津島軽便堂写真館

西鉄 北九州線 4/4 八幡~折尾+筑豊電鉄   北九州線1 北九州線2 北九州線3

西鉄北九州線(55) Nさん撮影

八幡駅前 1977(S52).7.31

八幡駅前から延びている広いフェニックス並木道を、西鉄北九州線が横切りました。
電車の向こうが、国鉄八幡駅です。

この写真の手前側にドンドン進んで行くと、帆柱ケーブルの乗り場があり、ケーブルに乗れば、北九州市を一望できる皿倉山の山上展望台へ登れます。
西鉄北九州線(56) Nさん撮影

皿倉山・山上より 1977(S52).7.31

帆柱ケーブル山上駅の展望台から見た北九州市です。海の手前が八幡、洞海湾を挟んで右奥が戸畑、左奥が若松です。若戸大橋も写っていますが霞んでいてよく分かりません。

中央付近で横幅いっぱいに広がっている(「ム」の字形)のが八幡製鉄所で、左端の中央やや下が国鉄の八幡駅です。
その下にある広い並木道が、上の写真(55)を撮った場所です。
西鉄北九州線(57) Nさん撮影

 紅梅 1974(S49).3.31

折尾から門司に向かう電車の中から撮りました。
電停に「紅梅」と書いてありますので、場所が分かりました。
黒崎駅前と八幡駅前の間です。
西鉄北九州線(58)

黒崎駅前 1983(S58).7.26

北九州市の西の繁華街=黒崎駅の付近です。
写真中央上部の山が皿倉山です。

黒崎ロキシーでは「007 オクトバシー」が上映中です。

「007」は私が中学の頃からあった映画で、Wikipediaで調べたら、1962(S37)年に第1作が上映され、50周年の2012(H24)年に第23作「007 スカイフォール」が上映されたということです。「オクトバシー」は第13作でした。
西鉄北九州線(59)

黒崎駅前 1983(S58).7.26

陽が傾き、西日を浴びて続々とやってくる北九州線の電車です。
運転士さんも眩しそー!
西鉄北九州線(60)

黒崎車庫前 1983(S58).7.26

1034号の連接車は、行先幕に「楠橋」と書いてありますので、筑豊電鉄に乗り入れます。
左のクリーム色も、筑豊電鉄から乗り入れてきた電車で、黒崎駅前に間もなく到着します。

黒崎駅前~折尾は、西鉄北九州線で最後まで残った路線で、2000(平成12)年11月に廃止となりましたが、黒崎駅前から筑豊電鉄が分岐する熊西までは筑豊電鉄の路線(施設の所有は西鉄で、運営を筑豊電鉄が行う第二種鉄道事業者)として残っています。
西鉄北九州線(61)

黒崎駅前 1983(S58).7.26

上の写真(60)を撮ったあと、筑豊電鉄を乗りに行き、戻ってきてまた黒崎駅前で撮りました。
日没直前の黒崎駅前です。
ここから向こうは専用軌道で、写真すぐ先に黒崎駅前の乗車ホームがありました。(下の写真62)
次の次の熊西で折尾方面と、筑豊電鉄の筑豊直方方面が分岐します。
西鉄北九州線(62) Nさん撮影

黒崎駅前 1996(H8).9.13

黒崎駅前から東の路線(写真手前側)は、1992(平成4)年10月に廃止になりました。

上の写真(61)の13年後で、位置は(61)のすぐ先です。
電車にはクーラーがついて、塗色も変更されていました。
西鉄北九州線(63) Nさん撮影

 熊西 1974(S49).3.31

西鉄北九州線と筑豊電鉄線の分岐駅・熊西です。
この少し先で分岐しています。

分岐点の方から走ってきた砂津行きの電車1064号は、西鉄1000形のラストナンバーでした。
西鉄北九州線(64) Nさん撮影

 折尾 1974(S49).3.31

西鉄北九州線の終点・折尾駅です。
路面電車でありながら、木造の高架駅でした。
写真のように、ホーム手前に鉄橋があります。この鉄橋の下を国鉄線が通っているため、それを跨ぐ必要があったからです。
この鉄橋の下は、筑豊本線と鹿児島本線をつなぐ短絡線が通っていました。

折尾駅の周辺は線路が入り組んでいて位置関係がわかりにくいので、左下に折尾付近の航空写真(国土交通省)を掲載しました。
折尾駅付近の航空写真

「国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省」より
昭和49年度撮影に加筆



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西鉄北九州線(65) Nさん撮影

 折尾 1974(S49).3.31

なかなか雰囲気のある折尾駅でした。
幸町経由で門司行きの613号が停車中です。
↓国鉄折尾駅舎 1996(H8).9.13 Nさん撮影

道路を挟んで向こう側にある、国鉄の折尾駅は日本初の立体交差駅で、歴史を感じる素晴らしい駅舎がありました。この素晴らしい駅舎は2012(平成24)年に解体されたということです。
ここから下は、筑豊電鉄です。西鉄北九州線と一体で運営されていた頃の写真です。
右下地図の赤線が筑豊電鉄です。(国土地理院1/20万「福岡」S47.9.30発行より)
熊西~筑豊直方15.4km、軌間1435mmで法規上は鉄道線ですが、乗り入れをしていた関係で、路面電車が走っていました。
←筑豊電鉄①

 筑豊直方 1975(S50).8.3

終点、筑豊直方の情景です。

筑豊電鉄②

 筑豊直方 1975(S50).8.3

西鉄北九州線から乗り入れた1000形連接車が、折返しの出発待ちです。
この当時、筑豊電鉄は自社の車両を持っておらず、西鉄からの借用車と北九州線からの乗り入れ車で運用していました。

筑豊直方駅も、路面電車には珍しい高架駅でした。
遠賀川の堤防を過ぎてすぐのところに駅がありますので、鉄橋を渡ってそのままの高さで駅ができたようです。
筑豊電鉄③

 筑豊直方 1975(S50).8.3

カラーでも撮りました。
この色は、私が大好きな色です。

このときが、私の最初の筑豊電鉄訪問でした(2回しか行ってませんが)。乗りつぶしが目的で、写真は終点の筑豊直方駅で撮っただけです。
この写真を撮ったあと、国鉄の直方駅まで歩きました(1km弱)。
途中のラーメン屋で、生まれて初めての「とんこつラーメン」を食べました。
筑豊電鉄④ Nさん撮影

 筑豊直方 1974(S49).3.31

線路の終端・西方向を見ています。

ここから先、福岡まで線路を延長する計画もあったのですが、実現には至りませんでした。
筑豊電鉄⑤ Nさん撮影

永犬丸付近 1974(S49).3.31

Nさんは、上の写真④を撮ったあと電車に乗り、永犬丸で途中下車しました。
西鉄北九州線直通の砂津行きが来ました。
筑豊電鉄⑥

 三ヶ森 1983(S58).7.26

筑豊電鉄の3連接車2000形です。
筑豊電鉄初の自社車両ですが、西鉄からの譲渡車です。
Wikipedia 筑豊電鉄2000形


私の2度目の筑豊電鉄訪問でした。
最初の訪問から8年後です。
筑豊電鉄の写真を撮ろうと思い、何処かの駅で下車しました。どこの駅か全く記憶が無かったのですが、写真をよく見たら、三ヶ森駅と書いてありました。
筑豊電鉄⑦

永犬丸~三ヶ森 1983(S58).7.26

三ヶ森から少し歩いて、1000形連接車を撮りました。
行先幕を見ると、幸町経由の砂津行きです。

これ以降、筑豊電鉄を訪問していませんので、今のところ筑豊電鉄線内で私が撮った最後の写真です。
筑豊電鉄⑧ Nさん撮影

筑豊直方~感田 2000(H12).12.9

筑豊電鉄最後の写真は、沿線随一の撮影地、遠賀川の鉄橋です。
上の写真⑥⑦の17年後、Nさんが訪問しました。
3連接車2000形が走り抜けます。
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参考図書: 「世界の鉄道'73」 朝日新聞社 1972(昭和47)年10月発行
        「日本鉄道旅行地図帳12号・九州沖縄」 新潮社 2009(平成21)年4月発行