津島軽便堂写真館

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大阪セメント⑬ 1999(H11).6.21

1952(昭和27)年から始まり、47年間続いた専用線のセメント輸送もいよいよ終盤です。
運行最終日の4日前、久しぶりに走行写真を撮りに行きました。
伊吹山バックのお立ち台で待ちました。
大阪セメント⑭ 1999(H11).6.21

近江長岡からの帰りの列車です。
近江長岡を出発してきた501号の単機です。
大阪セメント⑮ 1999(H11).6.21

伊吹工場に到着し、待機する501号です。
大阪セメント⑯ 1999(H11).6.21

伊吹山と伊吹工場をバックに、工場を出発した貨物列車です。
大阪セメント⑰ 1999(H11).6.21

近江長岡で構内入換です。
左後方が近江長岡駅です。
大阪セメント⑱ 1999(H11).6.21

近江長岡の広い構内も、専用線の廃止が迫り、閑散としていました。


この機関車の行く末ですが、貨車輸送の廃止が決まった頃に伊吹工場の担当責任者から、何処か売り先がないかという相談を受けました。当時名鉄住商が整備した大井川鉄道の電気機関車より、この「いぶき号」の方が遥かに状態の良い機関車でしたので、大井川鉄道へ話を持っていきました。大井川鉄道の専務が乗り気になり、それでは一度見に行くと言われ、この日の午後に車両区長と一緒に伊吹工場へ見に来られました。(私もその場に立ち会わせてもらいました)
その後、諸手続を経て「いぶき501・502」号が大井川鉄道へ譲渡されることが決まりました。
大阪セメント⑲ 1999(H11).6.25

大阪セメント専用線の最終日です。

お昼過ぎだったと思いますが、伊吹工場を出発する最終列車の出発前に、お別れ会が開かれました。
あいにくの小雨のため、車庫の中に関係者が集まり、工場長から挨拶を受けました。
大阪セメント⑳ 1999(H11).6.25

伊吹工場発最終列車・出発前の記念写真です。

501号には「さようならセメント列車」のヘッドマークが飾られていました。

 さようなら 1952-1999
   セメント列車
大阪セメント(21) 1999(H11).6.25

伊吹工場発最終列車・出発前の記念写真その2です。

一番右端の方は工場長さんですが、その他の6人が、セメント列車に専属で携われた方々です。
中央左の方がその責任者の係長さんです。
この方々は、その後伊吹工場内で他の仕事をすることになりました・・・
大阪セメント(22) 1999(H11).6.25

伊吹工場発最終列車の出発です。

運転士に花束贈呈のあと、伊吹工場関係者の拍手に送られて、最後のセメント輸送列車が出発しました。
大阪セメント(23) 1999(H11).6.25

近江長岡に到着した501号は、小雨降る中、近江長岡駅構内で最後の入換です。
大阪セメント(24) 1999(H11).6.25

伊吹山麓の大阪セメント専用線を走る最後の列車です。
セメント輸送で活躍した空のタンク車を6両引っ張って伊吹工場へ戻りました。

このタンク車は、伊吹工場内で解体するために運ばれたものと思われます。
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最後の列車ですから、近づいたところでもう1枚。
大阪セメント(26) 1999(H11).6.25

いよいよ最後です。

伊吹工場に到着した501号が最後の入換です。
このあと車庫に入りました。
大阪セメント(27) 1999(H11).6.25

「いぶき501・502」号は、この専用線の電化に合わせて1956(昭和31)年に日立製作所で製造されました。
そして、この日で、43年間の伊吹山麓での活躍に終止符を打ちました。
お疲れ様でした「いぶき号」!


「いぶき号」のその後については
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なお、貨車輸送を終えた住友大阪セメント伊吹工場は、その4年後の2003(平成15)年にセメント製造を停止し、伊吹工場もなくなってしまいました。
専用線の廃線跡は2007(平成19)年に集落道路として整備され、「伊吹せんろみち」という愛称が付けられました。
 →滋賀県のHP
廃線跡巡りは→歩鉄の達人
  2013(H25).4.27up
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参考図書:「とれいんNo.301」2000年1月号 エリエイ出版部プレスアイゼンバーン発行