井笠鉄道 1/2 軌間762mmの軽便鉄道 井笠鉄道2へ
井笠鉄道記念館にて 2005(H17).10.9 railbusさん撮影 |
井笠鉄道沿線図 井笠(いかさ)鉄道は、岡山県と広島県の県境付近にあった、軌間762mmの軽便鉄道です。 最盛期は、左図のように ・井笠線:笠岡~井原 19.4km ・矢掛線:北川~矢掛 5.8km ・神辺線:井原~神辺 11.8km の路線がありました。 矢掛・神辺線は1967(昭和42).4.1廃止、 残された井笠線も1971(昭和46).4.1に廃止されました。 詳細はWikipedia→井笠線、矢掛線、神辺線をご覧ください。 1970(昭和45)年頃には、軽便鉄道・西の横綱として井笠鉄道(笠岡~井原)は残っていました。しかし当時の私は未だ軽便の魅力に目覚めておらず、国鉄蒸機を追っ掛けていました。呉線のC62撮影より井笠鉄道へ行けば良かったと今では悔やんでいます。 私の軽便の師匠(年は同じですが)のKoさんが訪問していますので、その写真をご覧ください。 |
↑国土地理院1/20万「岡山及丸亀」S49.10.30発行より 井笠鉄道全線廃止後に発行された地図のため、井笠鉄道は記載されていません 。廃線跡を赤線で記入してあります。 |
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←井笠鉄道① 鬮場(くじば) 1970(S45).8.20 Koさん撮影 (ご覧になったAさんから、間違いのご指摘があり下記のように訂正しますH26.12.3) ドイツのコッペル(Koppel)製、井笠鉄道3号機関車です。1号は車庫の奥に大事に保管されていたようです。 3号機は現在、福山市の新市クラシックゴルフクラブに保存されているそうです。 |
井笠鉄道② Koさん撮影 鬮場(くじば) 1970(S45).8.20 鬮場の車庫のホジ7号です。 荷台付の、格好いい気動車でした。 後ろの車庫の中にいる赤いDCは、新鋭?のホジ1~3号のうちの1or2です。 7号の右横にいるホハ18号は、神辺線の前身・神高鉄道(神辺~高屋)から引き継いだ客車です。 根っからナローファンのKoさんは、北海道旅行から帰ってきて、鉄道ファン110号(1970(S45).7月号)を読んだら、井笠鉄道の特集が組まれ、間もなく廃止になると書いてあったので、大慌てで出掛けました。 Koさんは、鉄研の先輩「I」老人(大学院生で、見た目がいかにも老人の風貌を備えていました)と一緒に夜行列車「音戸2号」に乗り、真っ暗な笠岡駅で、3:30に下車しました. 井笠鉄道の一番列車に乗り、次の駅「鬮場」で降りて撮りました。 |
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井笠鉄道③ Koさん撮影 鬮場(くじば) 1970(S45).8.20 上の写真②の右の方から撮りました。 車庫の中には、赤いDCがもう1両いました。 Koさんの調査によれば、5両いた赤いDCのうち、ホジ1・2号は正面窓の周りが白いHゴムで、1~3号は運転台側の窓上部が国電103系のように少し凹んでいました。101・102号は正面窓周りが黒いHゴムで運転台側の窓もフラットだったということです。従って左のDCは、ホジ101or102号です。 「くじば」の鬮(くじ)という字は難しく、門構えに似た構えの中に、亀の象形文字のような字です。 |
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井笠鉄道④ Koさん撮影 鬮場 1970(S45).8.20 軽便鉄道の佇まいを残す鬮場の駅舎です。 鬮場の車庫は、写真の左側にありました。 |
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井笠鉄道⑤ Koさん撮影 鬮場 1970(S45).8.20 ダブルルーフ屋根の客車もいました。 ホハ5号と思われます。 井笠鉄道は、比較的遅くまで残った軽便鉄道なので、車両がいろんなところに保存されています。 鉄道ピクトリアル・アーカイブスセレクション21( 2012(H24).3.10発行)によれば、機関車(SL)5両、気動車(ホジ)3両、客車(ホハ)11両、貨車(ホワフ)1両の計20両が保存されているということで、もちろん軽便鉄道最多の保存両数です。 |
←井笠鉄道⑥ 鬮場 1970(S45).8.20 Koさん撮影 車庫の中の荷台付ホジです。ホジ7~9が同じスタイルでした。 ホジ8号と思われます。 形式称号「ホジ」の、「ホ」はボギー車で、「ジ」は軌道自動車のジ? |
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↓井笠鉄道⑦ 鬮場 1970(S45).8.20 Koさん撮影 有蓋貨車のホワフ2号と、無蓋貨車のホト1号です。 昔は貨物輸送も盛んだったようで、たくさんの貨車を保有してまいしたが、トラックの発達、道路の整備と共に軽便の貨物輸送は衰退しました。 |
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井笠鉄道⑧ 鬮場・ホワフ2号 1970(S45).8.20 Koさん撮影 | 井笠鉄道⑨ 鬮場・ホト1号 1970(S45).8.20 Koさん撮影 |
井笠鉄道⑩ 井原 |
井笠鉄道⑪ 井原 |
井笠鉄道⑫ 井原 ホワフ4号の向こう側にいるのは、ホワ2号です。 ⑩⑪⑫は井原でした。ご指摘により訂正しますH26.12.3 |
井笠鉄道⑬ 鬮場・ホハ19号 1970(S45).8.20 Koさん撮影 手前が19号、その向こう側が18号で、共に神高鉄道からの引き継ぎ車で、扉の戸袋部分側板の裾が下がっているのが特徴です。 |
井笠鉄道⑭ Koさん撮影 鬮場 1970(S45).8.20 ダブルルーフの客車ホハ5号です。 鬮場の車庫で、①~⑭の写真を撮ったあと、KoさんとI老人は井笠鉄道に乗り、終点の井原に向かいました。 |
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井笠鉄道⑮ Koさん撮影 井原 1970(S45).8.20 オープンデッキの客車ホハ12号です。デッキの手摺りが洒落ています。 終点の井原で降りて、駅構内に留置してあった客車を撮りました。 |
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井笠鉄道⑯ Koさん撮影 井原 1970(S45).8.20 終点・井原の手前から井原駅を眺めた風景です。 井原駅は、軽便の終着駅らしくない駅舎になっていました。駅舎というより、ボウリング場です。 しかし、手前には腕木式信号機が健在でした。2連構造で、左側は腕木が撤去されています。 右が井笠線、左が神辺線の場内信号機で、神辺線廃止に伴い撤去されたと思われます。 客車(手前がホハ11号、その向こうがホハ12号)が留置してある線路は、神辺線の廃線跡です。 (Aさんの助言により追記しますH26.12.3) ボウリング場は前年より駅舎を解体し、8月上旬に開業し笠岡駅での広告ポスターでは井原ボウリング場開業井笠鉄道井原駅ビル2階と表示されてました。 |
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井笠鉄道⑰ Koさん撮影 井原 1970(S45).8.20 井原駅に停車中の、ホジ101号+客車2両+ホジです。ボウリング場の下に突っ込んだ形の終着駅でした。 湯口徹さんのレイルNo.30「瀬戸の駅から(下)」には、『昭和45年11月井原に行ってみると、最低必要限度の側線、渡り線を残してあとはすべて撤去され、その構内をまたいでBOAL IBARAなるボーリング場ができていたのには唖然とした。全国広しといえどボーリング場の一階?から発着している軽便はここだけである。・・・』と書いてあります。 軽便鉄道らしい井原駅の写真は、 →地方私鉄1960年代の回想をご覧ください。井笠鉄道の素晴らしい写真が数多く掲示されています。 この写真を撮ったあと、KoさんとI老人は井笠鉄道の走行写真を撮るため、北川に向かいました。 |
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2014(H26).1.10up | |
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参考図書: 鉄道ファン110号 昭和45(1970)年7月号 交友社発行
鉄道ピクトリアル・アーカイブスセレクション21「私鉄車両めぐり 山陽・山陰」 2012(H24).3.10発行
「新・消えた轍9中国-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング2010.8.31発行
レイルNo.30 私鉄紀行「瀬戸の駅から(下)」湯口 徹著 プレスアイゼンバーンH4/1992年発行
「軽便追想」 高井薫平著 ネコ・パブリッシング 1997(H9).4.30発行
「軽便探訪」 新井清彦著 機芸出版社 2003(H15).6.10発行