越後交通 栃尾線1 長岡から栃尾まで走っていた軽便鉄道(軌間762mm) +長岡線(寺泊〜西長岡〜来迎寺)
越後交通栃尾線をリニューアルしました。→こちらをご覧ください
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越後交通 栃尾線・長岡線 栃尾線は軌間762mmで、栃尾から上見附・長岡を経由して悠久山まで26.4kmの電化された軽便鉄道でした。 1973(昭和48)年4月に上見附〜栃尾と悠久山〜長岡が廃止になり、1975(昭和50)年3月末に栃尾線は全線廃止されました 左の地図で青い線が栃尾線です。 長岡線は軌間1067mmで、来迎寺〜西長岡7.6kmと西長岡から大河津を経由して寺泊まで28.5kmの路線がありました。(左の地図の赤線) この路線も部分廃止を行っていき、全線の旅客営業を終了したのは1975(昭和50)年3月末で栃尾線と同時期でした。 詳細は「越後交通長岡線・越後交通栃尾線」Wikipediaをご覧ください。 左の地図は国土地理院発行20万分の一「長岡」昭和44年修正と「新潟」昭和44年修正の一部 ○を付けた所は写真撮影をした駅です。 |
下の時刻表は、昭和47(1972).3.15改正のものです。 ローカル私鉄にしては、まずまずの運転本数でした。 ただし、来迎寺線は貨物が主で、旅客列車は1日3往復しか走っていません。訪問から1ヶ月も経たず旅客営業が廃止されましたので、乗らなかったのが非常に悔やまれます。 |
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越後交通 栃尾線@ 下長岡 1972(昭和47)年3月23日 1972(昭和47)年3月中〜下旬に10日あまり東北私鉄めぐりの旅行をしました。 その帰りに越後交通を訪問しました。 前日に、長岡線の寺泊〜西長岡を乗車し、西長岡からバスで長岡駅まで出て、駅前旅館に宿泊しました。 旅館に到着したのが夕方でしたので、栃尾線の長岡〜悠久山だけは乗りつぶしに出かけましたが、残念ながら写真は撮っていません。 翌日、まずは下長岡行きに乗り、栃尾線の車庫・下長岡で撮影です。 近鉄の内部・八王子・北勢線よりも近代的な電車がいてビックリです。 それまでに見た軽便鉄道の中で最も近代化されていたという印象を受けました。 当分残ると思ったのですが、それから3年で全線廃止になってしまいました。 |
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栃尾線A 上見附1972.3.23 下長岡から上見附行きに乗り、スイッチバックの駅上見附で下車 しました。乗ってきた電車です。 |
栃尾線B 上見附1972.3.23 乗ってきた電車が長岡方面へ折り返していきました。 制御客車(クハ)が先頭です。名鉄のHL電車に似ていました。 後方が上見附駅です。左の線が長岡方面、右が栃尾方面です。 |
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越後交通 栃尾線C 上見附 1972.3.23 上見附で栃尾行きを待ちました。 先ほどと同じような電車が来るかと思ったら、格調高い編成の列車が来ました。 ナローの複線で両渡り分岐というのは初めて見ました。 一見複線ですが、単線並列で、もう少し先で両側に分かれていきます。右が長岡方面、左が栃尾方面です。 上見附駅のホーム先端で撮りました。 |
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越後交通 栃尾線D 上見附 1972.3.23 栃尾行きの列車は、後ろに荷物車をくっつけていました。 スイッチバック駅ですから、ここで電車の機回しをしました。 |
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越後交通 栃尾線E 栃尾 1972.3.23 終点の栃尾です。 なかなか雰囲気のある駅でした。 長岡からつないできた荷物車をここで切り放し、右から2本目の線に押し込み、そこに置いてあった荷物車を連結して出発準備が完了しました。 下の2枚はその入換風景です。 |
左下F 栃尾駅入換 下G 栃尾駅入換 |
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越後交通 栃尾線H 栃尾 1972.3.23 栃尾駅の端には、貨車とダブルルーフの客車が置いてありました。 その向こうには日通の倉庫もあり華やかだった昔を偲ばせます。 この写真を撮ったあと、列車の出発まで時間があるので駅前に行くと、ちょうど見附方面へ行くバスが出発するところでした。 ついついそれに乗ってしまいました。 雁木の町並みを通ったので、それを初めて見て感激しましたが、帰りも栃尾線に乗るべきであったと反省しています。 1年後に東北旅行をしたとき、栃尾線にも寄りましたが、時間の関係で浦瀬までしか行きませんでした。 栃尾駅はこれが最初で最後の訪問でした。 |
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