津島軽便堂写真館

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池島炭鉱坑内見学が終わったあと、三井松島リソーシスの車で約1時間の池島巡りに連れて行ってもらいました。
坂を上り、池島小中学校を過ぎたところにあった8階建てのアパート群です。今は誰も住んでおらず寂しいムードが漂っていました。
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島の南西端にある、第2竪坑です。Z形の竪坑櫓の高さ約35m、竪坑の深さは約730mとのことです。
手前には女神像「慈海」が立っています。女神は炭鉱の安全を祈って、海底炭鉱の方向を見つめています。見つめる先は、蟇島(ひきしま)方向です。
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女神像「慈海」が見つめていた先です。池島の南西に浮かぶ蟇島です。
蟇島方向に海底炭鉱が延びており、蟇島には海底炭鉱へ空気を送り込む入気竪坑と排気竪坑があったそうです。
女神像「慈海」を見たあと、この近くに「女神号慈海」が保存してあると思って「見せてもらえませんか?」と三井松島リソーシスの元炭鉱マンにお願いしました。「通常は元炭住アパートの部屋を見てもらうんだけど・・・」「そこを何とか、ぜひ女神号慈海をお願いします」「ウーン、今日は他に誰もいないんで、マァいいか・・・」ということで運良く見学できることになりました。「女神号慈海」は、この近くではなくチョット離れた場所にありましたので、また車に乗せてもらい見学に向かいました。

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あこがれの「女神号慈海」に会えました。
「入昇坑時間短縮のため平成8年11月に導入。ドイツ「シャルケ社」製、定員96名、前後に運転席」
と坑内で見た説明文に書いてありました。
蓄電池駆動でVVVF制御です。

長く延びた海底炭鉱への移動時間短縮のため導入されたのですが、平成13(2001)年に池島炭鉱は閉山となり、活躍期間わずか5年でした。

迷列車【九州編】#29
「ドイツから来た女神」の動画もご覧ください。
(再掲ですが・・・)
  →中編  →後編
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「女神号慈海」を別アングルから。

池島の南西端にある、女神像「慈海」にちなんで名付けられたそうです。
機関車1両+客車3両が保存されていました。

女神号慈海が保存されていたのは、島の中央部でした。
前ページの航空写真②をご覧ください。
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女神号慈海に貼り付けてあったテプラの案内です。
世界最速50km/hの炭鉱用トロッコでした。
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女神号慈海の運転台です。なんと!タッチパネル式です。
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女神号慈海の客車です。結構長く、軌間610mmでは最長客車?!
6扉の密閉式客車で、窓は扉のところにあるだけです。

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女神号慈海と同じ場所に保存されていた、三重連30tのバッテリー機関車です。格好いいですね!
海底で運炭列車を牽引していたそうです。

運転台の窓上部にテプラが貼ってあります。
拡大して読むと↓
「30t重連、防爆型12t蓄電池機関車」
両端に12t機関車を連結し、真ん中は6t機関車で、三重連30tになります。
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三重連の先頭A03号を別アングルから撮りました。
この車庫?の中には、いろんな車両が保存されていました。
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三重連30t機関車のA03号の反対側はA11号でした。キャブが撤去され無残な姿になっていました。
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三重連30t機関車の中間車はB04号でした。A03-B04-A11号の三重連でした。
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ベルトコンベアで掘削した石炭を後ろの方へ送る車両?もありました。
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これは、たぶん掘削した石炭をコンベアに乗せる車両?だと思います。
(ご覧になったKさんからのご指摘により訂正しますH26.12.3)
これは「自走枠」です。採掘現場でこれを大量に隙間なく並べ、石炭を掘削したあと天盤が落ちてこないように支えました。
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海底で使われていた石炭運搬用の長いホッパー車です。海底で三重連機関車に牽引されていたそうです。石炭を落とす装置は、貨車の底にありレール方向に蓋が開く仕組みになっていました。
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普通の炭車もありました。

このあと、また車に乗せてもらい、次は斜坑入口に向かいました。

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池島炭鉱の斜坑の入口です。
島の南の方にありました。
ここが本来の池島炭鉱への入口だったと思います。

後ろの方には排気用竪坑も写っています。
「女神号慈海」が保存されていたのはそちらの方向でした。
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斜坑の入口を正面から見ました。
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左の線路が斜坑を下っています。
この斜坑の先が、前ページ(23)の写真です。
ここの明かりが(23)に写っています。

昔の坑内探検ツアーは、ここから人車に乗り斜坑を下ったようです。
かなりの急勾配でした。
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斜坑から反対方向を見ました。ケーブルの巻上場があったはずです。
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三井松島リソーシスの工場です。トロッコ線路が中に入っていますが、線路はあまり使われていないようです。

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約1時間の島内巡りが終わり、港へ戻ってきました。
思いがけず(少しは期待していたのですが)、 女神号慈海号や三重連30t蓄電池機関車も見ることができました。
無理なお願いを聞き入れてもらえた、三井松島リソーシスの元炭鉱マンの方には大変感謝しております。
お世話になりありがとうございました。

港で最後に撮った写真は、怪獣のようなジブローダーです。貯炭場の石炭を掻き寄せたり均したりしたそうです。

このあと、14:17発の大瀬戸港行きフェリーに乗り帰りました。
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参考図書:三井松島グループ100年史「明日へつなぐ、百年の礎石」 2013(H25).1月 三井松島産業発行(デジタルブック)