井笠鉄道 2/2 +井原鉄道 井笠鉄道1へ
井笠鉄道⑱ Koさん撮影 北川~新山 1970(S45).8.20 田圃の中を走る軽便列車です。 写真を拡大して検討した結果、ホジ102+ホハ1の編成と思われます。 KoさんとI老人は、井原からの帰路、北川駅で途中下車し、少し歩いて走行写真を撮りました。 |
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井笠鉄道⑲ Koさん撮影 北川 1970(S45).8.20 貨車のホワ1とホワ4です。 順番が前後しますが、Koさんが北川駅で降りて最初に撮った写真がこれです。 どこで撮ったか分からなかった写真ですが、Koさんが下記参考図書やネットを調べて、北川駅と確定しました。 貨車が停まっているホームは、その昔矢掛線の列車が発着していたホームです。その右が笠岡 (ご指摘により青字部分訂正H26.12.3) この写真を撮ったあと、田圃の中へ走行写真を撮りに出掛け、戻ってきたら貨車2両が消えていました。 「しまった、混合列車になって出発したんだ!」と相当悔しい思いをしたと、I老人は同好会報(TABLET42号)に漫遊記を書かれました。Koさんも相当悔しかったはずですが、全然記憶がないそうです・・・ |
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井笠鉄道⑳ Koさん撮影 北川~新山 1970(S45).8.20 ホジ1+ホハ10の列車です。 写真⑲~(24)は撮影順に並べてありますので、たぶんこの写真は午前中だと思います。 前頁の地図を見ると、線路は南北に走っていますので、笠岡行きの列車と思われます。 |
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井笠鉄道の車両運用行路表 鉄道ファン110号 昭和45(1970)年7月号 交友社発行より 動力車であるホジの運用行路です。 この運用行路表と写真を見比べると、写真の列車が確定できるかもしれませんが、私もKoさんもそんな根気がありません・・・ |
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井笠鉄道(21) Koさん撮影 北川~新山 1970(S45).8.20 次の列車です。 ホジのナンバーのところが、ちょうど立札に掛かっていますが、Koさんと協議の結果、 ホジ102+ホハ2の編成であろうということになりました。 |
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井笠鉄道(22) Koさん撮影 北川~新山 1970(S45).8.20 その次は、ホジ3の単行でした。 このホジ3号は、井笠鉄道の廃止(1971.4.1)後、電化されていた下津井電鉄に譲渡されました。下津井電鉄茶屋町~児島の部分廃止(1972年4.1)に伴い、廃止区間の線路撤去用ということですが、エンジン不調でほとんど使用されなかったようです。 ↓下津井に保存されたホジ3号 (下津井電鉄2-(35)に掲載) |
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井笠鉄道(23) Koさん撮影 北川~新山 1970(S45).8.20 なんとなく午後の列車のような気がします。 順光ですから、笠岡行きと思われます。 ホジ3+ホハ1の編成です。 井笠鉄道には、ダブルルーフの客車が10両いました。ホハ1~10です。 そのうち、窓全体に保護棒が付いているのは、「地方私鉄1960年代の回想」や下記参考図書の写真で見る限りホハ1と10の2両でした。1と10〔写真(23)と(24)〕は、ほとんど同じ形状ですが、写真をじっくり見比べた結果、妻面の塗り分けが微妙に異なることに気付きました。屋根に近い部分の緑色部分が、ホハ10よりホハ1の方が狭いです。 一番上のカラー写真⑱を見ると、妻面の緑の部分が狭いので、⑱はホハ1号です(たぶん)。 |
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井笠鉄道(24) Koさん撮影 北川~新山 1970(S45).8.20 上の(23)の逆向きですから、井原行きです(たぶん)。 ホジ102+ホハ10の編成です。 これがKoさんの井笠鉄道最後の写真です。 この写真を撮ったあとの行程は、I老人の漫遊記に書いてありました。 「笠岡に戻ったあと、糸崎機関区でC62・C59を撮り、20分で切り上げ、呉に向かうつもりが数分差で乗り遅れ、2時間待って呉に向かう。途中須波で急行「安芸」と交換、先頭はC6237であった。・・・呉駅前で宿泊・・・翌日は台風接近で雨風激し・・・」 井笠鉄道のことは数行しか書いてないのに、呉線SL撮影のことは詳しく書いてありました。 |
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井笠鉄道(25) railbusさん撮影 井原駅跡 2003(H15).3.24 井原駅跡は、ボウリング場の建物はそのままで、井笠バスセンターになっていました。 右側の金網は、この写真の数年前までは、枕木+鉄条網だったということです。 (前ページの⑯とほぼ同じ位置です) railbusさんは、井笠鉄道にはとうとう乗らずじまいでしたが、単身赴任で8年間井原に住んでいました。 バスファン業界の大御所・railbusさんが単身赴任中に撮った写真です。 |
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井笠鉄道(26) railbusさん撮影 井原駅跡 2003(H15).3.24 バスセンターの中です。 鉄道の終着駅だった面影が漂っています? 鉄道ピク・アーカイブス21「私鉄車両めぐり 山陽・山陰」 2012(H24).3発行の巻頭に、「"その後"の山陽・山陰のローカル私鉄」が特集され、『井笠鉄道は1971(昭和46)年の廃止後も、バス事業者として盛業中である。・・・』と記述されていますが・・・ バス事業者として生き残った井笠鉄道ですが、2012(平成23)年10月末で事業を停止し、会社は破綻してしまいました。 |
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井笠鉄道(27) railbusさん撮影 井笠鉄道記念館 2005(H17).10.9 井笠鉄道新山駅跡の井笠鉄道記念館に保存されている1号機関車です。 ドイツのコッペル製です。 この記念館には、蒸機・1号、客車・ホハ1号、貨車・ホワフ1号の計3両が保管されています。 これらの車両も、井笠鉄道の破綻で行く末が心配されたのですが、笠岡市が面倒を見てくれるようです。 |
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井笠鉄道(28) railbusさん撮影 小田川橋梁 2005(H17).10.9 北川から分岐して矢掛に通じていた路線の末裔です。 小田川に架かる新しい橋を井笠鉄道のバスが渡っているところで、地理的には後方の観音山を井原鉄道がトンネルで真横に走っています。 井笠鉄道矢掛線の鉄橋(北川~備中小田)は、画面の右側に架かっていました。 |
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井原鉄道① railbusさん撮影 井原~早雲の里荏原 小田川橋梁 2006(H18).2.16 井原に本社がある、井原鉄道です。 井笠鉄道が廃止になる前の、1966(昭和41)年に、国鉄井原線として着工されましたが、国鉄再建のあおりを受け工事凍結。第三セクターの井原鉄道が1986(昭和61)年に設立され、井原線が開業したのは1999(平成11)年です。 矢掛~井原~神辺は、旧井笠鉄道の廃線跡の近く(一部は廃線跡の敷地上)を走っています。 railbusさんが井原に単身赴任中に撮った写真です。 こんな写真は地元にいないと撮れません!という代表作です。 |
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井原鉄道② railbusさん撮影 井原~早雲の里荏原 小田川橋梁 2008(H20).3.26 すぐ上の①と同じ橋梁です。濃い霧を撮るのは難しい! もう少し日が差してきて明るいと結構面白いのですが、railbusさんは始業時間に遅れてしまいます・・・ 井笠鉄道は、北川駅から小田川の右岸(南側)を走り、木之子・七日市を経て井原に通じていましたが、新しい井原鉄道は矢掛からずっと小田川の左岸(北側)を走り、旧木之子駅の近くで小田川を渡っています。ここは秋から冬にかけて霧が良く出るところで、絶好の撮影ポイントです。 |
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井原鉄道③ railbusさん撮影 井原~早雲の里荏原 小田川橋梁 2008(H20).1.19 railbusさんのコメントです↓ 後ろに山があり、その山の上に朝日が昇ります。井原線の時刻表をポケットに入れて、河原へ降りて、ちょうど朝日が昇るタイミングでシャッターを押します。日の出は毎日数分ずつ早くなっていきますが、列車はこの時間帯10~15分おきなのでぴったりのタイミングに合うことは結構難しく、毎朝毎朝粘り強く挑戦するしかありません。この橋梁の近くに会社があり、出勤前や昼休みに繰り返し撮影できた小生は、おそらく日本で一番恵まれた井原線のカメラマンでした。 夜明けの空の色はきれいなブルーです。太陽を入れて逆光で撮っているため、日が昇ってしまうとこのブルーは消えてしまいます。また、逆光をフルオートで撮るとピントがボケます。マニュアルモードで露出もピントも全てセットしておいて一瞬をねらいます。デジタルカメラのありがたいことは、事前にカラ撮影して露出などを確認できることですね。ISO100の設定で1/800秒, f5.6が適正値でしたが、昔の白黒では考えられない技術の進歩を体感できます。今日は、もう一歩のところで太陽が先に登りました。でもそこそこの絵になりました。 |
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井原鉄道④ railbusさん撮影 井原~早雲の里荏原 小田川橋梁 2007(H19).9.22 暑かった夏も、お彼岸になってやっと一段落。 近くの河川敷に子供たちの姿が見られるようになりました。 railbusさんは、2008(平成20)年の秋に8年間単身赴任していた井原を引き揚げ、家族の元に戻りました。 私はrailbusさんから井原にいるうちに来いと言われていましたが、とうとう行かずに終わってしまいました。従って、井笠鉄道も井原鉄道も井笠鉄道記念館も行ったことがありません・・・ 追伸:NHKのみちしるで、井笠鉄道の映像を見ることができます。←Koさん情報 「マッチ箱」と親しまれた小さな |
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2014(H26).1.15up | |
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参考図書: 鉄道ファン110号 昭和45(1970)年7月号 交友社発行 鉄道ピクトリアル・アーカイブスセレクション21「私鉄車両めぐり 山陽・山陰」 2012(H24).3.10発行 「新・消えた轍9中国-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング2010.8.31発行 レイルNo.30 私鉄紀行「瀬戸の駅から(下)」湯口 徹著 プレスアイゼンバーンH4/1992年発行 「軽便追想」 高井薫平著 ネコ・パブリッシング 1997(H9).4.30発行 「軽便探訪」 新井清彦著 機芸出版社 2003(H15).6.10発行 |