津島軽便堂写真館

豊橋鉄道 渥美線  600V→1500V昇圧の頃    豊橋市内線1   豊橋市内線2

豊橋鉄道渥美線は、豊橋駅横の新豊橋駅から、渥美半島の中心地・三河田原駅を結ぶ18.0kmの鉄道です。
1924(大正13)年に渥美電鉄として開業し、1940(昭和15)年に名鉄へ合併され名鉄渥美線となり、1954(昭和29)年に豊橋鉄道へ譲渡され、豊橋鉄道渥美線となりました。
名鉄は20数社を合併統合してできた会社ですが、合併後、唯一分離したのが渥美線です。
(分離したといっても名鉄グループの会社ですが・・・)
このような歴史なので、渥美線の古い資料は豊橋鉄道(源流は市内線の豊橋電気軌道)に残っておらず、田原市博物館が三河田原駅開業90周年企画展「渥美線-渥美半島と外界をつなぐ鉄路の物語」を開催するとき、資料集めに苦労されたようです。
渥美線の詳細は→
Wiki渥美線参照

現在の車両は、元東急のステンレス車に統一され、中小私鉄としては近代的な路線となりましたが、その第一歩は1997(平成9)年に実施された600V→1500V昇圧でした。その頃の写真をご覧ください。

←Y
AHOO!地図より-駅名等を追記
渥美線① Nさん撮影

 芦原 1973(S48).2.3

芦原駅の少し高師寄りです。
田口線の廃止と共に、田口線から転属してきたモ1710形1713号です。

なお、田口線も発祥は田口鉄道で、1956(昭和31)年に豊橋鉄道と合併、1968(昭和43)年に廃止されました。
田口線の詳細は→Wiki田口線参照
渥美線② Nさん撮影

芦原~植田 1973(S48).2.3

渥美線のお立ち台・梅田川橋梁を渡るモ1721-1721です。
元名鉄の3800系の車体に、国鉄の下回りを組み合わせて出来た電車です。
渥美線③ Nさん撮影

 三河田原 1973(S48).2.3

終点の三河田原駅です。
昔は、ここから2.8km先の黒川原まで線路が延びていましたが、1944(昭和19)年に三河田原~黒川原間が不要不急路線として運転休止され、復活することなく10年後に廃止されました。
一番左の貨車の隣にデキ200形、その右に元気動車のク2400形、一番右は元西武多摩湖線のク2310形です。

↓2015(H27).1.12
三河田原駅は、2013(H25)年に建築家・安藤忠雄氏の設計した立派な駅舎が完成しました。
渥美線④

 新豊橋 1982(S57).2.12

豊橋駅の貨物ホーム横に、豊橋鉄道のターミナル新豊橋駅がありました。
渥美線の歴史を辿ると、1927(昭和2)年に出来た新豊橋駅は駅前の道路上にありました。高師付近も道路上を走り、軌道法により運営されていましたが、線路を専用敷きに付け替え、1931(昭和6)年に地方鉄道に変更されました。

↓2015(H27).1.12
新豊橋駅は、2008(H20)年に西(左写真の右方)へ約50m移転し、線路も2線になり、立派で乗換便利な駅となりました。
渥美線⑤

新豊橋~柳生橋 1982(S57).2.12

豊橋駅の南にあったトラス跨線橋の下をモ1800-1850形がくぐります。
元愛電の大ドスと呼ばれた3300系の一派です。
愛電デハ3600形として登場し、名鉄合併後3350形と名を変え、廃車後、車体が豊橋鉄道へ譲渡されました。(下回りは、名鉄がHL車に流用したので、国鉄の廃車部品を利用しています)
この当時は2扉でしたが、後に3扉に改造されて600V時代の最後(1997/H9年)まで残りました。
渥美線⑥

新豊橋~柳生橋 1982(S57).2.12

元長野電鉄の電車で、この当時の渥美線では近代的な車体のク2810形-モ1810形です。

横では、DE10形機関車が貨物の入換に励んでいました。

上の写真⑤に見えるトラス跨線橋の上から撮りました。
渥美線⑦

新豊橋~柳生橋 1982(S57).2.12

上の写真⑥を撮ってから、振り向いて通り過ぎた電車を撮りました。
渥美線⑧

新豊橋~柳生橋 1997(H9).6.26

上の写真④~⑦の15年後です。
渥美線と東海道線の間に挟まれた貨物側線が撤去され寂しい感じになっています。

渥美線は、1997(H9)年7月2日に600Vから1500Vへ昇圧されました。
600V車両最後の活躍を撮ろうと、昇圧1週間前に渥美線を訪問しました。


元名鉄の3730系+5200系(豊鉄では1750系+1900系)4連が来ました。
渥美線⑨

新豊橋~柳生橋 1997(H9).6.26

上の写真⑧と同じ編成です。
撮影場所は⑥と同じですが、貨物側線の撤去により、寂しい感じです。


1750系(1751-2751)は、元名鉄3730系(モ3755-ク2755)は1981(昭和56)年に名鉄から豊橋鉄道へ譲渡され、1500V→600Vに降圧改造後に使用開始。その後、冷房化と低運転台化改造が行われて、昇圧まで使用されました。
600V時代の冷房車は、この1750系2両と1900系(元名鉄5200系)12両の計14両で、残り10両は非冷房でした。
渥美線⑩

新豊橋~柳生橋 1997(H9).6.26

渥美線600V時代の花形電車1900系です。 トラスの跨線橋から新豊橋方向を見ました。

1900系は元名鉄のSR車5200系です。
名鉄では冷房改造が困難という理由で1986~87(昭和61~62)年に全12両が廃車となり、台車などの主要機器を再利用して5300系を新造しました。
その5200系の車体(2両×6本)を譲り受け、国鉄101系の台車(DT-21)・モータ(MT46)等の中古機器を組み込み、冷房装置+電源装置(SIV)は路面電車用に開発された新品を取り付け、見事に600Vの冷房車1900系として完成させたわけです。この改造を自社(+子会社の豊鉄建設)で成し遂げたのは立派ですね!

1900系の登場により、上の写真①~③に写っている旧型車は廃車となりました。
渥美線⑪

 新豊橋 1997(H9).6.26

新豊橋駅に停車中の1900系です。
豊橋駅の近くですが、別世界という感じがしました。

ホーム左横の草むらは貨物ホームの跡地です。その跡地活用で、新豊橋駅は2008(H20)年に約50m左(西)方向へ移設され、立派な駅になりました。
渥美線⑫

 高師 1997(H9).6.26

高師駅南の踏切から車庫方向を見ました。
1500V昇圧直前の風景です
(7.2昇圧)。搬入された7300系の姿も見えます。

600V時代末期は2両×12本の24両の電車で運用されていました。昇圧時は全車両を一斉に置き換える必要があり、絶好のタイミングで名鉄7300系が全車廃車となり、28両譲渡してもらいました。
名鉄7300系は2両×9本+4両×3本の計30両の所帯だったので、中間車2両を除き、残り全てが豊鉄へ来たわけです。 昇圧約1週間前ですので、終電後に600Vを1500Vに切り換えて試運転が行われていたと思います。
右に留置のモ1800-1850形は、元愛電の3350形ですが3扉に改造されていました。
渥美線⑬

 高師 1997(H9).6.26

上の写真⑫とほぼ同じ場所から拡大して取りました。
左端のモーターカーを除いて、元名鉄電車が勢揃いしました。
7300系は、名鉄時代の赤一色を生かしてクリーム帯を巻きましたが、一部の車両は青色の「なぎさ号」、黄色の「なのはな号」になりました。
渥美線⑭

 高師 1997(H9).6.26

元名鉄の5200系改め豊鉄1900系も最後のがんばりです。

昇圧のしばらく後に1900系は廃車になり、台車・主電動機・集電装置と冷房装置+電源装置(インバータ)は、福井鉄道600形へ再利用されました。
(京福電鉄・福井支社にも譲渡されたようです)

福井鉄道600形は、名古屋地下鉄の1100形・1200形を名鉄住商で改造しましたが、軌間が異なるため台車が必要で、冷房化も必須だったので、廃車発生品を安価に譲渡してもらいました。

その工事を私が担当したので、豊鉄高師車庫を時々訪問しました。当時は豊鉄も名鉄と同様に技術部門を子会社化し、車庫で働く人々は豊鉄建設社員(豊橋鉄道から出向)でした。
渥美線⑮

 高師 1997(H9).6.26

高師駅の北に留置された元東急車の1730系です。(上の写真⑭の奥の方にも写っています)

昔、高師駅からユニチカの工場へ専用線があって、電車が留置してある線路がその一部です。この先、右の森をカーブしながら通り越し、先へ延びていましたが、既に廃止されていました。
渥美線⑯

 高師 1997(H9).6.26

高師駅を北側から見ました。
元長野電鉄の2811号です。

右奥にデキ211号が、その左には元西武の1701-2701号がいました。
渥美線⑰

 高師 1997(H9).6.26

デキ210形211号です。好ましいスタイルの凸型電機でした。
1923~25(大正12~14)年製の愛電デキ360形で、小柄で非力だったため名鉄合併後も600V線区の入換用などに使用されました。3両の仲間のうち、デキ362号は1950(昭和25)年から(名鉄)渥美線所属となり、1954(昭和29)年に渥美線と共に豊橋鉄道へ譲渡されました。
その後、改番され211号となりました。


1984(昭和59)年に渥美線は貨物輸送を廃止し、電気機関車も数両廃車になりましたが、この211号と後ろのデワ11号は事業用として残りました。
この直後の昇圧により廃車されましたが、幸いなことに2両とも保存されました。
渥美線⑱

 高師 1997(H9).6.26

電動貨車のデワ11号です。
木造の2軸車です。

私は、こんなゲテモノ車両が大好きです!
渥美線⑲

花田貨物駅 1972(S47).3.27

貨車の入換に活躍していた頃のデワ11号です。
新豊橋~柳生橋間に花田貨物駅があり、国鉄との間で貨車の受け渡しを行っていました。デワ11号はその入換を担当していました。

市内線の柳生橋支線を乗りに行ったついでに1枚だけ撮った写真です。この当時の渥美線には貨物列車がかなり走っており、5種5両の電気機関車と1両の電動貨車が活躍していました。それらの写真を何故撮らなかったのか・・・今更ながら悔やみます。
渥美線⑳

サンテパルク田原 2016(H28).5.15

三河田原駅から約8キロの所にある公園「サンテパルクたはら」に保存されているデキ211号とデワ11号です。

廃車翌年の1998(H10)年に保存されたとのことで、保存後18年経過していますが驚くほど綺麗な状態でした。また、自由に車内へ入れたことも嬉しかったです。
サンテパルク展示車両の説明看板です。

←渥美線(21・22) サンテパルク 2016(H28).5.15
↑渥美線(23) サンテパルク田原 デワ11号車内 2016(H28).5.15

なかなか見られない電動貨車の車内です。
→渥美線(24) サンテパルク田原 デワ11号運転台 2016(H28).5.15

運転台にはドラムコントローラ(直接制御器)と手ブレーキしかありません。シンプルです!
渥美線(25)

高師 2000(H12).11.5

高師を出発した7300系「なのはな号」です。
1997(H9)年7月の1500V昇圧と共に、渥美線の車両は元名鉄7300系に統一されました。(豊鉄でも7300系)
7300系は、昭和20年代の電車の足回りを再利用して、支線特急用に1971(昭和46)年に新造された、抵抗制御・吊り掛けモーター・自動ブレーキの転換クロスシート冷房車です。名鉄では1993(H5)年からVVVF制御車3500系を登場させ、毎年大量増備をして、旧型のHL・AL車の淘汰を進めていました。その中で数が多く、状態が良かった7300系が豊鉄へ譲渡されました。
転属した7300系は、名鉄時代に比べ駅間が短く、特に新豊橋~高師間は抵抗が抜けきらないうちにブレーキをかける走行が続き、抵抗器に負担がかかりすぎ、当初は抵抗器故障が多発。そのため、抵抗器を新設計のものに取り替えました。

1500V昇圧後、スピードアップと12分間隔運転が行われましたが、列車が遅延しダイヤ通りに走れず、すぐに元の15分間隔に戻されました。

2000(H12)年に東急のステンレス車7200系が廃車になりました。2扉クロスシート・吊り掛けM・自動ブレーキ車の元名鉄7300系より、3扉ロングシート・カルダン駆動・電磁直通ブレーキの東急ステンレス車のほうが使い勝手が良いので、、名鉄7300系導入後まだ3年でしたが、早速東急ステンレス車の導入を決めたようです。
東急からステンレス車が搬入され、高師の留置線に置いてありました(写真25・左)。
この年から豊鉄1800系として3両×9本への置き換えが短期間で完了し、7300系は2002(H14)年に全て引退しました。
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渥美線(26)

新豊橋~柳生橋 2000(H12).11.5

貨物側線跡はススキ野原になっていました。
青いなぎさ号が新豊橋へ到着します。
渥美線(27)

新豊橋~柳生橋 2000(H12).11.5

新豊橋駅を出発した7300系です。
ホーム上屋が左端に写っていて、手前は草ボーボーです。

この頃からすれば、今は駅も車両も、見間違えるほど近代化されました。
渥美線(28・29) 高師~南栄 2000(H12).11.5

渥美線で活躍する7300系最後の写真です。豊橋鉄道での活躍期間は短かったですが、1500V昇圧や全車冷房化を達成するなど、それなりの役割を果たしたと思います。
↓搬入された東急7200系が留置線で待機中!
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参考図書:「渥美線-渥美半島と外界をつなぐ鉄路の物語」三河田原駅開業90周年企画展・図録 2014(平成26)年・田原市博物館発行
     「世界の鉄道'75」 朝日新聞社 1974(昭和49)年10月発行