津島軽便堂写真館

「北アルプス」が走っていた頃の高山線 2/2      高山線1へ   さよならキハ8500へ

高山線(26)

久々野~渚  1983(S58).2.20

雪降る中、特急「北アルプス」が第21益田川橋梁を渡ります。(白川口から数えて24番目の飛騨川&益田川橋梁です)
これが、最後の飛騨川の鉄橋で、ここで飛騨川に別れを告げ、少し進むと久々野駅があり、そこから分水嶺の宮峠トンネルに入ります。

この日、名古屋は晴れていたのですが、「のりくら1号」に乗り、久々野駅で降りたときは真っ白な雪景色でした。雪の中を少し戻り、第21益田川橋梁で「北アルプス」を待ちました。

  map1↓Yahoo地図に加筆


↖高山線(27)

久々野~渚  1983(S58).2.20

「北アルプス」と久々野駅で交換した特急「ひだ4号」が第21益田川橋梁を渡ります。(後追いです)
このあと、久々野駅へ戻りました。
駅前から下呂行きの濃飛乗合・路線バスがあったので、それに乗り、渚駅に向かいました。
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←高山線(28)

渚~久々野  1983(S58).2.20

第18益田川橋梁を渡ります。
渚駅の近くでバスを降りたら、目の前に鉄橋があり、ちょうど大阪発の急行「たかやま」が通りました。
高山線(29)

 渚  1983(S58).2.20

雪が激しく降ってきたので、渚駅の待合室へ避難しました。
特急「ひだ3号」は、ホームで撮りました。
高山線(30)

 渚  1983(S58).2.20

13:37発の岐阜行き普通列車が渚駅に到着します。
その少し前に貨物列車が到着し、交換シーンを撮ることができました。

この普通列車に乗りました。昼間の普通列車は約3時間おきでした。

高山線(←31・↓32) 焼石  1983(S58).2.20

渚駅から乗った普通列車は14:30頃に焼石駅に到着しました。
この駅で、特急「ひだ5号」と交換するため、跨線橋の上から交換シーンを撮りました。写真を見ると、乗ってきた普通列車も意外と長い編成でした。


帰りの「北アルプス」をどこで撮ろうか迷いましたが、往路の車窓から見えた下原ダム湖上流の風景が気に入り、焼石駅から歩いてたどり着けそうな気がしたので、焼石駅で下車しました。普通列車を降りてから「北アルプス」の通過まで約30分。頑張って歩きました。
高山線(33)

焼石~飛騨金山 1983(S58).2.20

焼石駅から一生懸命歩き、下の地図のダム湖上流俯瞰ポイントを通り過ぎたところ(少し南)で、帰りの「北アルプス」を撮りました。

   map2↓Yahoo地図に加筆


高山線(34)

焼石~飛騨金山 1983(S58).2.20

左上(33)の続きです。
ダム湖上流を通り過ぎていきます。
このすぐ後に、太陽は山に隠れ、だんだん薄暗くなっていきました。
高山線(35)

焼石~飛騨金山 1983(S58).2.20

「北アルプス」と飛騨金山で交換した「のりくら3号」がやってきました。
上の地図(map2)の
ダム湖上流俯瞰ポイントから撮りました。

夕暮れムードの中、絶妙な色合いで、私のお気に入り写真です。


この写真を撮った後、焼石駅へ戻りましたが、次の焼石に停車する列車は約2時間後です・・・。駅前にあったタクシー会社を覗くと、タクシーは1台だけのようで、「だいぶ前にお客を乗せていったので、もうじき戻ってくる」と聞いて、それを待ちました。結構長い時間待たされた後、急行停車駅の飛騨金山までタクシーに乗り、急行で帰りました。
高山線(36)

焼石~飛騨金山 1984(S59).11.3

上の写真(35)の翌年です。
ダム湖上流俯瞰ポイントへ紅葉シーズンに車で出かけました。

まずは特急「ひだ3号」です。
お昼頃のため、逆光状態で水面がキラキラと輝き綺麗でした。
高山線(37)

焼石~飛騨金山 1984(S59).11.3

次はDD51の貨物列車です。
美しい紅葉の山を縫うように走ってきました。
高山線(38)

焼石~飛騨金山 1984(S59).11.3

その次、名古屋行き特急「ひだ4号」が通りました。

この写真を撮った後、一旦この俯瞰ポイントを離れ、焼石駅の北に向かいました。
高山線(39)

焼石~下呂 1984(S59).11.3

高山行きの普通列車は、焼石駅より北の第3益田川橋梁で撮りました。
高山線(40)

焼石~下呂 1984(S59).11.3

第3益田川橋梁の少し南のカーブです。普通列車が通り過ぎました。

この写真を撮った後、再び
ダム湖上流俯瞰ポイントへ向かいました。
高山線(41)

焼石~飛騨金山 1984(S59).11.3

日が傾いた頃、
ダム湖上流俯瞰ポイント特急「北アルプス」が通りました。
高山線(42)

焼石~飛騨金山 1984(S59).11.3

車体をギラリと輝かせながら「北アルプス」が通り過ぎました。

私が撮ったキハ8000系「北アルプス」の最後の写真となりました。

1991(平成3)年3月から、特急「北アルプス」は、新性能のキハ8500系(JRキハ85系と同性能)に置き換えられました。
高山線(43)

 美濃太田 1986(S61).118

美濃太田駅の一番左のホームへ太多線の列車が到着します。
右のホームには高山線の急行列車が停車中です。
右の方の車庫には、長良川鉄道のLEカーが連なっています。

美濃太田は、昔は高山線から太多線と越美南線が分岐する交通の要衝でした。
越美南線は、この写真を撮った1ヶ月後の1986(昭和61)年12月11日に長良川鉄道へ転換されました。
そして、その翌年4月1日に国鉄は分割民営化されました。

美濃太田は交通の要衝だったので、機関区ができて鉄道の街として発展しました。現在も運輸区・車両区(太多線沿い約2km離れている)があります。
高山線(44) Nさん撮影

美濃太田機関区 1967(S42).10

扇形庫の中のC11です。
美濃太田機関区の機関車は赤いナンバープレートでした。
C11は越美南線と入換用に配属されていたと思われます。

1969(昭和44)年10月に高山線は無煙化されたそうです。
高山線(45) Nさん撮影

美濃太田機関区 1967(S42).10

給水塔の前のC58です。
C58は、高山線の主力機関車でした。
高山線(46) Nさん撮影

美濃太田機関区 1967(S42).10

機関区の前のDD51貨物列車です。
既に一部の列車は無煙化されていました。
高山線(47)

飛騨金山~焼石 1995(H7).1.8

国鉄時代は、この上までで終わり、ここから後はJR時代です。

下原ダム湖畔を走るステンレスのキハ85系です。「ワイドビューひだ」と宣伝されました。

国鉄分割民営化(1987/昭和62.4)された後、1989(平成元)年にJR東海が製造した特急気動車です。


ステンレス車は、普通に写すと景色の中に埋没してしまう(写真写りが悪い)ので好きになれません・・・
高山線(48)

白川口~下油井 1996(H8).11.4

第1飛騨川橋梁を渡る、JR西日本から乗り入れてきたキハ58系急行「たかやま」です。

変な色に塗り替えられていました。
高山線(49)

飛騨金山~焼石 1996(H8).11.4

名鉄キハ8500系「北アルプス」を先頭に、JRキハ85系「ひだ」を併結した特急列車です。

老朽化したキハ8000系の代わりに、JRキハ85系と同性能のキハ8500系が1991(平成3)年に登場しました。

上の写真41・42と同じ
ダム湖上流俯瞰ポイントですが、12年も経過したので、この場所に落石覆いが出来て道路脇からは撮れなくなってしまいました。落石覆いに上れる場所を探して、その上から撮りました。
高山線(50)

飛騨金山~焼石 1996(H8).11.4

上の写真49の続きです。
「北アルプス」の後ろに、名古屋発と大阪発の「ひだ」を連結した3階建て列車のため長い編成でした。
高山線(51)

飛騨金山~焼石 1996(H8).11.4

下原ダム湖畔の鉄橋を走るキハ48形です。
JRになったあと、気動車の色がタラコ色からJR東海標準色になりました。
まだタラコ色のほうが写真写りが良かった・・・。
しかし、この白色+湘南帯も、ステンレス車よりは写真写りが良かったので、ありがたかったです。
高山線(52)

焼石~下呂 1996(H8).11.4

第3益田川橋梁の少し南のカーブです。
西日を浴びて、車体を輝かせながら特急「ひだ」が走ります。
高山線(53)  Nさん撮影

鵜沼~坂祝 2001(H13).9.24

「北アルプス」号の終盤です。
8500系の写真をまともに撮っていないことに気付き、廃止1週間前にNさんと慌てて出かけました。

当時、8500系「北アルプス」が高山線内を単独で走るのは、鵜沼~美濃太田間だけでした(美濃太田で「ひだ」と連結)。中間の坂祝
(さかほぎ)駅で下車し、Nさんはこの撮影ポイントまで急いで歩きました。
高山線(54)

坂祝
(さかほぎ) 2001(H13).9.24

上の写真(53)と同日の同じ列車です。
Nさんは撮影ポイントまで歩きましたが、私は駅撮りすることにしました。

セメントのサービスステーションがある広い構内が気に入ったためです。
高山線(54)

 坂祝 2001(H13).9.24

北アルプス号が通り過ぎた後、跨線橋の上から岐阜行き列車を撮りました。
側線に貨車はいませんが、調べると、この当時はまだ貨物の取扱い駅でした。

この写真を撮った後、美濃太田経由多治見行きの列車で可児へ移動し、1週間後に廃止される名鉄八百津線を訪問しました。

9月末限りで、北アルプス、谷汲線、揖斐線(黒野~本揖斐)、八百津線、竹鼻線(江吉良~大須)が同時に廃止されたので、慌ただしい9月でした。休みのたびに廃止される列車の撮影に出かけました。
これで「北アルプス号が走っていた頃の高山線」は終わりです。
 高山線を撮影目的で訪れることはなくなりましたが、何かのついでに撮った写真はありますので、この下にオマケで掲載します。
高山線(55) 那加~蘇原 2006(H18).4.9 Nさん撮影

新境川堤防の見事な桜並木です。手前の鉄橋が名鉄各務原線で、そこを走るパノラマカーの写真をNさんと一緒に撮りに行った際の写真です。。
高山線(56) 那加~蘇原 2006(H18).4.9

絶好のお花見日和で、周辺は花見客で大賑わいでした。白いJR気動車より、赤いパノラマカーのほうが桜によく映えました。→こちら
高山線(57) 鵜沼~坂祝 2011(H23).11.13

キハ40・48形の末期に、5両が旧国鉄一般形気動車標準色に塗り替えられました。この日、JRのさわやかウォーキング用の臨時列車に充当されると聞き、ウォーキングに参加する前に途中下車して撮りました。
キハ40系に良く似合った色です。なぜ最初からこの色にしなかったかと思います。
高山線(58) 美濃太田車両区 2011(H23).11.13

美濃太田駅出発の「さわやかウォーキング」コースに美濃太田車両区が含まれ、車両区内を見学できると案内されたので参加しました。この車両区へは初訪問でした。美濃太田駅から遠い!
さよならキハ8500系(会津でガンバレ!)
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参考HP:名鉄資料館2011(平成23)年特別展「廃止から10年・北アルプス号