近鉄の軽便電車1 昭和47年・
「四日市あすなろう鉄道」発足記念で、内部・八王子線のページをリニューアルします。現在リニューアル途中ですので両ページを掲載しますが、
リニューアル完了後は、このページを含め、近鉄の軽便電車1〜3を削除します。リニューアル後の頁→近鉄内部・八王子線1へ
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近鉄の ただし、西日野〜伊勢八王子は1974(昭和49)年7月の集中豪雨で休止に、そのまま1976(昭和51)年廃止になりました。 1972(昭和47)年頃は、今よりも遙かに軽便鉄道らしい路線でした。その頃の写真をご紹介します。 近鉄四日市〜 途中の 左の地図は20万分の一「名古屋」の一部です。 国土地理院 昭和43年6月30日発行 内部・八王子線を青でなぞり、撮影地の最寄り駅に○を付けました。 |
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近鉄内部・八王子線@ 四日市 1972(昭和47)年1月26日 「よっかいちーよっかいちー、 湯の山温泉・ この頃、近鉄四日市駅は地上にありました。 内部・八王子線ホームの隣の湯の山線もかつてはナローゲージでしたが、標準軌の1435mmに改軌されていました。 湯の山線の標準軌と内部・八王子線の762mmが並ぶ風景が間もなく終わろうとしていた頃です。この写真を撮った1〜2週間後に四日市駅の高架化工事が始まり、この並びは見られなくなりました。 線路の幅が約半分で車体も小さいのに、架線の高さは同じで、214号のパンタがよく目立っています。 |
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近鉄内部・八王子線A 四日市 1972.1.30 標準軌とナローの横並びが見られなくなる直前です。 線路幅の違いを目とフィルムに焼き付けに行きました。 上の写真@の反対側です。 |
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内部・八王子線B 四日市 1972.1.26 | 内部・八王子線C 四日市 1972.1.30 |
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近鉄四日市駅での内部・八王子線の入換 1972(昭和47)年頃の内部・八王子線は、 両運転台付の電車+客車1〜2両で運転されていましたので、終点では機関車列車のように、必ず機回し入換が必要でした。(運転台付の制御客車がなかった)。 連結器も自動式ではなく、軽便鉄道らしい朝顔型を使っていました。この時代にあの大近鉄が・・・当時も意外でした。 内部線八王子線とも20分おきに電車が走っていましたので、四日市では1時間に6回も連結・解放・入換を行っていました。 四日市駅には機回し線がなかったので、左の図のような入換を行っていました。 @列車がいないときの状態です。電車(M1)はH番線ホームの奥に待機 A電車(M2)が客車2両(黄色)を牽引し四日市駅I番線ホームに到着 B電車(M2)を切り放してIの奥に突っ込む。Hの奥にいた電車(M1) を入換 C電車(M1)を客車の前に連結。内部or八王子行きの列車として準備完了。 D電車(M1)+客車2両の列車がお客を乗せて出発 E次の列車、電車(M3)+客車2両(黄緑)が四日市駅へ到着。 これ以降はホームが逆になるだけでA〜Eの繰り返し。 |
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近鉄内部・八王子線D 内部線の終点・内部です。 駅に隣接して内部・八王子線の車庫がありました。(今でも車庫はあります) 個性的な車両がたくさんいました。 四日市行きの電車が出発しました。 |
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近鉄内部・八王子線E 内部を出発した列車の後ろ姿です。 連結した客車には運転台がないので、一番後ろは展望席でした。 |
左下F 内部 1972.1.22 車庫で洗車中です。 リベットのゴツゴツ感が良いですね 下G 内部 1972.1.22 内部に到着する列車です。 左は留置車両。 |
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近鉄内部・八王子線H 内部駅です。連結解放作業を行っています。 231号は正面が曲面になっていて、好きな電車だったです。 左上Fで洗車をしていた電車が、きれいになって車庫から出てきました。その続きの写真です。 |
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近鉄内部・八王子線I 内部駅の周りをグルッと一周したら、子供たちが昔懐かしい遊びに興じていたので、それを入れて望遠で撮りました。 電車が停まっているところが内部駅です。 |
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J内部線 1972.1.30 八王子線沿線の高台から見た内部線 列車が何処にいるかわかりにくいですが、四日市コンビナートを背景 に走っています。 |
K日永〜南日永 1972.3.31 内部線の列車が天白川の鉄橋を渡ります。 今はこの鉄橋も頑丈なものに架け替えられてしまいました。 |
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L内部 1972.7.26 内部に留置してあった電気機関車 | M内部線 1972.7.26 朝顔形連結器(後ろの展望席より) |
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