「北アルプス」が走っていた頃の高山線 1/2 高山線2へ
高山線(岐阜~富山間225.8km)は風光明媚な路線ですが、昭和40年代前半には既に無煙化されていたので、私の足は蒸気機関車が走る関西線や中央西線に向かい、高山線へ撮りに行く機会がありませんでした。初めて高山線を訪ねたのは1976(昭和51)年です。 高山線の最大の魅力は、名鉄のキハ8000系「北アルプス号」が乗り入れていたことです(と、私は勝手に思っています)。その「北アルプス」を目的に何度か高山線を訪れました。 北アルプス号の歴史については、名鉄資料館2011(平成23)年特別展「廃止から10年・北アルプス号」をご覧ください。 |
↑Yahoo地図に橋梁名などを加筆 高山線は、美濃太田を出発してから、分水嶺の宮峠の手前(久々野)まで、飛騨川に沿って走ります。飛騨川を何度か渡り、その鉄橋が撮影ポイントになっています。下流側から第1飛騨川橋梁、第2、第3と続きますが、そこで名前が変わり益田川第1橋梁、第2、第3~第21まで続いていきます。これは飛騨川の飛騨金山(馬瀬川合流点)以北が、昔は益田(ました)川と呼ばれたことに起因するということです。 |
㊤高山線① 1976(S51).3.23 名鉄・金山橋 Nさん撮影 懐かしの金山橋駅に停車中の名鉄キハ8000系の急行「北アルプス」です。国鉄のディーゼル急行と同じ塗装でしたが、後に特急化され、国鉄ディーゼル特急と同じ塗り分けになりました。(個人的には急行塗り分けのほうが好きです。) |
㊦高山線② 1972(S47).11.19 犬山遊園~新鵜沼 (犬山橋) 犬山橋で木曽川を渡る急行「北アルプス」です。この鉄橋を渡ってすぐ右へ分岐し、新鵜沼~鵜沼の連絡線を通って、国鉄高山線へ乗入れました。 |
高山線③ 1976(S51).9.2 白川口~下油井 急行「北アルプス」が飛騨川の鉄橋を渡ります。白川口駅の近くにある第1飛騨川橋梁です。 このときが初めての高山線撮影で、白川口駅で降りて対岸へ渡ってしまい、対岸の道を北へ歩きました。 左(神宮前方面)に向かう列車です。 この約1ヶ月後の1976(昭和51)年10月1日に「北アルプス」は特急へ昇格しました。(急行時代に撮っておこうと、あわてて出かけたのかもしれません・・・) 左から2両目と3両目の窓周り塗装の運転台側が斜めにカットされており、特急塗装への準備が始まっていたことが分かります。 |
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高山線④ 1976(S51).9.2 白川口~下油井 キハ91系の急行「のりくら4号」です。 ネットで調べると、キハ91系はこの写真を撮った翌日の1976(昭和51).9.3が最終運行だったということです。(調べてビックリ!) 第1飛騨川橋梁の上流側から撮りました。 |
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高山線⑤ 1976(S51).9.2 白川口~下油井 夕暮れ迫る第1飛騨川橋梁を渡る、キハ82系特急「ひだ」です。 この当時の時刻表を見ると、特急「ひだ」は1日1往復だけで、名古屋-高山線経由-金沢間に走っていました。 |
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高山線⑥ 1976(S51).9.2 白川口駅前 上の写真を撮った後、白川口駅まで3km弱を歩いて戻りました。 駅前には濃飛バスが4台も並んでいました。当時は、バスが住民の大事な足になっていたことが分かります。 行先幕を見ると、左から佐見、蘇原、黒川、大明神となっています。 地図で調べると、 佐見行きは、下油井を経由し佐見川に沿って北東方面の佐見地区へ、 蘇原行きは、赤川に沿って東南東の蘇原地区へ 黒川行きは、黒川に沿って東の黒川地区へ 大明神行きは、白川に沿って東北東の東白川村地区へ走っていました。 |
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高山線⑦ Nさん撮影 白川口~下油井 1979(S54).12.2 ここが飛騨川第1橋梁の正規お立ち台(有名撮影ポイント)です。 Nさんが、上の写真③~⑥の3年後に撮りに行きました。 一番手前の車両は、登場して1年の郵便荷物車キユニ28形です。前面はキハ40系と同じですが、キロ28形の改造車(車体新造)で、28両改造されたうち、最初の6両だけがクリーム色4号/朱色4号のツートン色で登場したそうです。 この色は国鉄一般形気動車の標準色で、緑の山々が連なる日本の風景にピッタリの色でしたが、この前年からタラコ色(朱色5号)一色塗装に塗り替えが始まり、この車両もしばらく後にタラコ色になりました(ガッカリ!)。 キユニ28がツートン色で活躍した時期は短く、貴重画像です。 |
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高山線⑧ 1982(S57).5.1 白川口~下油井 上の写真⑦の2年半後です。 私の2回目の高山線訪問は、車で出かけました。 事前に少し調べ、第1飛騨川橋梁のお立ち台で撮りました。 まずは、金沢発名古屋行きのキハ82系特急「ひだ2号」です。 新緑の中に、国鉄特急色は映えますね。 |
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高山線⑨ 1982(S57).5.1 白川口~下油井 次は、キハ58系の富山行き急行「のりくら1号」です。宇奈月温泉行きの「うなづき」を向こう側に併結。 気動車急行色も、新緑の中に映えます。 |
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高山線⑩ 1982(S57).5.1 白川口~下油井 本命の立山行き特急「北アルプス」です。 名鉄-国鉄-富山地鉄を直通しました。 ゴールデンウィーク中のためか8両も連結していました。(立山まで直通するのは向こう側の3両だけですが) |
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高山線⑪番外 Nさん撮影 富山地鉄・有峰口 1978(S53).9.25 富山地方鉄道へ3両編成で乗り入れていた「北アルプス」です。 |
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高山線⑫ 1982(S57).5.1 高山線・白川口~下油井 第2飛騨川橋梁を渡る、DD51の貨物列車です。 上の写真⑩を撮った後、北上して撮りました。 |
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高山線⑬ 1982(S57).5.1 飛騨金山 飛騨金山駅を出発する下呂行き普通列車と、待避する貨物列車です。 広い構内で感じの良い駅でした。 普通列車はキハ40系片運転台キハ48形で、当時の高山線の最新車両でした。 上の写真⑨を撮った後、普通列車を撮るため飛騨金山駅へ寄ったら、先ほどの貨物列車が停車していました。 |
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高山線⑭ 1982(S57).5.1 飛騨金山~焼石 有名な撮影ポイント・下原ダム湖の湖畔を走る急行「たかやま」です。 湖面や山に霧がかかり、良い感じでした。 |
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高山線⑮ 1982(S57).5.1 飛騨金山~焼石 タラコ色の普通列車です。 先頭がキハ48、最後尾がキユニ28でその間にキハ20系を挟んでいました。 |
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高山線⑯ 1982(S57).5.1 飛騨金山~焼石 川霧が湖面に立ちこめました。 丁度そのとき、DD51の貨物列車が通りました。 |
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高山線⑰ 1982(S57).5.1 飛騨金山~焼石 上の写真⑭~⑯をダム湖畔で撮った後、帰路につきました。 ダム湖畔の少し南にある第2益田川橋梁で列車を待ちました。 上の写真⑮と同じ編成に見えましたが、よく見ると一番左のキハ48形の連結部扉横に白窓(トイレ用)がありました。こちらはトイレ付きで、⑮はトイレ無しです。 (写真右に向かっています) (実はこの右側に2両増結していました) |
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高山線⑱ 1982(S57).5.1 白川口~下油井 ⑰を撮った後、更に南下しました。 第3飛騨川橋梁を渡るキハ55先頭の普通列車です。 この列車は、上の⑰と同じ列車です。飛騨金山停車中に車で追い越してきてしまいました。キユニ28の前に下呂から2両増結していました。それが分かるのが下の写真⑲です。 |
↑高山線⑲ 1982(S57).5.1 飛騨金山~焼石 順番は前後しますが、この写真は⑰の直前に第2益田川橋梁で撮っており、この続きが⑰です。その後⑱に続きます。 |
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高山線⑳ 1982(S57).5.1 上麻生~白川口 飛水峡を走るキハ82系特急「ひだ5号」です。 ここも撮影名所(お立ち台)です。 |
高山線(21) 1982(S57).5.1 上麻生~白川口 新緑の渓谷を走るキハ58系急行「のりくら3号」です。 この写真が、2回目の高山線訪問の最後の写真です。 |
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高山線(22) 1982(S57).11.22 飛騨金山~焼石 上の写真(21)の半年後に、また高山線を訪問しました。3回目の高山線です。 この日も、小雨に煙る高山線でした。 再び第2益田川橋梁へ行きました。 上の写真⑮と同じ編成ですね!下呂行き普通列車です。 |
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高山線(23) 1982(S57).11.22 飛騨金山~焼石 DD51の貨物列車が通り過ぎました。 この鉄橋は、たぶん第1益田川橋梁です。 |
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高山線(24) 1982(S57).11.22 白川口~下油井 夕闇迫る第1飛騨川橋梁と特急「北アルプス」です。 15:15頃と思われますが、天気が悪くかなり暗くなっていました。 これ以上の撮影は無理なので、これにて帰りました。 |
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高山線(25) 1983(S58).2.20 白川口 4回目の高山線は、「のりくら1号」に乗って出かけました。 白川口で「ひだ2号」と交換です。 白川口は良い天気でしたが、北上するに従い雪が舞い始め、宮峠の手前の久々野駅で降りたときは、一面の雪景色でした。 その写真は次の頁(高山線2)にアップします。 |
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2019(H31).1.1up | |
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参考HP:名鉄資料館2011(平成23)年特別展「廃止から10年・北アルプス号」