津島軽便堂写真館

近鉄 ビスタカー 三重連  1978~79(S53~54)年に行われたビスタカー三重連など

ビスタカー三重連-01

近鉄弥富~長島 1978(S53).5

近鉄の2階建て電車ビスタカーは1958(昭和33)年に試作の10000系が1編成登場、その翌年に量産型の10100系ビスタカーⅡ世が登場しました。
我々の世代(70代)は、ビスタカーをいえば左写真の電車(Ⅱ世)です。
そのビスタカーⅡ世が、1978(昭和53)年春に引退が決定して、3連のA-C-B編成をつないだ三重連運転が始まりました。
それを知って、家から一番近い弥富へ撮りに行きました。木曽川橋梁を渡ってきた名古屋行き特急です。
ビスタカー三重連-02

近鉄弥富~長島 1978(S53).5

上の写真01の続きで、通り過ぎたところを振り返って撮りました。
ビスタカー三重連-03

近鉄弥富~長島 1978(S53).5

ビスタカー三重連を撮りに何度も出かけました(地元ばかりですが)

弥富から木曽川を渡り、三重県側で撮りました。
左上に国道1号線・尾張大橋の上弦アーチのトラス橋(13連)が見えます。
ビスタカー三重連-04

近鉄弥富~長島 1978(S53).5

上の写真03の続きで、通り過ぎたところを振り返って撮りました。

ここは単線時代の近鉄線の廃線跡の築堤からです。
木曽川橋梁の変遷
国土地理院の「地理院地図(電子国土WEB)」の年度別写真で、関西線・近鉄の木曽川橋梁を3枚貼り付けました。()印は同じ場所

①上=1961~1969年の写真
印が国鉄関西線の単線時代の橋梁(1928/S3年架橋)です。
その上が近鉄が単線時代に使っていた橋梁(1938/S13年架橋)で、元は関西鉄道が1895(M28)年に架橋し1928年に掛け替えにより廃止になった橋脚を関西急行電鉄(近鉄の前身)が譲り受けて1959年まで使用しました。そのため、近鉄は木曽川橋梁の前後で国鉄関西線を跨いでいました。(下の写真05~08参照)
+印の下が1959/S34年に架橋した近鉄の複線橋梁(現在使用中)です。伊勢湾台風(1959.9.26の夜襲来)の日の朝に完成しましたが、台風により周囲が甚大な被害を受けしばらく運休となり、復旧工事に合わせ名古屋線の標準軌化も行われ1959.11.27から運行再開され、その直後の12.12にビスタカーⅡ世がデビューし、名阪直通運転が開始されました。
その下、少し離れた橋梁は国道1号線の尾張大橋です。

②中=1974~1978年の写真(1976.1.16撮影)
+印は上と同じ単線の国鉄関西線。
そのすぐ上に関西線複線化橋梁が工事中です。
国鉄関西線の3代目の木曽川橋梁(複線)は1976(S51)年に完成したとWikiには書いてありましたが、1978.5.12の航空写真を見ると橋梁は完成していても弥富方の線路の路盤はできておらず、1980.3.24の弥富~長島間複線化のときに供用開始されたと思われます。
その上にあった近鉄の単線橋梁は撤去されています。

③下=1979~1983年の写真
+印にあった国鉄関西線の単線橋梁は撤去されました。
+印の上が国鉄(現JR)関西線の木曽川橋梁
+印の下が近鉄の木曽川橋梁です。
05-関西線弥富~長島 1969(S44).9
弥富を出発し木曽川橋梁に向かうC57客車列車です。中央に見える構造物が近鉄単線時代の遺構で、ここで関西線を跨いでいました。
06-関西線弥富~長島 1969(S44).9
左の写真のコンクリート構造物に上り、木曽川橋梁とC57列車を眺めました。関西線を跨いでいたコンクリート橋脚跡も見えます。
07-関西線弥富~長島 1969(S44).9
長島方の近鉄単線時代の遺構です。木曽川を渡って、もう一度関西線を跨いでいました。長島を出発したC57客車列車です。
08-関西線弥富~長島 1969(S44).9
左の写真の反対側から撮りました。木曽川を渡り長島に向かう列車です。関西線C57客車列車の末期の頃で、よく撮りに出かけました。
揖斐・長良川橋梁の変遷

国土地理院の地理院地図(電子国土WEB)の年度別写真で、揖斐・長良川橋梁の航空写真を3枚貼り付けました。

①上=1961~1969年の写真
印が国鉄関西線の単線時代の橋梁(1928/S3年架橋)です。
その下が1959(S34).9.19に完成した近鉄の複線橋梁(現在使用中)です。伊勢湾台風(1959.9.26夜)により周囲が甚大な被害を受け不通となり、復旧工事に合わせ名古屋線の標準軌化も行われ1959.11.27から運行再開されました。
その下の細い線が近鉄が単線時代に使っていた橋梁(1938/S13年架橋)で、元は関西鉄道が1895(M28)年に架橋し1928年に掛け替えにより廃止になった橋脚を関西急行電鉄(近鉄の前身)が譲り受けて1959年まで使用しました。

②中=1974~1978年の写真
+印は上と同じ単線の国鉄関西線。
そのすぐ上に関西線複線化橋梁が工事中です。
国鉄関西線の3代目の揖斐・長良川橋梁(複線)は1979(S54)年に完成したとWikiには書いてありましたが、1977(S52).1.31長島~桑名間複線化の時に供用開始されたと思われます。
+印の下は近鉄の揖斐・長良川橋梁です。
その下にあった近鉄の単線時代の橋梁は撤去されていました。

③下=1979~1983年の写真
+印にあった国鉄関西線の単線橋梁は撤去されました。
+印の上が国鉄(現JR)関西線の揖斐・長良川橋梁
+印の下が近鉄の揖斐・長良川橋梁です。
09-関西線長島~桑名 長良川橋梁 1978(S53).5
ビスタカー三重連のついでに撮った名古屋行き特急「くろしお」です。当時名古屋~紀勢線特急「くろしお」は1日1往復でした。
10-関西線長島~桑名 1978(S53).5
左の写真の「くろしお」が通り過ぎたところです。天王寺方の先頭車はキハ81形でした。
ビスタカー三重連-11

揖斐・長良川橋梁 1978(S53).5

長島付近では、長良川と揖斐川が中堤を挟んで並行して流れているので、関西線と近鉄は揖斐・長良川橋梁で一気に渡ります。
(写真手前が長良川)
左が1959(S34)年に完成した近鉄の橋梁。
右が1977(S52)年に完成した国鉄関西線の橋梁。
中央の橋梁は関西線の単線時代の橋梁(1928/S3年架橋)で、撤去作業が始まっていました。その手前は旧線の廃線跡です。
ビスタカー三重連-12

近鉄長島~桑名 1978(S53).5

長良川橋梁を渡り終えたビスタカー三重連の名古屋行き特急です。
ビスタカー三重連-13

近鉄長島~桑名 1978(S53).5

名古屋から鳥羽へ向かうビスタカー三重連です。
ビスタカー三重連-14

近鉄長島~桑名 1978(S53).5

上の写真09の通り過ぎたところを振り返って撮りました。
長良川橋梁を渡ります。
ビスタカー三重連-15

近鉄長島~桑名 1978(S53).5

桑名から揖斐・長良川橋梁に向かってカーブを曲がるビスタカー三重連ですが、一番後ろが欠けてしまいました。
 ビスタカー三重連-16

近鉄長島~桑名 1978(S53).5

上の写真11のビスタカー三重連が通り過ぎたところを振り返って撮りました。揖斐・長良川橋梁を渡ります(手前が揖斐川)。
1年前に複線化された国鉄関西線の築堤から撮りました。写真手前には単線時代の関西線の廃線跡が残っていました。

これが私が撮ったビスタカー三重連の最後の写真です。

ビスタカー三重連「さよなら運転」が行われたのは、この1年後です。
ビスタカー三重連-17 Nさん撮影

桃園~伊勢中川 1979(S54).8.5

ビスタカー三重連「さよなら運転」は1979(S54).7.22~8.5に行われたということです。その最終日にNさんが出かけました。
まず最初に桃園~伊勢中川で撮りました。
ビスタカー三重連-18 Nさん撮影

小俣~宮町 1979(S54).8.5

近鉄山田線の有名撮影地・宮川橋梁を走るビスタカー三重連です。
「さよなら運転」のヘッドマークの左下に「回」の円板がありますので、明星車庫から宇治山田or鳥羽までの回送列車と思われます。
ビスタカー三重連-19 Nさん撮影

小俣~宮町 1979(S54).8.5

ビスタカー三重連が伊勢方面から折り返してきました。
たぶん名古屋行きの特急と思われます。
Nさんが撮ったビスタカーⅡ世、10100系最後の写真です。
ビスタカー-20 Nさん撮影

小俣~宮町 1979(S54).8.5

1978(S53)年に登場したビスタカーⅢ世、30000系です。
10100系ビスタカーの置き換え用に製造された2階建ての3代目ビスタカーです。
ビスタカー-21 Nさん撮影

長谷寺付近 1981(S56).8.16

太陽光をギラリと反射させ、大阪線の長谷寺付近を走る30000系ビスタカーです。
ビスタカー-22

霞ヶ浦~阿倉川 2013(H25).5.4

有名な阿倉川駅近くの2連トンネルを走るビスタカーです。
ビスタカー30000系は1996~2000(H8~12)年にリニューアルされ「ビスタEX」と呼ばれるようになりました。
ここから下は古い写真です
ビスタカー-23

近鉄八田~伏屋 1969(S44).8

私が最初に撮ったビスタカーです。

庄内川橋梁を渡ります。
読みにくいですが左下の行先板には「名阪ノンストップ」と書いてあります。
この当時の名阪ノンストップ特急は短編成で走っていました。
ビスタカー-24

近鉄八田~伏屋 1969(S44).10

ビスタカーの仲間の「あおぞら」号20100系です。
1962(S37)年に修学旅行用として製造されたオール2階建て電車です。

私も小学校の修学旅行で、この「あおぞら」号に乗り伊勢へ行きました。
ビスタカー-25 Toさん撮影

伊勢中川 1965(S40).12.30

初代ビスタカー10000系です。
1958(S33)年に7両1編成のみ製造されました。2階建ての試作的車両で、その翌年から10100系ビスタカーⅡ世が量産されました。
ビスタカー-26 Toさん撮影

五十鈴川~朝熊 1970(S45).3.1

新線開通当日の鳥羽線を走る初代ビスタカー10000系です。
近鉄鳥羽線の五十鈴川~鳥羽間は1970(S45).3.1に開通、同時に志摩線(鳥羽~賢島)の改軌・昇圧が完成し、近鉄特急が鳥羽・賢島へ直通運転できるようになりました。

近鉄ファンのToさんは、開通日に新線を訪ね賢島まで乗車し、帰りに初代ビスタカーを撮りました。
なお、この写真の新線区間は後に複線化されました。
ここから下は白井昭さんの写真です
ビスタカー-27 白井昭さん撮影

伊勢中川 1964(S39).11

初代ビスタカーの2階建て車両です。
ビスタカー-28 白井昭さん撮影

 上本町 1962(S37).4.4

近鉄のターミナル上本町駅の改札口に掲示された修学旅行列車「あおぞら」号の看板です。
ビスタカー-29 白井昭さん撮影

 上本町 1962(S37).4.4

この日、登場したばかりの20100系「あおぞら」号の新車試乗会が開催されました。
ビスタカー-30 白井昭さん撮影

「あおぞら」車内 1962(S37).4.4

2階建て「あおぞら」号試乗会列車の車内風景です。
ビスタカー-31 白井昭さん撮影

 名張 1962(S37).4.4

名張に到着した「あおぞら」号試乗会列車の側面です。
VISTA CARの文字が輝いています。
ビスタカー-32 白井昭さん撮影

 名張 1962(S37).4.4

名張に停車する20100系「あおぞら」号の試乗会列車の手前を10100系ビスタカーが通過しました。
ビスタカーの左下の行先板には「ノンストップ」と書いてあります(読みにくいですが・・・)
 追悼 白井昭さん
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参考図書:「地理院地図の深掘り」 今尾恵介 著 PHP研究所 2026年6月発行
     「鉄道ピクトリアルNo.990 【特集】近鉄特急」 2021・9月臨時増刊号 鉄道図書刊行会発行