津島軽便堂写真館

南海 平野線 大阪軌道線       南海大阪軌道線へ    阪堺電軌

国土地理院1/25,000
大阪東南部
S48.10発行より

南海平野線
(今池~平野5.9km)を緑色に塗り、平野線の電車が直通していた阪堺線恵美須町~今池間を青色に、上町線天王寺駅前~阿倍野間を水色に塗りました。
平野線の全駅(停留所)に赤丸を付け、駅名を記入しました。

平野線は1980(昭和55)年11月28日に廃止されました。現在は、ほぼ全線が阪神高速の橋脚の下に位置し、昔の面影を探すのは極めて困難です。
railbusさんは、1968(昭和43)年と1974(昭和49)年に平野線を訪問し、下町情緒あふれる沿線写真を撮られました。その素晴らしい写真と解説文を提供していただき、私が追記しました。ご覧ください。

railbusさんのHPは↓
南海 平野線① railbusさん撮影

天王寺
駅前~阿倍野 1968(S43).10.19

平野から来たモ161形(165)は、もうすぐ終点・天王寺駅前で、車掌さんが顔を出しています。
右は大阪市バス、ゼブラ模様の旧塗装。

モ161形は車体長13.7mの大型車で、1928~31(昭和3~6)年に161~176の16両が製造され、現在も数両が現役で、営業線を定期運行される電車としては最古です。
南海 平野線② railbusさん撮影

 阿倍野 1968(S43).10.19

ここから終点・平野までは専用軌道。右の不動産屋がレトロで、踏切小屋もありました。
小型電車モ205形(249)のT字ビューゲルが素敵ですね。

モ205形は車体長11.1mの小型車で、1937~47(昭和12~22)年に、205~250の46両が製造されました。
南海 平野線③ railbusさん撮影

平野~西平野 1974(S49).3.17

民家に囲まれた軌道をモ301形(305)が走ります。つきあたりが終点の平野です。

モ301形(301~307)は、モ151・161形の制御器を改造したときに誕生した形式。従って車体形状は同じ。
南海 平野線④ railbusさん撮影

平野~西平野 1974(S49).3.17

古枕木を使った柵の向こうをモ161形(171)が走ります。
南海 平野線⑤ railbusさん撮影

 西平野 1974(S49).3.17

ホームに自転車が無造作においてある西平野駅にモ301形(307)が到着します。
↑南海 平野線⑥ railbusさん撮影

 西平野 1974(S49).3.17

切符売り場を兼ねた新聞雑誌販売店がありました。

戦後間もない頃の風景を切り取ったような、なんとも言えぬ素晴らしい写真です。私の心にググッときました。
南海 平野線⑦ railbusさん撮影

 西平野 1974(S49).3.17

平野行きホームです。系統番号いろはの[は]
モ351形(351~355)は、旧型車の電機品を使い、大阪市電と似た車体を新造しました。
南海 平野線⑧ railbusさん撮影

 西平野 1974(S49).3.17

踏切で待つ人々。
モ161形(173)の天王寺駅前行きが出発しました。
南海 平野線⑨ railbusさん撮影

西平野~中野 1974(S49).3.17

柳の木がある沿線風景。
南海 平野線⑩ railbusさん撮影

西平野~中野 1974(S49).3.17

植え込みのある下町風景です。
モ121形(125)が通り過ぎました。

南海 平野線⑪ railbusさん撮影

 中野 1974(S49).3.17

上りホームです。
天王寺駅前行きのモ161形(171)が停車中。
南海 平野線⑫ railbusさん撮影

 中野 1974(S49).3.17

踏切を渡る自転車のカップル。最高のショットです。

ホームの待合室、映画の看板、駅前食堂、自転車二人乗りのアベックなど懐かしい昭和の風景がギッシリ詰まった写真ですね!
南海 平野線⑬ railbusさん撮影

 中野 1974(S49).3.17

上の写真⑫の続きです。
下り電車(平野行き)が到着しました。
南海 平野線⑭ railbusさん撮影

 中野 1974(S49).3.17

上の写真⑫⑬の続きです。
上りホームから平野方を向き撮影しました。白梅が咲いていました。
南海 平野線⑮ railbusさん撮影

 中野 1974(S49).3.17

上りの電車を望遠で撮影しました。背景に生駒の山並みが見えます。
南海 平野線⑯ railbusさん撮影

天王寺駅前 1974(S49).3.17

電車を待つ人の列。
平野線(手前)と上町線の乗り場が別れていました。

モ151形は1927(昭和2)年に151~160の10両が製造されましたが、一部は161形・301形に改造され、最後まで残ったのは151~154の4両。
左の306号も、改番前は153号。
詳細は→Wiki阪堺電軌151形参照
南海 平野線⑰ railbusさん撮影

阿倍野~飛田 1974(S49).3.17

阿倍野交差点の近くです。

モ121形(121~130)は、元大阪市電の1601形です。モ151・161形とほぼ同じ寸法の大型車でした。

行先板(円板)は、
平野~恵美須町が白地に黒文字、
平野~天王寺駅前が青地に白文字でした。
南海 平野線⑱ railbusさん撮影

阿倍野~飛田 1974(S49).3.17

平野線の恵美須町行きが通る区間では、阿倍野~飛田間が唯一の併用軌道でした。
(天王寺駅前行きは阿倍野~天王寺駅前間が併用軌道)

路側に駐車が並ぶ大阪らしい風景です。
南海 平野線⑲ railbusさん撮影

阿倍野~飛田 1974(S49).3.17

上の写真⑱の続きです。
背景に右書きの看板「国産瓦斯器具陳列所」
南海 平野線⑳ railbusさん撮影

阿倍野~飛田 1974(S49).3.17

阪神高速14号松原線の橋脚が建設中です。
線路は、坂の下で右へカーブして専用軌道に入り、すぐに飛田電停です。
南海 平野線(21) railbusさん撮影

阿倍野~飛田 1974(S49).3.17

上の写真⑳の続きです。
通り過ぎた355号を追って、東を見ています。電車は長い坂道を登っていきました。
南海 平野線(22) railbusさん撮影

阿倍野~飛田 1974(S49).3.17

坂道を下りて飛田に向かう、恵美須町行き301形(307)です。
南海 平野線(23) railbusさん撮影

阿倍野~飛田 1974(S49).3.17

ここで併用軌道から離れて専用軌道に入り飛田電停です。
この先、阪堺線との合流点・今池に向かいます。
南海 平野線(24) railbusさん撮影

阿倍野~飛田 1974(S49).3.17

飛田電停から東を見ました。
古きよき時代の飛田の面影が残っています。
和服の女性に昭和らしさを演出していただきました。
飛田付近は全ての建物が新しくなっていて、昔の様子を偲ぶものは皆無です。


いかにも昭和の大阪という写真がいっぱいありましたね! さすがはrailbusさんです!
railbusさんのHPもご覧ください↓
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参考図書 : 「世界の鉄道'73」 朝日新聞社 1972(昭和47)年10月発行