遠州鉄道 1975(昭和50)年の記録 (遠州馬込でスイッチバックしてました)
遠州鉄道の鉄道線は、新浜松~西鹿島17.8kmを12分毎に電車が走る近代化された路線です。 その歴史をたどると、「軽便王国雨宮」の大日本軌道浜松支社が1909(明治42)年に軽便鉄道で開業したという輝かしい?歴史があります。 大正12年に改軌・電化し、昭和60年の新浜松~助信間高架化により、見違えるような鉄道になりました。 →遠鉄電車・赤電の歴史参照 浜松市内が高架化される前の1975(昭和50)年5月にNさんと一緒に訪問しました。その写真をご覧ください。 |
国土地理院の浜松駅付近航空写真-1976(S51).2.9撮影に遠州鉄道線関係を追記しました。 1985(昭和60)年12月1日に、新浜松~助信間の高架新線(写真の赤線)が開通、地上区間を走り、遠州馬込でスイッチバックしていた旧線(写真の青線)が廃止になりました。 国鉄東海道線は1979(昭和54)年10月に高架化され、新幹線に隣接した駅となりました。 遠鉄浜松から出ていた、軌間762mmの奥山線は1964(昭和39)年に廃止され、見ることが出来ませんでした。 |
国土地理院1/20万「豊橋」S42.6.30発行より 新浜松~西鹿島18.6km時代の地図です。赤丸印が撮影地で、遠州馬込でスイッチバックし、西ヶ崎に車庫があり、終点・西鹿島で国鉄二俣線に接続していました。 |
遠州鉄道① 新浜松 1975(S50).5.25 浜松駅前にあった、地上時代の新浜松駅です。 この写真の5年後に高架化工事が始まり、一旦仮駅へ小移動した後、10年後の1985(S60).12.1に高架駅へ移転しました。 |
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遠州鉄道② Nさん撮影 新浜松 1975(S50).5.25 新浜松へ到着するクハ80形。左側の線に入ります。 ホームの右(南)側は遠鉄バスの車庫になっていたようです。 |
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遠州鉄道③ Nさん撮影 遠州馬込 1975(S50).5.25 スイッチバックの遠州馬込駅で交換する電車です。 右がモハ30形、左がクハ80形で、当時の遠州鉄道の電車は、湘南顔のこの2形式にほぼ統一されていました。 右の列車は、屋根上にパンタが2つ見えるのでMM編成です。 遠鉄電車の赤い色は、1961(昭和36)年12月からということなので、名鉄パノラマカー(同年6月登場)に刺激されたのだと思います。 |
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遠州鉄道④ 遠州馬込 1975(S50).5.25 上の写真③の逆方向から見ました。 モハ30形が並んでいます。 左の方に国鉄浜松駅の貨物側線が広がっていました。遠州鉄道の貨物もここで国鉄に引き渡されました。 |
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遠州鉄道⑤ 遠州馬込 1975(S50).5.25 馬込の駅舎です。 上の方に凸型のED28形が停まっていました。 |
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遠州鉄道⑥ Nさん撮影 遠州馬込 1975(S50).5.25 鉄道ホビダスで模型化された「遠州鉄道ED28 2」です。 英国のイングリッシュ・エレクトリック(デッカー)製の機関車で、豊川鉄道と鳳来寺鉄道へ計2両導入されました。 両鉄道が国有化され、国鉄ED28形となり、1959(昭和34)年に廃車され、そのうち1両が遠州鉄道に払い下げられました。 もう1両は1956(昭和31)年に近江鉄道へ払い下げられ、後に山形交通高畠線へ譲渡されました。 山形交通のED28形は、 →山形交通高畠線をご覧ください。 |
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遠州鉄道⑦ Nさん撮影 西ヶ崎 1975(S50).5.25 車庫のある西ヶ崎に停車中のED21形ED211です。 これも凸型で、1951(昭和26)年に自社発注の日本鉄道自動車で製造した機関車です。 可愛らしい機関車でした。 |
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遠州鉄道⑧ 西ヶ崎 1975(S50).5.25 正面から見たED211です。 草に埋もれており、しばらく動いていないようでした。 |
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遠州鉄道⑨ 西ヶ崎 1975(S50).5.25 ED211に連結されていた貨車・ワフ601です。 遠鉄マークの下に、 浜松駅構内 浜松工場線 専用 と記載されています。 遠鉄の社有貨車ですが、国鉄線に乗り入れ、浜松近辺で使用された貨車です。 |
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遠州鉄道⑩ 西ヶ崎 1975(S50).5.25 東芝標準型のED212です。 西武鉄道から譲り受けた機関車で、遠州鉄道が貨物輸送を廃止した1976(昭和51)年まで主力機関車でした。 上の写真⑦⑧のED211と同じED21形ですが、形状も性能も全然違います。 なお、ED213も、名鉄デキ111→遠鉄ED213→福井鉄道デキ3で、形状・性能が全く異なります。福井で現存しています。 |
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遠州鉄道⑪ 西ヶ崎 1975(S50).5.25 西ヶ崎の車庫(工場)です。 電車が定期検査中でした。 遠鉄電車の特徴で、連結部に幅広の幌を使い、見通しの良い構造になっています。 |
遠州鉄道⑪ 西鹿島付近 1975(S50).5.25 Nさん撮影 終点の西鹿島から少し歩いて、到着する電車を待ちました。 |
遠州鉄道⑫ 西鹿島付近 1975(S50).5.25 左の写真の続きで、通り過ぎたところを後追いで撮りました。 |
↑遠州鉄道⑬ 西鹿島 1975(S50).5.25 日車トーションバー台車です。 モハ30形・クハ80形の標準台車でした。 枕バネがネジリ軸(トーションバー)になっていて、ネジリ軸で振動を吸収する珍しい構造の台車です。 名鉄3721号で試験採用されましたが、本格採用は、遠州鉄道と広島電鉄だけだったようです。 |
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←遠州鉄道⑭ 西鹿島 1975(S50).5.25 クハ80形の先頭部分です。湘南顔の凜々しい感じでした。 |
遠州鉄道⑮ 西鹿島 1975(S50).5.25 終点・西鹿島です。 この駅で、国鉄二俣線(現・天竜浜名湖鉄道)に接続しています。 左と中ホームが遠州鉄道用、右のホームは国鉄二俣線ホームで、地下通路でつながっています。 |
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遠州鉄道⑯ Nさん撮影 西鹿島 1975(S50).5.25 上の写真⑮と同じですが、もう少し離れた位置から撮りました。 左にモハ22が停まっていました。 |
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遠州鉄道⑰ Nさん撮影 西鹿島 1975(S50).5.25 国鉄二俣線のホームから留置中の電車を撮りました。 手前から、モハ22-クハ62-モハ21で、 ラッシュ時に3両編成で走っていたようです。 この当時、この3両以外はモハ30形とクハ80形に統一されていました。 |
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二俣線C58へ | |
津島軽便堂 | 2015(H27).11.18up |
参考図書:
「軽便王国雨宮」 中川浩一・今城光英・加藤新一・瀬古龍雄著 丹沢新社 1972(S47).1.15発行
「世界の鉄道'76」朝日新聞社1975(S50).10.14発行