下津井電鉄 2/2 美しい瀬戸内海を見ながら走っていた軽便鉄道です。 下電1へ
下津井電鉄Q 琴海〜鷲羽山 1978(S53).5.6 鷲羽山駅から展望台に向かう遊歩道の途中から、海と神社を入れて撮りました。 |
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下津井電鉄R 琴海〜鷲羽山 1978(S53).5.6 鷲羽山駅から展望台に向かう遊歩道をだいぶ登った定番撮影地です。 前頁のNさんのBと同じ場所です。 |
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下津井電鉄S 琴海〜鷲羽山 1978(S53).5.6 Sカーブを走ってくるモハ103号です。 鷲羽山から連続下り勾配を下ってきます。向こうの山が鷲羽山でしょうか。 天気が悪くて、青い海にならず残念でしたが、天気が良いと逆光になる場所です。 |
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下津井電鉄(21) 琴海〜鷲羽山 1978(S53).5.6 上の写真Sの続きです。 まもなく琴海に到着します。 線路に佇む邪魔な人が写っています。この人は、鉄道マニアではなく、単なる競艇好きの人と思われます。立っている場所からボートレースが遠望できます。左に車がたくさん止まっていますが、たぶん児島競艇場の駐車場ですね。 下津井駅で電車を待っていて気付いたことですが、丸亀からの連絡船が着くと、片手に新聞紙を丸め持った人が大勢連絡通路を歩いてきて、下津井電鉄に乗り換えました。琴海駅最寄りの児島競艇場に向かう人達でした。下津井電鉄にとって、競艇ファンは大事なお客さんだったのです。 |
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下津井電鉄(22) 琴海〜鷲羽山 1978(S53).5.6 漁港を下に見て、モハ103-クハ24が走ります。 この日は、この電車が児島〜下津井の機織り運転をしていました。 |
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下津井電鉄(23) 琴海〜鷲羽山 1978(S53).5.6 瀬戸内海と四国の山並みを背景に、横から狙いました。 と思ったのですが、地図で調べると海の向こうの山並みは四国ではなく、陸続きの玉野市の山並みでした。 対岸に見える山並みの向こう側が、宇高連絡船の発着していた宇野です。 |
←下津井電鉄(24) 琴海〜鷲羽山 1978(S53).5.6 漁港の町並を入れて、チョット上から |
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↓下津井電鉄(25) 琴海 1978(S53).5.6 琴海に到着するモハ103号です。 この電車に乗って帰りました。 私にとって最初の下津井電鉄訪問時は、あまり天気は良くありませんでしたが気合いを入れて撮りました。 この後、3回下津井電鉄を訪問しましたが、旅行のついでに立ち寄ったという写真ばかりです。 |
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下津井電鉄(26) 児島 1984(S59).10.13 児島に到着する「赤いクレパス」号。2度目の下津井電鉄訪問です。 当時私は社員10人ほどの会社に出向していて、たまたま会社の慰安旅行の幹事になりました。ちょうど瀬戸大橋が建設中だったので、下津井電鉄に乗って見学に行く計画を組みました。 この折返しの電車に乗って、鷲羽山駅で途中下車し、建設中の瀬戸大橋を見てから下津井に向かいました。 |
下津井電鉄(27) 下津井 1984(S59).10.13 下津井の付近で宿泊できる場所を本で探したら、下津井から2kmほど離れた沖合に浮かぶ六口島に民宿があることを発見し、幹事の特権でそこに宿泊予約しました。これで下津井電鉄に乗る必然性ができたわけで、幹事として自己満足しました。 この写真を撮ったあと、お迎えの船に乗って六口島の民宿で宴会をし、泊まりました。参加者からは大好評でした。 |
↑建設中の瀬戸大橋1984(S59).10.14 六口島で1泊したあと、船で下津井へ送ってもらう途中に、建設中の瀬戸大橋観光をしました。 |
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←下津井電鉄(28) 下津井 1984(S59).10.14 船から下りて、下津井電鉄に乗りました。絶好の天気で、保存車両もきれいでした。 このあと児島からバスで倉敷へ出て、倉敷観光をしました。 |
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←下津井電鉄(29) 琴海〜鷲羽山 1988(S63).2.20 3度目の訪問でした。 宇高連絡船を乗り納めに行ったついでに下津井電鉄にも乗りました。 この写真を撮った1ヶ月半後の1988(昭和63)年4月に瀬戸大橋が開通し、宇高連絡船は廃止となりました。 |
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↓下津井電鉄(30) 琴海 1988(S63).2.20 瀬戸大橋開通の観光客増に備え、交換設備の復活工事をしていました。 |
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下津井電鉄(31) 児島 1990(H2).8.11 最後に下津井電鉄を訪問したのは、瀬戸大橋が開通してから2年経っていました。瀬戸大橋ブームも去り、わびしさの漂う児島駅です。 |
下津井電鉄(32) 児島 1990(H2).8.11 モハ103号も緑色になっていました。閑散としたホームからこの電車に乗り、下津井へ向かいました。 |
下津井電鉄(33) モハ103車内 1990(H2).8.11 下津井に向かう電車の中です。 |
下津井電鉄(34) 下津井 1990(H2).8.11 メリーベル号がいました。瀬戸大橋ブームに合わせてできた電車ですが、ブームが去り、結局この電車には乗ることは叶いませんでした。 |
↑下工弁慶号 1990(H2).8.11 下津井で、下工弁慶号のお出迎えを受けました。動いていませんでしたが・・・ |
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下津井電鉄(35) 下津井 1990(H2).8.11 誰もいない温室風の屋根の下、保存車両がおいてありました。オレンジ色は井笠鉄道の気動車でした。 下津井電鉄は、この写真を撮った4ヶ月半後の1990(平成2)年12月31日限りで廃止となりました。 |
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ここから下は、1971(昭和46)年の年末にNさんと一緒に下津井電鉄を訪問したKoさんから写真を提供してもらいましたので、追加します。 |
下津井電鉄(36) 茶屋町 1971(S46).12.29 Koさん撮影 国鉄との連絡駅・茶屋町に停車中のモハ103-クハ24です。 |
下津井電鉄(37) 茶屋町 1971(S46).12.29 Koさん撮影 左の写真奥に写っている貨車です。ホワ10号でした。 |
下津井電鉄(38) 下津井 1971(S46).12.29 Koさん撮影 下津井の車庫です。手前にホトフ4号がいます。 |
下津井電鉄(39) 下津井 1971(S46).12.29 Koさん撮影 車庫の横には廃車体が置いてありました。 |
下津井電鉄(40) 下津井 1971(S46).12.29 Koさん撮影 珍車ワフ2号です。当初は鮮魚車ト2号で、有蓋車に自社改造、その後架線修繕車になったということです。この貨車は簡易連結器が装備されていました。 下津井電鉄(41) 下津井 1971(S46).12.29 Koさん撮影 長物運搬車のホト1号です。 |
下津井電鉄(42) 下津井 1971(S46).12.29 Koさん撮影 車庫にいたホトフ6号です。 記号の「ホ」はボギー車で、「ワ」「ト」は国鉄と同じように有蓋車・無蓋車で、「フ」は手ブレーキ付きということです。 貨車の連結器は螺旋連環連結器でした。 |
下津井電鉄(43) 下津井 1971(S46).12.29 Koさん撮影 有蓋車のホワ13号です。貨物輸送が盛んだった頃の主力貨車でした。 |
下津井電鉄(44) Koさん撮影 下津井 1971(S46).12.29 車庫に並んだ車両です。 一番左が無蓋車ホトフ6号、次がクハ6号、その右の電車がモハ10X号(車号不明)、一番右はサハ2号です。 Koさんは大学鉄研の同期生で、昔からのナローファンでした。鉄研の部室でいつもナローの蘊蓄話を聞かされていたので、知らぬ間に私もナローファンになってしまいました! いわば津島軽便堂の恩人ですかね? |
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2012(H24).12.27up | ||
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