津島軽便堂写真館
国土地理院発行5万分の1
上松昭和47年発行 に追記
坊主岩駅付近の配線略図

赤数字が写真の撮影場所
この地図は、
国土地理院発行5万分の1
上松昭和47年発行(右半分)
加子母昭和47年発行(左半分)
 に加筆
主要駅を
で囲み青字で記入し、撮影ポイントなどを赤字で記入しました。
助六付近×印から先の部分は、昭和52年8月には既に廃止されていました。
地図に記載がなかった
助六線作業軌道を推測で追記しました

木曽森林鉄道  鯎川(うぐいがわ)1977(S52)年夏の記録(廃止直前)   →1976(S51)夏の記録

木曽森林鉄道の鯎川(うぐいがわ)線は、王滝川に沿って東西に走っていた王滝本線の大鹿駅から分岐し、鯎川沿い南下していた路線です。
 ←左地図参照
王滝本線が1975(S50).5.30に廃止されたあとも
鯎川線はしばらく残りましたが、1976(S51)年に運材列車の運転を終了したようです。

一路順風!さん(私の鉄仲間でHP你好,小火车を開設.)は、知人が付知の出身で、知人の幼馴染が王滝営林署へ勤めていることを知りました。
1977(S52)年の夏、現状などを問い合わせたら、その幼馴染氏が モーターカーの運転手に 頼みこんでくれまして (用事もないのに)1往復 走らせてくれることになったのです。しかし、一路順風!さんが連絡を受け取ったのが直前で、しかも 半信半疑だったため、大阪から遊びに来ていた 親戚の中学生と 2人だけで 指定された 田島の民宿へと向かいました。
そして 翌日、民宿の車で 荒れ放題になっている 大鹿の操車場に行くと、知人の幼馴染氏 と モーターカーの運転手が待っていてくれました。
そんなわけで、1977(S52).8.1に助六までモーターカーに便乗させてもらったのですが、既に 線路は錆びだらけの状態で、坊主岩や助六などの沿線の建物についても 全て閉鎖されていました。
なお、後日知人から聞いたところでは、幼馴染氏 も 運転手も 助六まで モーターカーで上がったのはこの日が最後の機会になったそうです。
一路順風!さんが撮った、廃止直前のウグイ川線の写真をご覧ください。

「近代化遺産 国有林森林鉄道全データ・中部編」によれば、この付近の森林鉄道は、
・王滝林道 
鯎川線(森林鉄道1級)-左地図の大鹿~坊主岩
  昭和元年度 大鹿から8.4km開設 
  昭和54年度 全線廃止 8.4km
・鯎川林道 (森林鉄道2級) - 左地図の坊主岩~助六
  昭和5年度 鯎川林道1級線終点から4.3km開設
  昭和52年度 全線廃止 4.3km
・鯎川林道 延長線 (森林鉄道2級)
  昭和28年度 鯎川林道2級線終点から1.1km開設。翌年延長
  昭和52年度 全線廃止 総延長2.1km
・鯎川林道 春萩越支線 (森林鉄道2級)
  昭和32年度 鯎川林道2級線終点から1.1km開設
  昭和40年度 全線廃止 1.1km
・助六林道 (森林鉄道2級) - 左地図に記載なし。推測で緑線を記入
  昭和34年度 鯎川林道2級線分岐から0.8km開設
  昭和40年度 全線廃止 総延長1.2km
ウグイ川線① 一路順風!さん撮影

 坊主岩 1977(S52).8.1

坊主岩駅(
鯎川駅とも呼ばれた)に到着したモーターカーです。今なら途中何度でも停車してくれるよう お願いするのでしょうが、一路順風!さんも若かったので、初対面の大人2人相手に気兼ねして なかなか言い出せませんでした。
坊主岩は、大鹿から8.4kmで、ここまでは王滝本線と同じ森林鉄道1級、この先は規格の低い(貧弱な線路の)2級でした。
助六から小型の機関車に牽引されてきた短い運材列車は、ここで長い編成に組み換えられ、10tの大型機関車で大鹿へ下っていきました。
線路の向こう側が大鹿方向で、左の線路の先もUターンして助六方向に向かいます。(上図参照)
ウグイ川線②  坊主岩眺望 1977(S52).8.1 一路順風!さん撮影

坊主岩駅の由来となった坊主岩の眺望です。運転手さんが停車し教えてくれました。
ウグイ川線③  仏岩眺望 1977(S52).8.1 一路順風!さん撮影

引き続き「これが仏岩だよ」と教えてくれました。仏様のような感じで立っていました。
ウグイ川線④ 一路順風!さん撮影

坊主岩~助六 1977(S52).8.1

給水のため停車です。
急カーブでの摩耗防止のため、散水しながら走るので、途中何度も給水が必要です。
ウグイ川線⑤ 一路順風!さん撮影

坊主岩~助六 1977(S52).8.1

撮影場所不明です。

ウグイ川線⑥ 助六 1977(S52).8.1 一路順風!さん撮影

作業軌道の有名なダブルΩループへ続いていた入口の木橋です。ダブルΩループは、残念ながらこのとき既に撤去済みでした。
ダブルΩループの写真は南軽出版局・画像倉庫→助六のダブルΩ参照

↑ウグイ川線⑦ 助六 1977(S52).8.1 一路順風!さん撮影

 左の写真と同じ木橋(奥に見える線路は
鯎川線)です。


←助六付近の地図 赤数字が写真撮影場所
 ×印より先は、既に廃止されていました。
森林鉄道ファンの聖地だった作業軌道のダブルΩループ線なども撤去されていました。

ウグイ川線⑧ 一路順風!さん撮影

 助六 1977(S52).8.1 

宿舎の前で、一路順風!さん達を降ろした後 直ちに奥へ行きUターンして戻って来ました。
↑ウグイ川線⑨  助六 1977(S52).8.1 一路順風!さん撮影

方向転換を済ませたモーターカーがすぐに戻って来たことを不思議に思い、先に歩いて行くと、終点には急ごしらえのループ線がありました(ここで撮りたかった!)。
ウグイ川線⑩  助六 1977(S52).8.1 一路順風!さん撮影

ループの先には、立派な橋梁(廃線)があり、対岸では左右に分かれてのびていく軌道が確認できました。急斜面をよじ登ると、橋梁や助六を見下ろせました。
ウグイ川線⑪ 助六~坊主岩 1977(S52).8.1 一路順風!さん撮影

手前の橋が中之沢橋梁で 後ろに見えているトンネルが
鯎川第2号隧道
モーターカーを停めてチョット下に降りるところです。
ウグイ川線⑫ 助六~坊主岩 1977(S52).8.1 一路順風!さん撮影

中之沢橋梁を下から見上げました。
ウグイ川線⑬ 一路順風!さん撮影

助六~坊主岩 1977(S52).8.1

有名な樽ケ沢橋梁です。
手前で降ろしてもらい通過シーンを撮影しました。
助六に向かうときは、途中停車の御願いはできなかったのですが、帰りには少し慣れたので、行きに見つけた目ぼしいところ(樽ケ沢など)で停車をお願いして写真を撮りました。
ウグイ川線⑭ 一路順風!さん撮影

助六~坊主岩 1977(S52).8.1

撮影場所不明ですが、撮影順にたどれば、樽ケ沢と坊主岩の間です。



2018(H30).7.17
一路順風!さんから連絡があり、坊主岩太郎さんの鑑定により、ここは「1492M桟橋」ということです。
←ウグイ川線⑮ 坊主岩 1977(S52).8.1 一路順風!さん撮影

帰り道の坊主岩駅です。
背景(右上)に、名前の由来の坊主岩が写っています。
一番上の写真①の逆方向から見ています。
↓ウグイ川線⑯ 黒淵~大鹿 1977(S52).8.1 一路順風!さん撮影

鯎川第3号隧道 大鹿側です。鯎川線最長のトンネルで、トンネル内が涼しいので 一休みしました。
ウグイ川線⑰ 一路順風!さん撮影

 大鹿 1977(S52).8.1

出発地点の大鹿操車場に戻ってきました。
到着後 ターンテーブルで方向転換を済ませ留置位置に向かいました。


一路順風!さんが、この時乗車したモーターカーは4号機でしたが、2010年に松原に出向き、元気に活躍する姿を33年振りに見て 感慨無量になったそうです。
ウグイ川線⑱ 一路順風!さん撮影

 大鹿 1977(S52).8.1

大鹿操車場のモーターカー留置場所です。
他のモーターカーは既にチェーンでロックされていました。
ウグイ川線⑲ 一路順風!さん撮影

 大鹿 1977(S52).8.1

木曽森林鉄道の王滝本線が廃止されて2年が経過した大鹿駅の全景です。
草が茂り、荒れ放題になっていました。
鯎川線の正式廃止は、これよりしばらく後でしたが、森林鉄道としての役割は既に終了していました。
うぐい川線の廃線跡を歩いた記録は、リンク先の「森林鉄道廃線跡解体新書」の「長野営林局森林鉄道3」をご覧ください。
一路順風!さんが、これに満足せず、はるばる中国までナローの森林鉄道や鉱山鉄道を撮りに行った記録は、
現役時代の大鹿駅の写真は
木曽森林鉄道・大鹿
この1年前の鰔川線の記録は
 →鰔川線1976(S51)夏
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参考図書:「木曽谷の森林鉄道」 西 裕之著・NEKO PUBLISHING 1987(S62).8.31発行
       「近代化遺産 国有林森林鉄道全データ 中部編」矢部三雄編著 信濃毎日新聞社2015(H27).7.31発行
       「木曽の森林鉄道」 銀河書房編・銀河書房 1973(S48).6.10発行
       「木曽森林鉄道」 プレス・アイゼンバーン 1975(S50).11.15発行
       「思い出の木曽森林鉄道
-山の暮らしを支えた60年」 解説/森下定一 郷土出版社1998(H10).7.28発行