津島軽便堂写真館

木曽森林鉄道  鯎川(うぐいがわ)  1976(昭和51)年夏の記録   鰔川線廃止直前の姿

鉄道雑誌のフォトギャラリーなどに時々写真を発表されているSaさんから、学生時代(昭和51年夏)に訪ねた木曽森林鉄道(うぐい)川線の写真と旅行記を提供していただきました。この下に掲出しますのでご覧ください。
 
なお、Saさんは大学鉄研の後輩で、これまでも津島軽便堂に時々写真を提供してもらっています。
1975(昭和50)年に王滝本線の運行が終了し、木曽森林鉄道には列車が走っていないと思っていた1976(昭和51)年夏。Ka氏から「うぐい川線にはまだ運材列車が走っているようだ」「終点には大きなティンバートレッスル(木橋)も残っているらしい」とお誘いがあり、鉄研メンバー5名でうぐい川線を訪ねることになりました。
ただ、道路がなく大鹿から徒歩で片道10kmを歩く必要があるため、3日分の食料やキャンプ道具とカメラ一式を担いで23日で訪問することにしました。  
この地図は、国土地理院発行5万分の1「上松昭和47年発行(右半分)、「加子母昭和47年発行(左半分) に駅や撮影ポイント等を加筆したものです。  鯎川線① 砂利沢 1976(S51)年夏 Saさん撮影

大鹿を出発して1時間ほど歩いた黒淵の手前にある砂利沢で列車を待ちました。やがて、10t機が付近の山々に豪快なエキゾーストノートを響かせて、空の運材台車を牽き上げてきました。
鯎川線②  Saさん撮影

 砂利沢 1976(S51)年夏

その折り返しの運材列車を俯瞰撮影すべく沢の上で待ちましたが、雷が鳴り出したため、少し怖くなり、平場に降りて運材を撮影しました。
鯎川線③  Saさん撮影

 黒淵 1976(S51)年夏

運材列車通過後に雨が降り出し黒淵停車場に着いた時も雨でした。雨の中、モーターカーの交換シーンを撮影しました。
鯎川線④  Saさん撮影

 黒淵 1976(S51)年夏

同上
右下隅に写っているのは写真を撮るため、慌てて投げ出した折りたたみ傘です。

この後、坊主岩まで歩き、日が暮れる前に薪を拾って火をおこし、はんごうで夕食を作りました。その夜は坊主岩の無人の保線区宿舎に泊めていただきました。
2日目。重い荷物をベースキャンプの坊主岩保線区宿舎に残し、いよいよ助六を目指します。坊主岩より先はところどころに木橋もあります。助六に近付くにつれて、断崖絶壁の渓谷を縫うように線路が走る景色となり、樽ケ沢と呼ばれる滝の見える場所で列車を待ちました。

鯎川線⑤ 樽ケ沢 1976(S51)年夏 Saさん撮影

やがてやって来たモーターを撮影しましたが、滝と一緒に撮影するためには崖に足をかけてカメラを構える必要がありとても怖かった記憶があります。



そしてモーターカーを追って助六に向いましたがその途中、うぐい川線から左岸に分岐する作業軌道に素晴らしい光景が展開していました↓。

鯎川線↑⑥ Saさん撮影
    ←⑦   〃
    ↙⑧   〃

 助六 1976(S51)年夏

伐採して高原のようになった小山に木組みの作業軌道がくねくねと敷かれ、高度を稼ぎながら伸びるという夢でもみているような景色でした。後にこの場所こそが「助六のダブルオメガ」と呼ばれ木曽森林鉄道ファンから崇められていた聖地だったということがわかりました。
鯎川線↑⑨ ←⑩ 助六 1976(S51)年夏 Saさん撮影

その作業軌道を歩いてその小山の裏手に回ると、今回の目的のひとつであった丸太組五段の巨大なティンバートレッスルが現れました。列車が来ないかと待っていたら、作業員が木橋を渡ってきました。列車が走らないか聞いてみると「もう作業は終わりであと数日は走らない」とのことでがっかりしました。
鯎川線⑪ Saさん撮影

 助六 1976(S51)年夏

がっかりしながら作業軌道を引き返し、助六に向かいました。助六の製品事業所では先ほど樽ケ沢で撮影したモーターカーが停まっていました。
事業所の方にご挨拶をすると「山での作業はもう終わりで、午後迎えに来る機関車+客車で皆が山を下りる」とのことでした。事業所の皆さんにはこの後も色々お話を伺い、カップラーメンのお湯をいただいたり、檜細工の余りものをいただいたり大変優しくしていただきました。
鯎川線⑫ Saさん撮影

 助六 1976(S51)年夏

助六の構内を探索すると終点に恐ろしく半径の小さいリバース線を見つけました。このリバース線を走るところがどうしても撮りたかったので事業所の方にお願いしたところ快くフォトランを引き受けてくれました。
鯎川線⑬ Saさん撮影

 助六 1976(S51)年夏

上の写真⑫のモーターカーが大鹿に帰る所を助六作業軌道をバックに撮影しました
鯎川線⑭ Saさん撮影

 樽ヶ沢 1976年(S51)夏

昼食を済ませ、作業員を山から降ろすために大鹿から助六にやってくる列車を樽ケ沢で待ちました。やがて、人車と空の運材台車を牽いた5t機が紫煙をはきながら現れました。
鯎川線⑮ Saさん撮影

 樽ヶ沢 1976(S51)年夏

上の写真⑭は望遠で、同じ列車をこちらは広角で撮影しました。
鯎川線⑯ 樽ヶ沢 1976(S51)年夏 Saさん撮影

引き続き樽ヶ沢で、助六の作業員を乗せて大鹿に戻っていく列車を待ちましたが、中々やって来ず、炎天下でじっと待ってヘロヘロになった頃に列車は現れました。
鯎川線⑱ 樽ヶ沢~坊主岩 1976(S51)年夏 Saさん撮影

樽ヶ沢から坊主岩に戻る途中のやや大きな木橋の所で列車を待っていると、夕方になってモーターカーがやってきました。モーターカーの運転手さんが「大鹿まで乗っていくか?」と声をかけてくれましたが、この日は坊主岩で泊まるため丁寧にお断りしました。(坊主岩まででも乗せてもらえばよかった…)
鯎川線⑰  Saさん撮影

 樽ヶ沢 1976(S51)年夏

左上の写真⑯の続きです。
列車が近づいたところでもう1枚。

この写真を撮った後、樽ヶ沢をあとにして、坊主岩に向かいました。
上の写真⑱に続きます。
⑤~⑱の写真を撮った夜も坊主岩の保線区宿舎で泊まりましたが、夜中に土砂降りがあり屋内で寝られて良かったと思いました。そして翌日は、坊主岩近くでしばらく列車を待っていましたが案の定、何も来ませんでした。諦めて昼過ぎにベースキャンプたたみ荷物を背負って大鹿に向いました。
その途中の集材所で、5t機が引く運材台車に、対岸の山からロープで吊り下げてきた丸太を積む作業に出会いました。
鯎川線⑲ Saさん撮影

鯎川本谷橋梁 1976(S51)年夏

丸太を積み終わった運材列車が大鹿まで戻るところをうぐい川本谷橋梁で撮影しました。
助六の作業軌道を列車が走るシーンが撮影できなかったのは心残りですが、廃止になっていたものと思っていた森林鉄道がまだ生きていて、最後の閃光を放つような数々の素晴らしい光景に出会うことができたことは、鉄人生の中で最高の思い出になりました。
なお、この1年後にSaさんの後輩の一路順風さんが鰔川線を訪ねました。その記録は

1977(S52)年夏(廃止直前の姿)
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参考図書:「木曽谷の森林鉄道」 西 裕之著・NEKO PUBLISHING 1987(S62).8.31発行
       「近代化遺産 国有林森林鉄道全データ 中部編」矢部三雄編著 信濃毎日新聞社2015(H27).7.31発行
       「木曽の森林鉄道」 銀河書房編・銀河書房 1973(S48).6.10発行
       「木曽森林鉄道」 プレス・アイゼンバーン 1975(S50).11.15発行
       「思い出の木曽森林鉄道
-山の暮らしを支えた60年」 解説/森下定一 郷土出版社1998(H10).7.28発行
       「助六-木曽森林鉄道鰔川線」 なんかる林鉄班著 南軽出版局2018(H30).9.30発行