東濃鉄道 笠原線     多治見から笠原まで4.6kmを結んでいた非電化鉄道

東濃鉄道の地図
この地図は20万分の1
 「飯田」国土地理院 昭和43年3月30日発行(上半分)
 「豊橋」国土地理院 昭和44年11月30日発行(下半分)
東濃鉄道・笠原線は中央線の多治見駅の南側にあった新多治見駅から、笠原駅まで4.6kmを結んでいた鉄道でした。(赤い線)
1971(昭和46)年6月13日に旅客営業を休止し、それ以降は貨物専用鉄道として残りましたが、1978(昭和53)年10月31日限りで廃止となりました。 




私は、笠原線の写真を撮らずに終わってしまいましたが、Nさんが旅客営業休止直前に撮りに出掛けましたので、その写真をご覧ください。


左の地図の赤線が笠原線です。

青線東濃鉄道・駄知線です。
東濃・笠原線@ Nさん撮影

新多治見〜本多治見 1971(S46).6.6

笠原線のハイライト、土岐川の鉄橋です。

片側荷台付きキハ502号が、新多治見(写真右側)に向けて渡ります。
↑東濃・笠原線A 新多治見 1971(S46).6.6  Nさん撮影

新多治見に停車中のキハ502号です。
元々は中国鉄道のキハニ172号で、その後、防石鉄道のキハニ101号となり、防石鉄道の廃止に伴い笠原線へやってきました。
←東濃・笠原線B 新多治見 1971(S46).6.6  Nさん撮影

上の写真の反対側から見た502号です。
手前側が笠原に通ずる線路です。
東濃・笠原線C Nさん撮影

 笠原 1971(S46).6.6

笠原ホームに停車中のキハ502号です。

駅舎から少年が見つめます。
東濃・笠原線D Nさん撮影

 笠原 1971(S46).6.6

笠原駅舎です。

活気がありますね!
 
東濃・笠原線E Nさん撮影

 笠原 1971(S46).6.6

笠原駅の全景です。

手前が多治見方面で、右奥に駅舎、左手前に車庫がありました
東濃・笠原線F Nさん撮影

 笠原 1971(S46).6.6

笠原駅全景を、もう少し離れて撮りました。

右に留置車両が、左に車庫が写っています。
東濃・笠原線G Nさん撮影

 笠原 1971(S46).6.6

笠原車庫です。

大井川鉄道井川線からやってきた小型のディーゼル機関車が2両いました。
東濃・笠原線H Nさん撮影

 笠原 1971(S46).6.6

大井川鉄道井川線で、井川ダム建設資材輸送に活躍したDD105号です。
ダム建設終了後、笠原線にやってきました。
井川線の小さな車両限界に収まるよう、運転台が小さく、運転士は苦労したようです。
東濃・笠原線I Nさん撮影

 笠原 1971(S46).6.6

留置線にいたキハ23号です。

駄知鉄道からやってきた、両側荷台付きの好ましいタイプの気動車でした。
↑東濃・笠原線J Nさん撮影

 笠原 1971(S46).6.6

キハ501号です。
播但鉄道生まれの、両側に荷台付きの気動車でしたが、荷台部分を客室に改造されたそうです。
電車みたいな外観ですね!
 
←東濃・笠原線K Nさん撮影

 笠原付近 1971(S46).6.6

笠原付近の鉄橋を渡るキハ502号です。


笠原線の旅客列車は、この写真を撮った1週間後の1971(昭和46)年6月13日から運転休止され、復活することはありませんでした。
笠原線は、貨物専用鉄道としてしばらく残りましたが、1978(昭和53)年10月31日限りで廃止となりました。 
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参考図書:
  RM LIBRARY 72 「東濃鉄道」 清水 武著 ネコ・パブリッシング 2005.8.1発行
  「新・消えた轍6 中部-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング2011.5.30発行