津島軽便堂写真館

名鉄モ600形保存---3題

名鉄美濃町線用モ600形は、600Vの美濃町線から1500Vの各務原線新岐阜駅へ直通するため製造された複電圧車両です。
1970(昭和45)年6月に6両(601~606)が製造され、2000(平成12)年9月に604・605、10月に601、12月に602・603の計5両が廃車となりました(モ800形の導入等による)。このうち605→清見村(2000.10.19)、601→旧美濃駅(2000.10.25)、603→岐阜市内・手力(2002.1.30)に保存されました。
この保存工事を名鉄の車両系子会社の『名鉄住商工業』が請け負いました(輸送は日本通運などの専門業者)。名鉄住商工業は2005(H17).3.31に会社を解散し、資料などは廃棄されましたが、写真の一部を名鉄住商の社員だった私が譲り受けました。その中に600形の保存の写真がありましたのでご紹介します。 なお最後まで残った606号は岐阜地区の600V線が全廃される2005(平成17)年3月末まで残り、廃車となりました。
その1  清見村の飛騨フォレストビレッジへ605号を保存
奥美濃の郡上八幡と飛騨高山を結ぶ道路は、飛騨せせらぎ街道と呼ばれ、その途中の清見村(現・高山市清見町)の飛騨フォレストビレッジ(左地図の赤丸印、名鉄系の子会社が経営)に、名鉄モ600形605号が保存されました。
2000(H12).10.18に岐阜工場を搬出、翌日に飛騨フォレストビレッジへ搬入しました。
名鉄住商の請負内容は、車内の座席撤去と、岐阜工場から飛騨フォレストビレッジへの輸送・据付でした(輸送・据付は日本通運に委託)。搬入後の車内改装(カラオケハウス化)はフォレストビレッジ側で工事を行いました。しかし、あまり長続きせず、10年程でフォレストビレッジは廃業、605号も大雪で横倒しになり解体されたとのことです。
600形保存1-① 清見村 2000(H12).10.19

据付用路盤工事は、飛騨フォレストビレッジ(林本建設)が施工しました。車体搬入に先立ち、まず台車を据え付けました。
600形保存1-② 清見村

 2000(H12).10.19

飛騨せせらぎ街道から別れて、飛騨フォレストビレッジに向かう山道です。
狭い道なので、電車(605)の後ろで舵取りをしながらトレーラー輸送しました。
600形保存1-③ 清見村

 2000(H12).10.19

この三差路を右に曲がり急な坂道を上ったところが保存場所ですが、鋭角状になっていて直接曲がれないため、トレーラーは一旦通り過ぎて停車、スイッチバックします。
曲がった先が急な坂道になっており、凹んだ交差点を電車輸送のトレーラーはうまく曲がれないので、枕木と鉄板で通れるように養生します。
(日通が事前調査し、養生用の材料も持ち込みました。さすがはプロ集団です)
600形保存1-④ 清見村

 2000(H12).10.19

牽引のトラクターを逆方向(手前側)につなぎ換え、トレーラー(電車)は手前側にスイッチバックし、養生鉄板の上を左へ曲がります。
600形保存1-⑤ 清見村

 2000(H12).10.19

上の写真の続きです。
トラクターに牽引され、急な坂を上がります。

フォレストビレッジ入口の看板があります。
600形保存1-⑥ 清見村

 2000(H12).10.19

石畳の急な坂道をゆっくり上がっていきます。
600形保存1-⑦ 清見村

 2000(H12).10.19

急な坂を上り、フォレストビレッジの中心に到着しました。600形を据え付けるのは、ここから向こう側の未舗装の狭い道の先です。
急な下り坂になるため、後ろ側にもトラクター(トラック)を準備し、連結器とロープで結び、後ろから引っ張ることによりブレーキをかけます。
600形保存1-⑧ 清見村

 2000(H12).10.19

605はトラクターに牽引され、向こう側へ坂道を慎重に下ります。手前側のトラクターも605をロープで引っ張りながら、ゆっくりバックしています。

狭い山道の下り坂を安全に輸送するための見事な連係です。
600形保存1-⑨ 清見村

 2000(H12).10.19

やっとの思いで据付場所に到着した605号が、クレーン2台で吊り上げられ予め設置した台車の上に載せられます。
600形保存1-⑩ 清見村

 2000(H12).10.19

据付が完了した605号です。

改めて写真を見直すと、よくこんな辺鄙な所まで電車を運んだものだ!と感心します。

さすがはプロの輸送集団です!
その2  旧美濃駅601・512号を保存
美濃町線の美濃駅は1999(平成11).4.1に廃止されました(新関~美濃間が廃止)。美濃駅はそのまま残されていたので、美濃市からの要望で601号と512号を美濃駅で保存することになりました。2両とも車内をイベントで使えるように座席を撤去し、車内を含めた車両全体を綺麗に化粧直し(全塗装)して、旧美濃駅へ保存しました。
600形保存2-① 岐阜工場

 2000(H12).10.24

岐阜工場(市ノ坪)で601号をトレーラーに積み込みました。

605号を清見村へ搬出した6日後の2000(平成12).10.24に、601、512の2両を搬出しました。
600形保存2-② 旧・美濃駅

 2000(H12).10.25

旧美濃駅へ601号の搬入です。
車体はもちろんですが、床下も台車も綺麗に塗装してあります。

搬入の際、ホームの外側に架設レール(鉄板にレールを仮止め)を敷き、そこでクレーン作業を行い、
600形保存2-③ 旧・美濃駅

 2000(H12).10.25

車体を台車の上に載せた後、屋根上にパンタグラフの取付です。
この後、車両をホームの保存場所へヒッパラーで引きずり込みました。(連結器部分にワイヤーが掛かっている)
600形保存2-④ 旧・美濃駅

 2000(H12).10.25

601の搬入・据付が完了した後、512の搬入作業です。
601と同様な作業手順で行いました。
600形保存2-⑤ 旧・美濃駅

 2000(H12).10.25

美濃駅ホームへの搬入・据付工事が完了した601と512です。
600形保存2-⑥ 旧・美濃駅

 2000(H12).10.25

601・512の搬入・据付が終わった旧美濃駅の全景です。

廃線から1年半経過していましたが、廃線跡のバラストはそのまま残っていました。
600形保存2-⑦ 旧・美濃駅

 2000(H12).10.29

車両搬入の4日後、関係者が出席して旧美濃駅オープニング式、車両授与式が行われました。

名鉄の取締役から、美濃市長(たぶん)へ何か手渡されています。写真を見ると通票キャリア(ケース)のようです。
600形保存2-⑧ 旧・美濃駅

 2000(H12).10.29

テープカットです。

赤い胸章リボンが名鉄関係者、白が美濃市関係者です。
600形保存2-⑨ 旧・美濃駅

 2000(H12).10.29

601の車内です。

保存車両内でバザーや演劇ができるように、車内のイスを撤去してほしいと美濃市から要望があったので、イスを撤去、床にはローンテックス(鉄道用床材)を塗りピカピカになりました。
600形保存2-⑩ 旧・美濃駅 2000(H12).10.29

駅のホームでは朝市が開催されました。
600形保存2-⑪ 旧・美濃駅 2000(H12).10.29

512号の車内ではリサイクル品のバザーが開催されました。
600形保存2-⑫ 旧・美濃駅

 2016(H28).10.23

車両保存から16年経過した旧美濃駅です。
保存車両も増え「旧美濃駅保存会」のご尽力により、綺麗な状態を保っています。

右からモ593、モ512、モ601、モ876です。モ876は元札幌市電の連接車で先頭部分だけが保存されています。

モ876は2021(令和3)年5月に
札幌市電の色に塗り替えられました(期間1年の予定)。
600形保存2-⑬ 旧・美濃駅

 2016(H28).10.23

美濃駅の立派な駅舎も、綺麗な状態で保存されています。

この駅舎とホーム・線路は、登録有形文化財に指定されています。
 その3  手力の飲食店へ603号を保存
605号と601・512号は、上記のように廃車となってすぐに譲渡されました。それ以外の廃車車両は岐阜工場に留置されていました。
しばらくして、岐阜市内手力付近の会社経営者から、603号を譲り受けてレストランにしたいという要望がありました。当時の名鉄の廃車担当責任者は、廃車解体にも費用が掛かるので、売れるところがあればドンドン売ってほしい。譲渡価格は「くず鉄」代相当で十分という方針でした。
実際には、かなりの輸送費が必要なので、保存用の車両整備も含めて、名鉄住商工業が一括で請け負うわけですが、輸送費の占める比率が圧倒的です。それまで車両輸送は全て日本通運に発注し、十分に満足できる仕事をしてもらっていましたが、唯一の欠点は値段が高いことでした。ちょうどその頃、丸登運送という会社から車両輸送の売り込みがありました。話を聞くと、種子島でロケットの輸送をしているということで、日通よりかなり安くなることが分かりました。
客先から、価格を抑えてほしいと要望があり、輸送距離が短く、廃車体の輸送なので、試験的に使ってみることにしました。(安全・確実に輸送出来るか確認) 結果的には満足できる内容だったので、その後の車両輸送は丸登運送を主に使うようになりました。
600形保存3-① 手力大橋

 2002(H14).1.25

603号が保存される場所は、左のブルーシートが敷いてある所です。
保存場所の整地とレール敷設も、名鉄住商工業の建設部門が請け負いました。

最寄駅は各務原線手力駅で、岐阜工場から約4kmの位置です。

右の道路のすぐ向こう側で境川を越しています。その橋が手力大橋です。

なお、この仕事は私が担当したので、写真がたくさんあります。
600形保存3-② 岐阜工場

 2002(H14).1.29

岐阜工場から搬出される603号です。車体外板は綺麗に塗装をしました。これからクレーンで吊り上げられます。

隣には754号がいます。
この754号は、この2年後に瀬戸蔵へ保存されました。
600形保存3-③ 岐阜工場

 2002(H14).1.29

トレーラーに載った603号です。

このまま岐阜工場内で待機し、輸送距離が約4kmと短いので、翌日の早朝に輸送しました。
(私も岐阜工場に泊まり、伴走しました)
600形保存3-④ 岐阜工場

 2002(H14).1.29

廃車になった貨車ト15号をトラックに積み込みました。

この貨車は、貨物鉄道博物館構想のあった三岐鉄道へ譲渡されました。輸送費を節約するため、603号の搬出日に合わせて搬出しました。
600形保存3-⑤ 手力大橋

 2002(H14).1.30

トレーラーで、据付場所の横へ搬入しました。
600形保存3-⑥ 手力大橋

 2002(H14).1.30

まずは、台車をレール上へ降ろします。
600形保存3-⑦ 手力大橋

 2002(H14).1.30

いよいよ車体を吊り上げて、据付です。
近所の幼稚園児が応援に駆けつけて、ヨイショ!ヨイショ!と声援を送ってくれました。
(施主が事前に幼稚園へ連絡したようです。)
600形保存3-⑧ 手力大橋

 2002(H14).1.30

同上

歩道橋の上からも見守ります。
600形保存3-⑨ 手力大橋

 2002(H14).1.30

据付作業の最後は、パンタグラフの取付です。
(輸送時の高さ制限に支障するので外しました)
600形保存3-⑨ 手力大橋

 2002(H14).1.30

パンタグラフは、ちょうど良い高さになるよう固定し、車体の周りをブルーシートで覆いました。

この後、電車の横にバーベキューハウスが急いで建設され、2ヶ月後には開店しました。
600形保存3-⑩ 手力大橋

 2002(H14).3.31

バーベキューハウスが開店して間もない頃です。
600形保存3-⑪ 手力大橋

 2002(H14).3.31

バーベキューハウスの中です。

食べ物・飲み物を購入し、電車の横のコンロで焼いて、電車内へ持ち込んで食べる方式でした。

この日は、開店後の様子を見るのを兼ねて、家族でバーベキューを食べに行きました。
600形保存3-⑫ 手力大橋

 2002(H14).3.31

603号車内は賑わっていました。

電車内でビールを飲みながら、焼きたての肉や魚介類を食べるという幸せな時間でした。

しかし、この店も長続きせず閉店し、業種変更が行われたようです。その後、電車も撤去され、現在は跡形もありません・・・
600形は上記のように3両が保存されましたが、既に2両は解体され、旧美濃駅の601だけが残っています。

600形現役時代の写真は
  →美濃町線
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参考図書:『名古屋鉄道車両史』下巻 清水武・田中義人著 アルファベータブックス 2019(R1).9.10発行