津島軽便堂写真館

大島炭鉱跡+崎戸炭鉱跡 の トロッコ線路        池島炭鉱跡

長崎県西彼杵(にしそのぎ)半島の西の島々には、かつて大規模な炭鉱がありました。
最初に開発されたのが松島炭鉱で、1905(明治38)年に開坑され1913(大正2)年に三井鉱山が経営参加し、今に続く「三井松島グループ」が始まりました。その松島炭鉱は1935(昭和10)年に閉山となり、三井松島は次に大島炭鉱を1935(昭和10)年に開坑し、1959(昭和34)年には池島炭鉱を開坑しました。
大島炭鉱の閉山は1970(昭和45)年。池島炭鉱は、九州に最後まで残った炭鉱で2001(平成13)年に閉山となりました。
 詳細は→三井松島産業100年の礎石(デジタルブック)をご覧ください。

大島の西、蛎ノ浦島には、崎戸炭鉱がありました。1907(明治40)年に採掘が始まり、1968(昭和43)年に閉山となりました。こちらは三菱系でした。
国土地理院発行1/20万「長崎」S46.8.30より、島の炭鉱を赤字で記入
   (右上隅が佐世保)
↓①三井松島産業100年の礎石 デジタルブック P23より

大島炭鉱の写真です。トロッコの線路が上と中央付近にあるのが見えます。線路脇に電柱が立っており、電化路線ですが、機関車の写真が無いので、どのような機関車が活躍していたか不明です。ひょっとすると凸電が活躍していたかもしれません!
国土交通省・国土地理院
地図・空中写真閲覧サービス
1966/12/15撮影 MKU669X-C3-6より


②大島炭鉱付近の航空写真

大島炭鉱が現役の頃の昭和41年の航空写真です。写真中央付近が炭鉱で、海に面した上部が貯炭場、写真左と下方向に炭住街が広がっていました。
ズリ捨て場は、この写真の更に上の方にあり、ズリ捨て場までトロッコ路線が海に沿って走っていました。
(ズリ捨て場の跡地が現在は大島造船所になっているようです)

航空写真にトロッコの構外路線を赤で記入しました。またこの頁の写真の撮影場所の番号を記入しました。
記憶間違いがあるかもしれませんので、ご容赦ください
大島炭鉱跡③ railbusさん撮影

 1972(S47).8.1

railbusさんは、1972(昭和47)年の夏に佐世保から船に乗って大島・崎戸島を訪問しました。

大島の港(馬込港)の近くでトロッコ線路を発見し、喜び勇んで線路を辿りました。
こんなトンネルもありました。
↑大島炭鉱跡④ 1972(S47).8.1 railbusさん撮影

上の写真のトンネルから逆方向を見ました。炭鉱の建物がありました。
←大島炭鉱跡⑤ 1972(S47).8.1 railbusさん撮影

線路に導かれ歩いて行くと、重厚な設備がありました。
しかし、人の気配がありません。
今日はお休みかな?
↑大島炭鉱跡⑥ 1972(S47).8.1 railbusさん撮影

撮影許可をもらいに事務所へ入ったら!
ガガーン! 何じゃこりゃ、閉山だ!!!!

大島炭鉱は、「三井松島産業100年の礎石」によれば1970(昭和45)年5月30日に閉山となっています。閉山から2年2ヶ月が経過していました。
←大島炭鉱跡⑦ 1972(S47).8.1 railbusさん撮影

トロッコの廃線跡を辿っていくと、屋根のある立派なコンベアもありました。
大島炭鉱跡⑧ railbusさん撮影

 1972(S47).8.1

左上の写真⑦の逆方向から見た、屋根付きコンベアです。

屋根付きコンベアはコンクリートの高架橋?の上へ石炭を運び、高架橋の上のコンベアで、貯炭場へ運ぶ構造になっていたようです。
大島炭鉱跡⑨ railbusさん撮影

 1972(S47).8.1

長く延びたコンクリートの高架橋です。上の②の写真の上部に横1直線で写っています。
この下が貯炭場になっていました。
大島炭鉱跡⑩ railbusさん撮影

 1972(S47).8.1

石炭を輸送船に積み込む巨大なデリックです。

同じものが池島に残っており、「トリンマー」(石炭積み込み機)と呼ばれています。
大島炭鉱跡⑪ railbusさん撮影

 1972(S47).8.1

炭鉱の構外にあった踏切跡です。
遮断機を巻き上げるホイールがあります。踏切標識は、どこか手作り風の味わいがあります。
線路は夏草に埋もれていました。
大島炭鉱跡⑫ railbusさん撮影

 1972(S47).8.1

海に面した道路沿いに軌道の跡がありました。
架線柱がしっかり残っています。
今にも正面の山影から凸電が現れそうです。

この鉄橋跡は、一番上の写真①に写っている鉄橋と思われます。
この先にズリ捨て場があり、凸電?に牽引されたズリ捨て列車が走っていたはずです。
この2年半前に訪問していれば・・・
大島炭鉱跡⑬ railbusさん撮影

 1972(S47).8.1

上の写真⑪の軌道の鉄橋を、横から24mm広角レンズで撮影しました。
木橋でした。
入り江の向こうが、大島炭鉱跡です。
大島炭鉱跡⑭ railbusさん撮影

 1972(S47).8.1

上の写真から、もう少し先の風景です。
架線柱の幅が広くなっていますので、この付近に列車交換用の信号所があったと思われます。


大島炭鉱線路跡の写真はこれが最後です。
このHPにも大島鉱業所があります

写真の順番は前後しますが、railbusさんが佐世保から船で大島に到着し、最初に向かったのは崎戸炭鉱の方でした。
その写真を次に続けます。
国土交通省・国土地理院
地図・空中写真閲覧サービス
1966/7/4撮影 MKU669X-C4-3より


⑮崎戸炭鉱付近の航空写真

蛎ノ浦島の南西部分です。
左下隅に崎戸島が少しだけ写っています。
崎戸炭鉱の本坑(福浦坑・蛎浦坑)があったのは蛎ノ浦島の中心部で、この写真の上部ですが、そちらは1964(昭和39)年に閉山となっています。この昭和41年の航空写真は本坑閉山後ですが、島の南西にあった二坑(浅浦坑)は1968(昭和43)年まで残りました。
 詳細は→三菱崎戸炭鉱

railbusさんが崎戸炭鉱二坑の近くを訪問したのは、二坑閉山の4年後でした。
⑯崎戸炭鉱跡 railbusさん撮影

 1972(S47).8.1

崎戸炭鉱二坑(浅浦坑)跡の遠望です。
上の写真⑮の赤矢印付近から撮りました。
トロッコ路線の鉄橋跡が山上の左方に見えます。山上の中央付近が二坑の中心部で、ズリ捨て列車が鉄橋を渡り、上写真⑮右のズリ捨て場まで走っていたと思われます。
⑰崎戸炭鉱跡 railbusさん撮影

 1972(S47).8.1

上の写真⑯とほぼ同じ場所から逆方向を見た写真です。
廃墟となったアパート跡の向こう側がこの写真の8年前に廃坑となった、崎戸炭鉱本坑跡の風景と思われます。
⑱崎戸本郷 railbusさん撮影

 1972(S47).8.1

大島の港から乗ったバスの終点:崎戸本郷です。
バスは中ドアのツーマン仕様です。
運転手と車掌さんがのんびりと折返しの時間待ちをしています。

この写真はrailbusさんが大島・崎戸島を訪問して、直ぐバスに乗り、終点で降りて最初に撮った写真です。
蛎ノ浦島から崎戸島に渡る本郷橋の上から撮った写真と思われます。
⑲大島営業所 railbusさん撮影

 1972(S47).8.1

結局、railbusさんの崎戸炭鉱跡の写真は⑯⑰の2枚だけで、またバスに乗って、大島に戻ってきました。
長崎バスの大島営業所です。

バス研究界の大御所railbusさんの話では、「バス趣味的にはきわめて貴重な写真です。たぶん、ご興味はないでしょう・・・」と言うことです。
2014(H26).5.5up
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参考図書:三井松島グループ100年史「明日へつなぐ、百年の礎石」 2013(H25).1月 三井松島産業発行(デジタルブック)