津島軽便堂写真館

名古屋市電   下之一色線2/2

名古屋市電-下之一色線をリニューアルしました(2020.7.20) → こちらをご覧ください

名古屋市電 下之一色線M 

法花(ほっけ) 1969(S44).2
              Nさん撮影

下之一色の一つ北の駅が法花(ホッケ)でした。(路線図参照)
単線の停留所は両側にホームがありました。
市電は法花を出て、写真左向こうの中郷に向かいます。
電柱の建て方に特徴がありますね。

法花付近の現在の町名は「法華」と書くようです。
←名古屋市電 下之一色線N  荒子 1969(S44).2   Nさん撮影 

荒子観音の最寄り駅です。
観音様の命日には賑やかでしたが、この日はひっそりとしていました。

市電の右上に写っている建物に注目してください。
下の写真と同じですね。
↓名古屋市電 下之一色線O  荒子電停の痕跡 2011(H23).4.3

 Nさんと一緒に下之一色線の廃線跡を訪ねました。
 手前から奥に通ずる道が廃線跡です。
 交差点の向こう側が、荒子電停のあった場所です。
 ここが下之一色線の面影を一番残している場所でした。
名古屋市電 下之一色線P

荒子信号所 1969(S44).2
              Nさん撮影 

田んぼの中の荒子信号所で市電が交換します。

荒子駅には、左上の写真Nのように交換設備がなかったため、荒子駅の少し北東(尾頭橋方面)に列車交換用の荒子信号所がありました。
名古屋市電 下之一色線Q

小本〜荒子信号所 1969(S44).2
              Nさん撮影 

荒子信号所から少し尾頭橋方面に、国鉄西臨港線との平面交差がありました。

西臨港線は、下之一色線の廃線後何十年か経って「あおなみ線」となり、立派な高架複線電化路線になりました。
↑名古屋市電 下之一色線R 小本〜荒子信号所 1969(S44).2
                                  Nさん撮影 
 上の写真Qの平面交差部を別のアングルから撮りました。
 右に信号所のようなボロボロの建物がありました。
←名古屋市電 下之一色線S 長良本町〜松葉 1969(S44).2
                                   Nさん撮影

尾頭橋を出発した下之一色線の電車は、単線で道路の真ん中を走り、長良本町を出たところでカーブを曲がり専用軌道に入ります。
専用軌道に入ったところです。

1400形は名古屋市電を代表する電車で、名古屋市内のいたるところで見かけましたが、下之一色線用に左窓上に標識灯を付けた電車は極少数派でした。
名古屋市電 下之一色線(21)

長良本町 1969(S44).2 Nさん撮影

電車が路地を抜けて佐屋街道に入ってきました。
単線を走る路面電車はムードあふれる情景です。

稲永町から下之一色を通って、ここまで専用軌道を走ってきた電車は、ここから道路上の併用軌道を走ります。
左上の写真Sのすぐ近くの逆方向です。
この道路の少し向こう(約400m)に近鉄の烏森駅があり、名古屋駅へ出る場合はここで降りて徒歩で烏森へ行くのが最短ルートでした。
名古屋市電 下之一色線(22)

長良橋  1969(S44).2 Nさん撮影

長良橋を渡った市電です。

長良橋は、笹島と名古屋港を結ぶ中川運河に架かっていた橋です。
名古屋市電 下之一色線(23)

八熊西通〜五女子  1969(S44).2
               Nさん撮影

新幹線(手前)と臨港線のガード下を走ります。

五女子は「ごにょうし」と読みます。
名古屋市電 下之一色線(24)

尾頭橋  1969(S44).2  Nさん撮影

下之一色線の起点「尾頭橋」です。
下之一色方面(手前側)へ向かう人が乗り込みます。

「70」系統「尾頭橋−築地口」は、この電停で折り返しました。
名古屋市電 下之一色線(25)

尾頭橋  1969(S44).2  Nさん撮影

尾頭橋交差点です。
電車が走っているのは江川線で、手前に分かれている単線が下之一色線の尾頭橋電停につながっています。

走っている市電は赤帯がないので車掌が乗っています。
写真をよく見ると「80」系統「上飯田」行きです。
「80」は、八熊通−尾頭橋−水主町−上前津−鶴舞公園−新栄町−平田町−赤塚−上飯田を走っていました。(路線図参照)

railbusさんのHP↓
市電のある風景・名古屋には、下之一色線の素晴らしい写真がたくさんあります。ぜひご覧ください。
 2011(H23).4.7up
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