この地図は20万分の1
 「飯田」国土地理院 昭和43年3月30日発行

北恵那鉄道1  中津町から下付知まで22.1kmを走っていたローカル電車

北恵那鉄道の地図  北恵那鉄道は中央線の中津川駅の近くの、中津町から下付知まで22.1kmを結んでいたローカルムードあふれる鉄道でした。(青い線)
1972(昭和47)年1月から、昼間の電車運行をバス輸送に切り換え、電車は朝と夕方以降に運転されるだけとなりました。
いつ廃止になってもおかしくない状況でしたが、実際に廃止されたのは1978(昭和53)年9月でした。

北恵那鉄道の詳細は「RM LIBRARY 32 北恵那鉄道」清水 武著・ネコパブリッシング発行をご覧ください。
写真と詳細な資料付きで紹介されています。


私が北恵那鉄道を最初に訪問したのは、1972(昭和47)年の7月で残念ながら昼間の電車運行がなくなったあとでした。


北恵那鉄道の起点・中津町駅は、国鉄の中津川駅から少し歩いたところにありました。立派な駅舎でした。


 
↑北恵那鉄道@ 中津町 1972(昭和47)年7月2日

 中津町で出発を待つ下付知行き560形電車
 当時の主力の電車でした。
  北恵那鉄道A

中津町 1972.7

開業(1924年・大正13年)から、廃止(1978年・昭和53年)まで活躍した北恵那鉄道生え抜きの木造電車デ2号です。

この当時は、電車としての使命を終え、中津町駅構内の貨車入換用に使用されていました。
  北恵那鉄道B

下付知 1972.7.2

終点の下付知に到着した560形電車

午後1番の電車が下付知に到着するのは17時頃でした。
広い構内には貯木場もありました。
昔は木材の積み出しで活気があったのでしょうが、この頃はひっそりとしていました。
  北恵那鉄道C

下付知 1971(昭和46).11.25
        (Nさん撮影)

このカラー写真は、私の友人のNさんが撮影したものです。
上のBの逆方向から撮っています。

まだ昼間も列車が走っていた頃の写真です。
左に停めてあるモ320号はスタイルの良い電車でしたが、電装を解除され留置されていました。
ホームに停まっている560形電車は、後ろに貨車を連結しています。
昔はほとんどのローカル私鉄で貨物営業をしており、貨物扱い量が少ない私鉄は、お客を乗せた電車がついでに貨車も牽引する混合列車を運転していました。
私は、この電車+貨車の混合列車こそがローカル私鉄の最大の魅力だと思っていましたが、貨物があるときだけの運転(通常は電車のみ)のため、なかなか巡り会うことができませんでした。
 
  北恵那鉄道D

美濃福岡 1971.11.25 (Nさん撮影)

中間の美濃福岡での交換風景です。
反対方向からきた電車は後ろに貨車をつないだ混合列車でした。

 
   
北恵那鉄道E 下付知 1972.7.2 
 当時の主力560形電車564号(元・瀬戸電)
 小荷物輸送はまだ鉄道が主役の時代でした。
北恵那鉄道F 下付知 1972.7.2 
 留置線は草に埋もれていました。 
  北恵那鉄道G 恵那峡口〜山之田川 1971.11.25 (Nさん撮影)

電車+貨車の混合列車が鉄橋を走ります。
私があこがれていたローカル私鉄風景です。





左の写真で貨車を牽引している電車はデ8号です。
下の写真では、同じ電車が下付知に停車中です。


 ↓北恵那鉄道H 下付知 1972.7.2
 
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