津島軽便堂写真館

京津線(けいしんせん)1 京の三条から東山・逢坂山を越え、浜大津まで走っていました。   京津線2へ   蹴上の桜

↑国土地理院発行1/2.5万地形図 「京都東北部」S49.4.30発行(上1/3)、「京都東南部」S49.4.30発行(下2/3)より  京津線の西半分(三条~山科間)の地図です。併用軌道区間を赤専用軌道区間を青で記入しました。 京津線東半分(山科~浜大津間)の地図は次頁に掲載します。
京阪電鉄京津線は、三条~浜大津間11.0kmの鉄道(軌道)路線でした(軌間1435mm、600V)。1997(H9)年10月12日の京都地下鉄東西線の開通と同時に、並行する京津三条~御陵間が廃止になり、私が大好きだった80形電車も廃車になりました。
80形電車が走っていた頃の京津線の写真を三条から東に向かって順に掲載しますので、ご覧ください。
京津線①

 三条 1984(S59).8.14

三条駅の京津線ホームです。
この当時は、京阪本線が鴨川の堤防上を走っていて、本線終点の三条駅は地上にありました。
その北側に隣接して京津線のホームがあり、乗換が便利でした。

この写真の3年後、1987(S62)年に京阪本線七条~三条間が地下化され、本線の三条駅が地下化されました。
それに伴い、京津線の三条駅だけが地上に取り残され、京津三条駅と改称されました。
京津線②

 三条 1984(S59).8.14

三条駅前の歩道橋から、三条駅に到着する80形を撮りました。
このカーブを曲がったところが三条駅(上の写真①)です。
京津線③

京津三条 1994(H6).4.10

京津三条駅に到着する80形です。
この折り返し四宮行きに乗るため、ホームには大勢の人が待っていました。

三条駅京津線のホームは、本線が地上にあった頃は5・6番線(上の写真①:1~4番線は本線が使用)でした。本線の地下化に伴い京津線の三条駅は京津三条と駅名が変わり、ホームは1・2番線となりました。
京津線④

京津三条 1997(H9).9.28

廃止直前の京津三条駅です。
80形と和服女性が良い感じでした。

上の写真③の逆方向から撮りました。
京津線⑤

京津三条 1997(H9).9.28

廃止2週間前の京津三条駅ホームです。

廃止前に、Nさん、Toさんと3人で大好きな京津線80形の撮り納めに行きました。

80形の詳細は
 →Wiki 京阪80形電車
参照
京津線⑥

京津三条 1997(H9).9.28

三条駅付近は大勢の路面電車ファンで賑わっていました。

廃止間近のこのときは、三条駅前の歩道橋は無くなっていて、上の写真②のように俯瞰ができませんでした。
京津線⑦

京津三条 1997(H9).9.28

三条駅を出発した直後の601号準急浜大津行きです。
京津線の冷房化は、1984(S59)年に登場したこの600形から始まりました。

600形の詳細は
 →Wiki 京阪600形
参照
京津線⑧

京津三条 1997(H9).9.28

急カーブを曲り京津三条駅に到着します。
すぐ右が三条大橋で、東海道五十三次の終点です。
橋の東詰の高山彦九郎の銅像がチラッと写っています。
京津線⑨

京津三条~東山三条 1997(H9).9.28

三条大橋東詰から旧東海道の東山方面を眺めました。
車に埋もれて電車がすれ違いました。
京津線⑩

東山三条 1997(H9).9.28

東山三条ホームに停車中のですが、600形にはステップがなく、路面ホームからは乗降できないため通過電車です。たまたま、交差点の信号待ちでした・・・
京津線⑪

東山三条 1997(H9).9.28

ステップ付きの普通電車が到着し、お客さんが降りてきました。
祇園へ行くには、ここで降りて歩くのが最短ルートでした。

昔はこの手前の交差点で京都市電と平面交差していましたので、ここで市電(東大路通)に乗り換える人がたくさんいました。

京都市電が走っていた頃の東山三条の写真は、京都市電3参照。
京津線⑫

東山三条~蹴上 1997(H9).9.28

三条通が白川を渡ります。

この下流(手前側)にあるのが、有名な祇園白川・巽橋です。
京津線⑬

東山三条~蹴上 1997(H9).9.28

三条通の歩道橋から西の神宮道交差点を見下ろしました。

右側の平安神宮から、左側にある知恩院・円山公園へ通じる神宮道は、歩いて巡る観光ルートになっており、特に桜の季節は、大勢の観光客で賑わっています。
京津線⑭

東山三条~蹴上 1997(H9).9.28

上の写真⑬と同じ場所から反対側の蹴上方向を見ました。

東山連峰が目前に迫っており、次の蹴上駅からは厳しい山越え区間が始まります。
京津線⑮

東山三条~蹴上 1997(H9).9.28

上の写真⑭の続きです。
振り返ると、ちょうど80形電車がすれ違いました。
京津線⑯

 蹴上
(けあげ) 1997(H9).9.28

蹴上の電停から、東山三条方向を遠望しました。
京津線⑰

 蹴上(けあげ) 1989(H1).5.24

ホームが学生服の生徒で凄いことになっていました。
平日(水曜日)、昼頃の撮影ですから、試験期間中で一斉の早上がり下校ではないかと思われます。
三条行きの電車が停車中ですが、これだけの生徒が1列車に乗れるんでしょうか・・・?
四宮方面行きのホームも学生服であふれていました。
最寄りの東山中学・高校(男子校)の生徒と思われます。

私は、偶然この風景を見てビックリしましたが、毎日利用している生徒にとっては日常の風景だったのでしょうね。

80形非冷房時代の写真です。80形は、この年から順次冷房化改造が行われたということです。
京津線⑱

 蹴上 1989(H1).5.24

上の写真⑰の少し後です。
三条行きのホームは閑散としていますので、先ほどの列車にほとんどの生徒が乗ったことになります。たいしたもんですね!電車はだいぶ遅れたと思いますが・・・
四宮行きの電車にも大勢の男子生徒が乗り込んでいます。遅れること必定ですね!
右のレンガ造りの建物が1912(明治45)年に完成した第2期蹴上発電所です。
蹴上発電所は、琵琶湖疎水を利用した日本初の水力発電所で、1891(明治24)年に発電開始し、この電力のおかげで、日本で最初の電車が1895(明治28)年に京都(京都電気鉄道)で運転開始しました。
なお、日本で2番目の電車は名古屋電気鉄道(名鉄の前身)で、京都の指導を受けて、その3年後に開業しましたが、名古屋市内には電力の供給源がなかったため、自前で火力発電所を市内(那古野町)に建設しました。
京津線⑲

 蹴上 1997(H9).8.23

男子生徒の団体が続いては、あまりにむさ苦しいので、次は女子生徒のグループで気分転換を・・・
残念ながらセーラー服ではなく、ジャージ姿ですが・・・
京津線⑳ Nさん撮影

 蹴上 1997(H9).9.28

廃止2週間前で、駅周辺には鉄道ファンだけでなく、南禅寺などを訪ねた観光客も大勢いました。臨時駅員も配置されていたようです。
京津線(21)

 蹴上 1997(H9).8.23

三条行きのホームです。

昔の私鉄ローカル線の無人駅では、降りたお客が運転士や車掌に切符を手渡すのが当たり前の風景でした。
京津線(22)

 蹴上 1997(H9).9.28

インクラインの土手の上から停車中の80形を撮りました。
京津線(23) Nさん撮影

 蹴上 1997(H9).9.28

蹴上を出発した80形は、カーブを曲がり、併用軌道とも別れ、九条山越えの急勾配を上ります。
京津線(24) Nさん撮影

 蹴上 1975(S50).2.9

上の写真(23)と同じアングルですが、こちらはその22年前です。

当時の京阪特急と同じ色に塗り分けられた電車が、京津線の急行・準急として使われていました。
260形275-276号です。
京津線の特急色塗装は、1980年代前半には全て一般色(緑ツートン)に変更されました。

なお、260形の2・3次車(268~279号)の車体は改造されて600形↙へ流用されました。
詳細は→Wiki 京阪260形参照
京津線(25)

 蹴上 1997(H9).9.28

九条山から急坂を下り、併用軌道に入った600形です。蹴上ホームから撮りました。

左に見えるトンネル入口が、有名?な「ねじりまんぽ」です。

右奧の建物が、完成間近の京都地下鉄蹴上駅の入口です。
京津線(26)

蹴上~九条山 1997(H9).9.28

蹴上の南東です。京津線の電車は九条山駅を通り過ぎると、66.7‰の急勾配を下り、蹴上浄水場(写真右側の堤防上)が見えると間もなく蹴上駅です。
写真の600形準急電車は、この手前側で併用軌道区間に入り、すぐに蹴上駅を通過します。
京津線(27)

蹴上~九条山 1997(H9).9.28

九条山から66.7‰急勾配を降りてきた80形普通電車です。
間もなく蹴上駅に到着です。
京津線(28)

蹴上~九条山 1989(H1).5.24

専用軌道区間ですが、蹴上駅のすぐ近くです。
600形が九条山からの急坂を下ってきました。



次のページには、この先の九条山の急勾配区間、日ノ岡の併用軌道区間、大谷~上栄町間の逢坂山越え区間の写真をアップします。
 2017(H29).7.5up
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参考図書: 「世界の鉄道'73」 朝日新聞社 1972(昭和47)年10月発行
        「地形図でたどる鉄道史・西日本編」今尾恵介著 JTBキャンブックス 2000(平成12)年6月発行