を跨いで貨車入換をしていたので、国鉄から厳しい検査を義務付けられ、名鉄のデキ以上に手の込んだ整備をしていました。 501・502号の2両とも、1年半毎に定期検査のため鳴海工場へ運ばれて来ました。三河線が貨物輸送をしていた頃は刈谷経由で、その後は名古屋臨海・東名古屋港経由で甲種輸送されました。 |
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大阪セメント⑥ 名鉄鳴海工場 1986(S61).7 鳴海で構内試運転を行う501号です。 鳴海工場は、名鉄の1500Vの電車全ての定期検査を行っていましたが、鳴海駅付近の高架化工事のため、1997(平成9)年4月に舞木検査場へ移転しました。 移転した直後に「いぶき」の定期検査周期にあたりましたので、名鉄のデキより一足先に舞木で定期検査をしてもらいました。その約2年後、住友大阪セメント伊吹専用線が廃止になるまで、501・502号は舞木で定期検査をしました。 |
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大阪セメント⑦ 1996(H8).9.23 住友大阪セメント伊吹工場の車庫の中で休む501号502号です。 車庫内で留置するときはパンタグラフ上げ放しが基本でした。 この機関車のパンタはバネ上昇式で、空気圧シリンダでカギを外してパンタを上げますが、長時間留置して空気圧がなくなるとパンタを上げられなくなります。そのためにカギ外し用の引き紐が普通は付いていて、それを引っ張ればカギが外れパンタが上がるようになってるのですが、この機関車には引き紐がありません。(蛇足ですが、最近の電車のカギ外しは電磁式になったため引き紐が必要なくなりました) 空気圧がないときは、機関車の天井配管に自転車の空気入れのようなものをつなぎ空気を入れてカギを外しパンタを上げる構造になっていて、そのため、車庫内で長時間留置するときは、パンタを上げ放しにして元電源を切っていました。 |
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大阪セメント⑧ 1997(H9).6.3 伊吹工場内で入換をする501号です。 車庫の入口付近から、工場内を見た風景です。 名鉄舞木検査場で定期検査を終え、伊吹工場に戻ってきた501号です。 これ以前の「いぶき」の定検は鳴海工場で行っていましたので、舞木で最初の定検です。 このときの記録では、H9.4.23近江長岡発、4.25(深夜)大江→舞木、4.26~5.29舞木で重要部検査、5.29(深夜)舞木→大江、H9.6.1近江長岡着 構内での試運転を終え、貨車を連結して、定検後の最初の貨物列車牽引を行います。 |
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大阪セメント⑨ 1997(H9).6.3 501号の貨物列車がまもなく出発します。 502号が見送ります。 伊吹工場のあった伊吹町や、近江長岡付近の山東町(現在は合併し共に米原市)は蛍の名所で、ちょうどこの頃(6月上旬)は、山東町ホタル祭が開催され夜になるとホタルの乱舞が見られました。 |
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大阪セメント⑩ 1998(H10).5.26 伊吹工場で入換に活躍する501号です。 上の写真⑧⑨から、ほぼ1年後です。 |
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大阪セメント⑪ 1998(H10).5.26 今度は、502号が名鉄舞木検査場での定検を終え、伊吹工場に戻ってきました。 このときの記録では、H10.4.9(深夜)大江→舞木、4.10~5.21舞木で全般検査、5.21(深夜)舞木→大江 貨車に連結して、定検後の最初の貨物列車牽引を行います。 |
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大阪セメント⑫ 1999(H11).2.10 伊吹工場内で入換をする501号です。 工場の上に少し伊吹山が見えます。 記録を調べたら、この日(1999.2.10)は502号が故障して、その修理をした日です(私は立ち会っただけですが)。 写真⑧~⑫を見ると、定検後の受取検査などの立会に行ったついでに撮ったような写真ばかりですね!?。 当時の報告書には、この頃(2月上旬)に6月末で貨車輸送を廃止することが決定したと書いてありました。 この当時、伊吹工場からのセメント貨車輸送はかなり減っていて、毎日(平日のみ)京都へ22両、福井へ3両を発送していました。 次の頁は 「さようなら セメント列車」です。 |
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2013(H25).4.27up | |
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参考図書:「とれいんNo.301」2000年1月号 エリエイ出版部プレスアイゼンバーン発行