津島軽便堂写真館

名鉄岐阜線の記憶 1955-70    2022(令和4)年11月22日発売

鉄道趣味界のレジェンド「白井昭さん」は1927(昭和2)年生まれの95歳でお元気です。その白井さんが1955~70(昭和30~45)年に撮影した名鉄の岐阜線(=岐阜市内線+高富線+鏡島線+美濃町線+揖斐線+谷汲線)の写真集です。数多くのネガの中から私が写真を選択し、解説を担当しました。

名鉄岐阜線は、岐阜を中心としたネットワークがありましたが、昭和35年から平成17年(1960~2005年)にかけて全て廃止されました。昭和30年代は岐阜の電車の全盛期で、岐阜市街地周辺を電車が縦横無尽に走り回っていました。それらの電車を白井さんは頻繁に訪れ写真を撮っています。当時はカメラが貴重品で、フィルム(白黒)の値段も高かったので、国鉄の汽車ならともかく、名鉄のローカル電車を撮る人はほとんどいなくて、貴重な記録です。
その中でも、白井さんは4輪単車が大好きで、単車が走っていた岐阜市内線・高富線は何度も訪れ、数多くの写真を撮りました。
高富線は1960(昭和35)年に廃止・バス化されましたが、廃線跡をバス専用道にするなど、現在のBRT(バス・ラピッド・トランジット=バス高速輸送システム)の先駆けでした。高富線の廃止直前や、バス化直後の記録は貴重です。
ぜひ、書店でご覧ください。

←表紙
新岐阜駅前 1958(昭和33)年9月 白井昭さん撮影
新岐阜(現・名鉄岐阜)駅間電停に停車している長良北町行きのモ30形。その前方(右)には忠節行きを待つ乗客。当時の岐阜市内線はこのような小型の4輪単車が主役でした。
B5判 ・ 176ページ ・ モノクロ写真約350枚
定価 2,000円+税(税込 2,200円)


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      白黒写真は白井昭さん撮影

名鉄岐阜線の記憶 P34

岐阜市内線 本町 1962(S37).7

金華山・岐阜城を背景に本町の古い町並みを走るモ10形12。
1914(大正3)年、美濃電気軌道時代に製造された4輪単車で、1967(昭和42)年7月まで活躍しました。
名鉄岐阜線の記憶 P68

高富線 戸羽川~三田洞 1958(S33).9

高富街道踏切。当時の岐阜と高富間の交通路は、高富線と未舗装の高富街道だけでした。その2本が交差していた踏切。高富線で唯一の遮断機付き踏切で、踏切警手が遮断機を操作しました。踏切の右の建物が踏切警手小屋。当時、名鉄線にまだ警報器付き踏切はなく、大きな踏切には踏切警手が常駐し、遮断機を操作しました。
名鉄岐阜線の記憶 P82

高富線 戸羽川~三田洞 1960(S35).9

上の写真の2年後の同じ場所。
高富線は1960(昭和35)年4月22日に廃止、バス化されました。
戸羽川~高富間の廃線跡はバス専用道となり、3ヶ月後の8月2日からバスが走り始めました。この専用道は後に一般道化され、岐阜と高富を結ぶ幹線道路となりました。
この場所を現在の地図で探すと岩崎花立交差点(下の写真)。
上の写真と同じ場所-現在

Googleマップストリートビューより

上の写真から62年以上経過し、昔の面影が全く残っていません。

遠くに見える山だけが昔のままです。
このように風景は全く変わってしまいました。
『名鉄岐阜線の記憶1955-70』を片手に廃線跡めぐりをされてはいかがでしょうか。
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名鉄に関する本は、他にも 『名古屋鉄道車両史』『名古屋鉄道の貨物輸送』があります。
2022(令和4)年11月22日の中日新聞夕刊に紹介記事掲載
  →名鉄岐阜線、後世に 1950〜70年代撮影の写真集、OBの95歳:中日新聞Web (chunichi.co.jp)