この地図は20万分の1
 「飯田」国土地理院 昭和43年3月30日発行(上半分)
 「豊橋」国土地理院 昭和44年11月30日発行(下半分)

東濃鉄道 駄知(だち)  土岐市から東駄知まで10.4kmを走っていた電車

東濃鉄道・駄知線は中央線の土岐市駅から、東駄知駅まで10.4kmを結んでいた鉄道でした。(青い線)
1972(昭和47)年7月13日の集中豪雨で、土岐市を出てすぐの土岐川橋梁が流され運転休止となり、そのまま2年後に廃止になっています。
突然の休廃止であったため、まともに写真を撮りに行かずに終わってしまいました。当時の駄知線は、割と健全な中小私鉄で、まだ廃止の噂はありませんでした。
それよりも北恵那鉄道の方が危うい状況でしたし、中央線中津川以北の蒸気機関車D51もそろそろ電化完成が近づき引退間近となり、明知線のC12と共に、なくなりそうなものが近くにたくさんありました。それ故ついついそちらを優先してしまいました。

左の地図には新多治見〜笠原の笠原線(4.6km)も書いてあります。こちらは1971(昭和46)年に旅客営業を終了しており、私は乗っておりません。
貨物営業は1978(昭和53)年まで残りましたが撮らずに終わってしまいました。  →笠原線はこちら
  東濃鉄道・駄知線@

駄知 1972(昭和47)年7月2日

1972(昭和47)年7月2日に北恵那鉄道の写真を撮ろうと思って出かけたついでに、東濃鉄道駄知線に乗り、駄知駅で写真を撮りました。
北恵那鉄道が昼間の運行をやめ、朝夕しか電車が走っていなかったためのスケジュールでした。

この日は、なんと運転休止になる日の11日前でした!

土岐市から乗った電車を駄知駅で降り、東駄知へ向けて出発した電車を撮りました。
駄知駅はスイッチバック駅で、電車の左側の線の先が土岐市です。手前が駄知駅で、電車は折り返して一旦引き上げ線に入り、ここでまた折り返し、一番右の線を右方向へ進むと終点の東駄知です。
   
駄知線A 駄知 1972.7.2
 ホームと車庫の間にモハ111-クハ211が停まっていました。
 この電車は駄知線廃止後、名鉄住商工業・鳴海工場で改造され、
 総武流山電鉄へ譲渡されました。 
駄知線B 駄知駅前 1972.7.2
 駄知の駅前風景です。
 電話ボックスと郵便ポストが懐かしいです。 
   
駄知線C 駄知 1972.7.2
 貨物用の広場で少年達が野球をしていました。
駄知線D 駄知 1972.7.2
 バックに写っている電車は左のCと同タイプです。この電車は廃止後
 名鉄に譲渡され、築港線で活躍しました。 
 
東濃鉄道・駄知線E

駄知 1972.7.2

東濃鉄道の車庫です。
この写真の右側に駄知駅のホームがありました。
  東濃鉄道・駄知線F

駄知 1972.7.2

東駄知からスイッチバックを折り返し土岐市行きの電車が到着します。
それなりのお客さんが待っています。

この写真が東濃鉄道最後の写真となりました。この11日後から電車が走らなくなるとは夢にも思っていませんでした。

私はこの電車に乗って、途中、下石(おろし)で貨物列車と交換し(写真を撮り逃したので記憶に残っています)、土岐市・中津川経由で北恵那鉄道に向かいました。

次に来るときは何処で写真を撮ろうかと景色を眺めながら乗っていましたが、それはかないませんでした。

 
  東濃鉄道・駄知線G

名鉄築港線 東名古屋港 1976.6

東濃鉄道のモハ112-クハ212は駄知線廃止後名鉄に譲渡されました。
名鉄ではモ3791号、ク2791号となり、中間に1両2815号を挟んで3両編成で築港線大江〜東名古屋港の専用車両として、1985(昭和60)年まで活躍しました。
東濃鉄道の詳細は「RM LIBRARY 72 東濃鉄道」清水 武著・ネコパブリッシング発行をご覧ください。
駄知線・笠原線が写真と詳細な資料付きで紹介されています。

    東濃鉄道 笠原線
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参考図書:
  RM LIBRARY 72 「東濃鉄道」 清水 武著 ネコ・パブリッシング 2005.8.1発行
  「新・消えた轍6 中部-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング2011.5.30発行