津島軽便堂写真館

豊橋鉄道 豊橋市内線 1/2       豊橋市内線2    渥美線

豊橋鉄道の豊橋市内線は、駅前~赤岩口4.8km+井原~運動公園前0.6kmで営業しています。 ↑YAHOO!地図より-廃止路線と電停を追記
かつては、駅前~市民病院前の路線があったということですが、1969(S44)年に休止、そのまま廃止されたので私は知りません。
新川~柳生橋0.9kmの柳生橋支線は1976(S51)年に廃止になったので、その写真はあります。
1982(S57)年に井原~運動公園前が開通しました。当時衰退の一途を辿っていた路面電車としては久しぶりの新線開通で、話題になりました。2005(H17)年には廃止になった名鉄岐阜市内線・美濃町線からVVVF制御車を8両導入、2008(H20)年には「ほっトラム」T1000形を導入、豊橋の町を元気に走っています。夏の「ビール電車」、冬の「おでんしゃ」は超人気で、なかなか予約が取れません・・・
←「世界の鉄道'73」朝日新聞社発行より

1972(S47)年の豊橋市内線の路線図です。

「世界の鉄道'73」の一覧表で、当時の日中の運転間隔を調べると、
・駅前~競輪場前間が6分毎
・競輪場前~赤岩口間が18分毎
・新川~柳生橋が12分毎
運賃は30円均一、新川で乗り換える場合は乗換券発行でした。(当時の国鉄の最低運賃も30円)


豊橋市内線の詳細は
 →Wiki 豊橋鉄道東田本線
豊橋市内線①

 柳生橋 1972(S47).3.27

柳生橋支線の終点です。

この背面側に渥美線の柳生橋駅があり、その先に豊橋鉄道の本社がありました。

この細面の3700形は、元名古屋市電の1200形です。
この当時は、新川~柳生橋間専属のような形で運用されていました。

3700形の詳細は
 →Wiki 豊橋鉄道3700形
豊橋市内線② 松山~柳生橋 1972(S47).3.27

柳生橋付近は細い道ですが、すぐに大通り(R259・田原街道)へ出ます。この先右側の大きな屋根は唯心寺で、その前に松山電停がありました。
豊橋市内線③ 新川~中柴 1972(S47).3.27

中柴町交差点の歩道橋から新川方向を見ました。遠くに見える電車は東田本線の電車です。
豊橋市内線←④ ↑⑤
 中柴~松山 1972(S47).3.27

中柴町の歩道橋から柳生橋方向を見ました。中柴に昔は交換設備があり、その名残が残っていました。
左の大きな屋根が唯心寺で、その右が松山電停です。
豊橋市内線⑥ Nさん撮影

 駅前 1973(S48).2.3

駅前電停の位置は、開業からいろいろ変わりましたが、1969~1998(S44~H10)年の間は、駅から少し離れた大通にありました。
豊橋市内線⑦ Nさん撮影

 赤岩口車庫 1973(S48).2.3

44年前の車庫ですが、今とあまり雰囲気が変わっていないですね。
中央の電車(旧金沢の3300形)がいる位置に建物が増築されましたが・・・
豊橋市内線⑧ Nさん撮影

 赤岩口車庫 1973(S48).2.3

名古屋市電の顔であった1400形は、1971(S46)年に9両が豊橋へ譲渡され、3100形となりました。
左奧の3800形は元名古屋市電900形で、この当時14両の営業車のうち12両が元名古屋市電、残り2両が元金沢市電でした。

右の、倉庫として使われている車体が気になりますが、旭川市街軌道から来た200形の車体です。
豊橋市内線⑨ Nさん撮影

 競輪場前 1973(S48).2.3

市内線(東田本線)は、駅前~競輪場前間が復線で、ここから先は単線になります。
市内線の営業所がここにあり、乗務員が交代します。
左に停車中の3700形は柳生橋支線用の電車で、検査のために赤岩口車庫へ回送と思われます。到着する3300形電車は元北陸鉄道金沢市内線2300形でした。
豊橋市内線⑩ Nさん撮影

 柳生橋 1973(S48).2.3

終点の柳生橋電停を出発した直後の3702号です。後方に渥美線の踏切があり、その向こうには東海道線の踏切もあります。


この3702号は、1994(H6)年にエバーグリーン賞を受賞したあと、昔の塗装を復元し「レトロ電車」と命名されました。
2007(H19)年に廃車となり、現在は豊橋市こども未来館に保存展示されています。
豊橋市内線⑪ Nさん撮影

 柳生橋 1973(S48).2.3

渥美線の電車と市内電車のコラボです。
この左側が、渥美線の柳生橋駅です。
豊橋市内線⑫

競輪場前 1975(S50).7.6

留置線と市電の営業所がある競輪場前です。
元名古屋市電(1400形)の3100形が顔を合わせました。
豊橋市内線⑬ 井原~赤岩口 1975(S50).7.6

末端の単線区間を走る3100形です。
豊橋市内線⑭ 赤岩口車庫 1975(S50).7.6

元名古屋市電900形の3800形です。最後に残った1両です。
豊橋市内線⑮ 赤岩口車庫 1975(S50).7.6

倉庫として使われていた車体です。旭川市街軌道から来た電車でした。
豊橋市内線⑯ 赤岩口車庫 1975(S50).7.6

左の写真の反対側から撮りました。豊鉄では200形でした。
豊橋市内線⑰

 新川 1975(S50).7.6

柳生橋支線が分岐する新川交差点です。
元金沢市内線2300形の3300形がカーブを曲がっていきました。
手前には柳生橋支線へ分岐する線路が写っています。
豊橋市内線⑱

 新川 1975(S50).7.6

柳生橋支線の新川電停に到着する3700形です。
豊橋市内線⑲

3700形車内 1975(S50).7.6

新川から柳生橋に向かう電車の中で撮りました。
細面の3700形の運転台です。
豊橋市内線⑳

 柳生橋 1975(S50).7.6

雨の日の柳生橋です。
豊橋市内線(21) 駅前 1982(S57).2.12

1970(S45)年に建設された豊橋ステーションビルをバックにしています。
電車は元北陸鉄道2300形の3300形です。
豊橋市内線(22) 駅前 1997(H9).10.23

この年に新駅ビルが完成しました。そして翌年2月に駅前電停は150m向こう側のペデストリアンデッキ下へ移設されました。
電車は元名鉄580形の3200形です。
←豊橋市内線(23) 駅前 1992(H4).5.10 Nさん撮影

駅前電停のホームから到着する電車を見ました。3100形です。
↓豊橋市内線(24) 新川 1997(H9).10.23

新川電停で待っていたら、3100形の回送電車が通りました。よく見ると女性が運転していましたので、慌ててアップで撮りました。
豊橋市内線(25) Nさん撮影

 駅前 1998(H10).7.19

駅前電停は、1998(H10)年2月にペデストリアンデッキの下へ移動し、乗換がとても便利になりました。
この右奧に駅前電停があります。

駅前を出発した電車は、元東京都電7000形の3500形です。
豊橋市内線(26)

 新川 1997(H9).10.23

新川交差点を曲がる3100形です(元名古屋市電1400形)。
2005(H17)年までは、豊橋市内線の主力として活躍しましたが、名鉄岐阜地区600V線の全廃により譲渡された780形にその座を譲り、順次廃車されました。
↓現在3102号1両だけが使用休止中の看板を付けて、車庫に留置中。2017(H29).5.20
◎ビール電車・おでんしゃは→次頁掲載
です
2017(H29).5.22up
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参考図書: 「世界の鉄道'73」 朝日新聞社 1972(昭和47)年10月発行
      「路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋」日本路面電車同好会名古屋支部編著 トンボ出版 1999(平成11)年6月発行