津島軽便堂写真館

名鉄 八百津線 2/2    廃止が迫った頃の八百津線   八百津線1   三河線(山) 

八百津線⑪ キハ30形

 新可児 2000(H12).11.26

八百津線を久しぶりに訪問しました。
前頁の写真の16年後で、八百津線廃止の1年前でした。

レールバスのキハ10形が小型ディーゼルカーのキハ30形に変わっていました。

新可児駅のディーゼルカー検査用の車庫で休むキハ30形です。手前には給油所がありました。
八百津線⑫ Nさん撮影

 明智 2000(H12).11.26

明智に到着するキハ30形です。
明智~八百津はスタフ閉塞でした。

この写真の28年前の風景は、下の⑬です。
八百津線⑬ Nさん撮影

 伏見口 1972(S47).5.7

伏見口(現:明智)の賑わいです。
①番線の八百津行きに5500系が、②番線の御嵩行きはHL車、そして③番線の新広見・名古屋方面にはパノラマ特急がいます。

このときは、まさか八百津線が廃止になり、広見線の新広見~御嵩間が廃止の危機になろうとは夢にも思いませんでした。

注:1982(昭和57)年に駅名変更実施
  新広見→新可児
  伏見口→明智
   と駅名が変わりました。
八百津線⑭ Nさん撮影

明智~兼山口 2001(H13).9.24

可児川の鉄橋を渡るキハ30形です。

八百津線廃止1週間前のこの日、Nさんと二人で八百津線を訪ねました。

明智で下車して、この列車を撮ったあと、キハ30形に乗って八百津に向かいました。
八百津線⑮ Nさん撮影

明智~兼山口 2000(H12).11.26

兼山口駅の少し南を俯瞰しました。
廃止1年間の秋の八百津線です。
八百津線⑯ Nさん撮影

 兼山口 2000(H12).11.26

紅葉をバックに、兼山口に到着する明智行き列車です。
八百津線⑰

 兼山口 2000(H12).11.26

上の写真⑯と同じ列車だと思います。
アップで撮りました。
八百津線⑱

兼山口~兼山 2000(H12).11.26

石段の上の紅葉の木の向こう側を走るキハ30形です。
この石段を最近確認したら↓、可成寺の中から森家一族の墓所までの通路でした。
石段を登り、廃線跡を横切り、更に上ると、森可成、森蘭丸・坊丸・力丸兄弟のお墓がありました。
↓左の写真の14年後です。(2014.9)
八百津線⑲

兼山口~兼山 2000(H12).11.26

紅葉の中を八百津に向かうキハ30形です。
八百津線の駅の歴史を調べると、兼山口駅~兼山駅(1.3km)のほぼ中間に、城門(きど)駅がありました。
たぶん、この辺りです。

兼山口~兼山までの廃線跡を辿ると、写真左側の山と、右を流れる木曽川の間の狭く細長いところに兼山の町並みが街道沿いに連なっています。昔は、木曽川の湊町で金山城(かねやまじょう)の城下町として栄えた街であったことが偲ばれます。(兼山歴史民俗資料館を見学すると、金山(かねやま)→兼山に名前が変わった歴史などがよく分かります)
↑八百津線⑳ 兼山口~兼山 2000(H12).11.26

上の写真⑲のすぐ近くで、逆(兼山)方向を見ました
←八百津線(21) 兼山口~兼山 2000(H12).11.26 Nさん撮影

明智に向かう列車が八百津線唯一のトンネルを出てきました。
ちょうどトンネル出口だけ日が当たっていました。

このトンネルの山の頂上付近(写真右奥)に、美濃金山(かねやま)城跡があります。

大城郭だった金山城は江戸時代に破城となり、その諸施設のほとんどが約17km下流の犬山へ移築され、犬山城は近代城郭として拡充整備されました。これを「金山越」(かねやまごえ)と呼ぶそうです。(尾張の中心地が江戸時代に清洲城から名古屋城へ移転した「清洲越し」は街全体が引っ越しましたが、それに比べると小規模です)
八百津線(22)

 兼山 2000(H12).11.26

兼山駅に到着する列車です。
残された電柱を見ると、広い構内であったことが分かります。
ここは八百津線中間の拠点駅で、兼山ダム(1943/昭和18年完成)建設のため、日本発送電の専用線0.6kmがこの駅から出ていました↓。
↓1943(S18)年の兼山駅配線略図
  (名鉄資料館所蔵)

左の写真は、下図の左から右を見る。 (ただし、57年後)

八百津線(23)

 兼山 2000(H12).11.26

兼山を出発する明智行きです。
黄葉した背の高いイチョウの木が印象的でした。


最近、兼山駅跡を訪ねたら、駅跡は「みんなの駅ひろば」公園になっていてこの当時から残ったものは、左隅に写っているナマコ壁のトイレだけでした。
イチョウの木もありませんでした。
八百津線(24) Nさん撮影

 八百津 2001(H13).9.24

廃止1週間前の八百津駅です。
カレンダーで調べると、当日は月曜日でしたが、秋分の日の振替休日で、八百津駅は名残を惜しむ人達で賑わっていました。
線路横の空き地には秋桜が咲いていました。
丸山ダム建設時は、この空き地に線路が敷かれ、貨車で賑わったところです。
八百津線(25)

 八百津 2001(H13).9.24

キハ30形が八百津駅を出発しました。
左の方に八百津駅駅舎が写っていますが、裏側から見た写真しかありません。
駅前広場側から見た八百津駅舎の写真を探したのですが、私もNさんも撮っていませんでした(反省!)
1930(昭和5)年の開業時に建てられた洒落た駅舎でした。

Wikipediaで八百津駅を検索したら、駅舎写真がありました。
またYouTubeの駅物語「八百津」 でもご覧いただけます。
八百津線(26) Nさん撮影

 八百津 1972(S47).5.7

上の写真(24・25)の29年前の八百津駅です。
HL車3780系の特急が停車しています。
伏見口~八百津間7.3kmだけ走る特急電車でした。伏見口で名古屋方面行きの特急に接続していました。
八百津線(27) Nさん撮影

 八百津 1972(S47).5.7

昭和47年の八百津駅の時刻表です。
赤字が特急で、黒字は各停です。
この当時の名鉄は、偏った特急政策をしていて、支線にも特急をバンバン走らせていました。各駅停車を削減して特急を増発したので、特急停車駅は便利でしたが、特急通過駅にとっては非常に不便な時代でした。
八百津線(28) 2014(H26).9.23

旧八百津発電所資料館

旧八百津発電所です。現在、国の重要文化財に指定され、近代化産業遺産にも認定されています。
現在は資料館になっており、中の発電機などが見学できます。
遠くに見える赤いアーチ橋が、旧丸山水力専用鉄道の蘇水橋で、現在は道路橋になっていて通行できます。
この発電所は、1911(明治44)年に竣工した木曽川水系初の本格的な発電所で、1974(昭和49)年まで発電をしました。ダム式ではなく、9.7km上流から取水し水路で運び貯水槽を経て発電する水路式発電所でした。
なお、木曽川にできた最初のダムは大井ダムで、1924(大正13)年に完成しました。ダムができるまでは、木曽材を上流から流し、この対岸にあった錦織綱場で集積し筏に組み、ここから下流は筏師が筏に乗って運びました。ここは木曽材輸送の一大拠点だったわけです。その資料もこの資料館に展示してあります。
ここから下の4枚の写真は、旧八百津発電所資料館に展示してあった写真です。 2014(H26).9.23見学
この資料館では、実物の水力発電機が間近で見学でき、錦織綱場で筏を組んでいた頃の写真や、丸山ダム・発電所を建設している頃の写真などが展示してあり、見どころ満載でした。(近くにある人道の丘公園「杉浦千畝記念館」と共通入場券もあります。)
旧八百津発電所資料館展示① 八百津駅 1952~54(S27~29)頃

丸山ダム建設用の資材輸送全盛期の写真と思われます。
左隅に写っている電車の車号を読むため拡大して見ましたが、ハッキリしません。無理矢理読めば「302」と読めなくもありません。窓配置なども302号と一致します。
東美鉄道が新造した電車は2両だけで、八百津まで開通した昭和5年に導入した東美鉄道デボ100形(101・102)→名鉄モニ300形→荷物室撤去・モ300形(301・302)です。
旧八百津発電所資料館展示② デキ251号 1952~54(S27~29)頃

1952(昭和27)年に日立で製造された凸型電気機関車(600V)デキ250形です。丸山ダム建設のため資材輸送用に2両製造され、丸山水力専用鉄道の八百津~錦織で活躍しました。貨物列車を牽引し、名鉄線の新広見~八百津へ直通運転されたと思われます。ダム完成後の1955(S30)年に関西電力から名鉄へ譲渡されました。251号は1966(S44)年に北恵那鉄道へ譲渡されました。 写真の撮影場所は、八百津駅と思われます。
旧八百津発電所資料館展示③ 丸山水力専用鉄道 1952(S27)年

丸山水力専用鉄道は1952(昭和27)年3月に八百津~錦織(2.6km)運行開始(GL)、同年4月・DLで運行、同年9月・八百津~錦織間電化。1953(昭和28年)7月・錦織~丸山発電所(1.5km)DLで運行開始。1954(昭和29)年5月・丸山ダム完成・専用鉄道廃止
地図で調べると、八百津駅付近の地名が塩口なので、この写真は八百津駅の少し錦織駅寄りと思われます。開通直後の写真で、半年後にこの区間は電化されました。
旧八百津発電所資料館展示④ 錦織(にしこおり) 1952~54(S27~29)頃

錦織には立派なセメント倉庫がありました。電化区間はこの錦織まででした。錦織をどう読んだらよいのか、資料館の管理人の方に聞いたら「にしこおり」ということでした。
丸山水力専用鉄道の電化区間は八百津~錦織で、ここから丸山発電所まではディーゼル機関車が輸送していました。索道も建設され、このセメント倉庫からダム建設現場までセメント等が運ばれたようです。前頁の地図もご覧ください。
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参考図書: 「日本鉄道旅行地図帳7号・東海」 新潮社 2008(平成20)年11月発行
       「戦国の雄森一族と居城美濃金山城の軌跡」 兼山歴史同好会編集・可児市教育委員会発行2014.3