山形交通 高畠線 1/3   魅力的な小型電車と凸型機関車が走っていた高畠線です。    高畠線2へ   高畠線3へ

山形交通高畠線の地図 山形交通高畠線は、昔から栄えた高畠の町を奥羽線に接続させるために出来た鉄道で、糠ノ目〜高畠5.2km(左図の赤線)の電気鉄道でした。
その昔は、高畠〜二井宿5.4km(左図の青線)の路線もありましたが、1966(昭和41)年8月の水害で運転休止になり、そのまま2年後に廃止になっています。
残された糠ノ目〜高畠も1974(昭和49)年11月に廃止されました。

私とNさんが、この高畠線を訪問したのは、1973(昭和48)年3月31日でした。
全線にわたり盆地の田んぼの中を走っていた路線ですが、私にとっては忘れられない鉄道です。

なお、奥羽線の糠ノ目駅は、周りに何もない駅でしたが、その後、高畠駅と名前を変え、山形新幹線の停車駅となりました。
左の地図は、1/20万「仙台」S44.9.30(上2/3)
「福島」S44.8.30(下1/3)国土地理院発行より
↑当時の高畠線の時刻表。国鉄監修交通公社の時刻表1973年4月号より。 丸で囲んだ列車は、たぶん駅で混合列車の時刻を聞いて書いたと思いますが、記憶がありません。 下り(山形方面行き) 5:15、6:53、 8:15、10:31、13:04、15:13、16:24、17:54、19:50、22:08
上り(米沢方面行き) 7:18、8:35、10:55、13:44、16:58、18:12、18:39、20:20、21:35
   斜字はディーゼルカー、その他は客車列車
→国鉄糠ノ目駅の当時の普通列車発車時刻は右の通りで、高畠線の電車は6〜20時の上下各列車に接続していました。
上の時刻表を元に、ダイヤを引くと左図のようになります。
国鉄のダイヤは、糠ノ目停車列車のみ記入しました。紫線は急行で糠ノ目停車列車です。
国鉄の列車に合わせて、高畠線は運行されていました。
赤線
はEL牽引の混合列車、青線はEL+電車の編成でした。(1973/4/2の運行)
山形交通高畠線@

高畠〜竹ノ森 1973(S48).3.31

薄雲の中の夕日をバックに、17:13高畠に到着するモハ2号です。
後の小山に注目してください。上の地図で高畠駅の左の三角点記号のある場所です。
高畠線を俯瞰撮影できる絶好の位置にありました。

当日の午前中は山形交通三山線で撮影し、山形着が14:44でした。山形から糠ノ目へ行く列車は1時間以上ありません。糠ノ目着は16:58になります。
急行「おが1号」で赤湯へ(15:21着)、赤湯からバスで高畠に向かいました。田圃の中のバスターミナルでNさんとバスを待っていたのを覚えています。

高畠へ急いだのには訳があり、東北旅行の途中ユースホステルで会った人から、高畠16:00発の列車は、電気機関車+貨車+電車の編成で走ると聞いたので、なんとしてもその列車を撮りたいという気持ちでした。
しかし、バスが高畠に到着したのは、無情にもその列車が出発した後でした。駅で聞いたら、当日はもう貨車は動かないということだったので、しかたなく高畠駅前で旅館を探して宿に入り、荷物を置いて高畠の駅に向かいました。
高畠の駅には、先ほどいなかった電気機関車が止まっていました。よくよく考えれば16:00発の列車を牽引していったのですから、その折り返しの列車(高畠着16:51)で電車と一緒に帰ってきたんだ〜!残念無念!撮り逃した!
ガックリしながら撮ったのが左上の@です。あと22分早くこの場所にいればEL+電車の写真が撮れたのに・・・
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山形交通高畠線A Nさん撮影

高畠〜竹ノ森 1973(S48).3.31

気を取り直して、@の写真に写っている小山から撮りました。
モハ2号です。
電車の綺麗なツートン色が早春の田圃の中で映えます。
左奥が高畠駅で、その向こうに高畠の町並みが広がっています。
山形交通高畠線B

高畠〜竹ノ森 1973(S48).4.1

高畠の駅前旅館に泊まった翌日、1973(昭和48)年41日は日曜日でした。
日曜日は貨物の動きが少なく、
朝、高畠の駅で聞いたら、高畠から出荷する貨物は無しで、入ってくる貨車も1両だけいうことでした。
従って、電気機関車+貨車+電車の編成が走らないということで、曜日の巡り合わせをうらめしく思いました。



朝モヤの中を走る電車です。
日曜日の朝で、お客はあまり乗っていません。
山形交通高畠線C Nさん撮影

高畠〜竹ノ森 1973(S48).4.1

朝の風景です。朝モヤに霞む高畠の町並みが良い感じです。

上の写真Aと同じ小山の中腹からで、電車も同じモハ2号です。

登った小山を地図で調べると、相森山と書いてありました。
山形交通高畠線D Nさん撮影

高畠〜竹ノ森 1973(S48).4.1

上の写真Cと同じ、相森山の中腹からの俯瞰ですが、電車はモハ1号です。
上の写真ACと比べると、窓が少し小さいので区別ができます。
山形交通高畠線E

高畠〜竹ノ森 1973(S48).4.1

相森山の麓から北側を見て撮った写真です。
山形交通高畠線F

高畠〜竹ノ森 1973(S48).4.1

相森山の斜面には果樹園もありました。どんな果物が採れるのでしょうか?

高畠の町方向を望みます。
山形交通高畠線G Nさん撮影

高畠〜竹ノ森 1973(S48).4.1

お世話になった相森山の全景です。
上のA〜Fの写真は、この小山に登って撮りました。
次ページ以降にも、この山からの俯瞰写真がたくさん登場します。

山形交通高畠線H Nさん撮影

 高畠 1973(S48).4.1

高畠駅に停車中の凸型電機ED1号です。
右奥にいるのは、モハ3号です。
山形交通高畠線I

 高畠 1973(S48).4.1

真横から撮った凸型ED1号です。

高畠から奥の路線は既に廃止になっていましたが、駅名標の右下には「ひがしたかはた」と、まだそのまま残っていました。
山形交通高畠線J

 高畠 1973(S48).4.1

高畠線で一番小型のモハ3号です。
好ましいスタイルの元西武の電車でした。

この写真を撮ったあと、高畠駅でNさんと作戦会議をしました。
この日は夕方まで待っても、電気機関車+貨車+電車の混合列車が走らないことが分かったので、これからどうするかです。
思い起こせば3月18日に名古屋を出発し、北陸・東北の私鉄めぐりを15日間も一緒に旅行し(最初の5日間は北陸旅行のメンバーと合同で他に3人いました)、ここが最後の訪問予定地でした。
私は電機+貨車+電車の混合列車をどうしても撮りたかったので、もう1日滞在を延期することにしました。
Nさんは、それほど混合列車にこだわりがなかったようで、時刻表を調べ岩手開発鉄道へ乗りに行くと言ったので、ここで別れました。
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参考図書:
  「新・消えた轍3 東北-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング2010.8.31発行
  RM LIBRARY 3 「私鉄買収電機の系譜(上)」吉川文夫著 ネコ・パブリッシング 1999.10.1発行
  RM LIBRARY 82 「山形交通高畠線・尾花沢線」鈴木 洋・若林 宣著 ネコ・パブリッシング 2006.6.1発行