津島軽便堂写真館

二俣線C58       浜名湖の湖畔を走っていたC58の記録です。

国鉄二俣線は、東海道線の掛川~新所原67.7kmのローカル線でした。
海沿いを走っていた東海道線の天竜川や浜名湖の鉄橋が艦砲射撃で攻撃されるのを想定し、迂回路として建設され、太平洋戦争中に実際その役割を果たしました。

私は、二俣線を蒸気機関車がなくなる直前に訪問しました。そのときは、新所原から機関区のある遠江二俣まで乗りました。そのときの写真をご覧ください。

左の地図は、国土地理院1/20万「豊橋」S42.6.30発行より
二俣線(新所原~遠江二俣)を青くなぞり、撮影最寄り駅を赤丸で記入しました。赤線は、軽便の遠州鉄道奥山線の廃線跡です。
二俣線①

豊橋機関区 1971(S46).3.14

1971(昭和46)年3月31日まで、二俣線にはC58が運転されていました。
その年の3月には、「さよなら蒸気機関車」の臨時列車が毎週のように運転されました。

その写真を撮りに、初めて二俣線を訪問しました。
二俣線は、豊橋から向かうと新所原で分岐しますが、蒸機の旅客・貨物列車は豊橋が起点でした。
そんなわけで、まず豊橋で途中下車して機関区へ行きました。
さよなら列車の先頭に立つC58 200号と豊橋入換のC50 95号が並んでいました。
二俣線②

豊橋機関区 1971(S46).3.14

転車台を入れて撮りました。
この頃は何処へでも自由に入れたことが判ります。
おおらかな時代でしたね。


この写真を撮ったあと、豊橋を9時頃の列車で新所原乗り換え、二俣線に向かいました。
二俣線③

三ヶ日~都築 1971(S46).3.14

浜名湖をバックに走るC5820号の貨物列車です。
臨時客車列車の少し前に通りました。


二俣線初めての訪問で、どこで撮ってよいかわからず、地図で浜名湖畔を走る場所を探して、とりあえず歩きました。どこの駅で降りたか記憶が定かでありませんが、地図で調べると三ヶ日~都築のようです。
二俣線④

三ヶ日~都築 1971(S46).3.14

C58200号が先頭に立つ臨時客車列車です。この列車はC58の重連でしたが、写真では判らないですね…

上の写真③を撮ってから、この列車が通るまであまり時間がなかったと思われ、同じ場所で撮っています。この近くで他にとれる場所がなかったのかもしれません…
二俣線⑤

遠江二俣機関区 1971(S46).3.14

上の写真③④を撮ったあと、次の列車で遠江二俣まで追いかけてきました。
C58200号はデフの形状が左右で異なりました。

臨時客車列車は遠江二俣12:13着で14:20に折り返し出発です。
二俣線⑥

遠江二俣機関区 1971(S46).3.14

転車台の上に乗ったC58200号です。
二俣線⑦

遠江二俣機関区 1971(S46).3.14

小型の扇形庫です。
気動車が入っていました。貫通扉下部の渡り板裏に数字が書いてあり、それを拡大して読むと、左からキハ10 34、10 31、11 3です。
二俣線⑧

西気賀~寸座 1971(S46).3.14

臨時旅客列車の戻りを撮るため、遠江二俣から1本前の列車に乗り、西気賀で降り、線路と浜名湖を見下ろす密柑山に登りました。

臨時旅客列車の前座で、貨物列車が走りました。
二俣線⑨

西気賀~寸座 1971(S46).3.14

密柑山から望遠で、本命の臨時客車列車を俯瞰して撮りました。

この日から約2週間、二俣線の蒸機は残りましたが、私にとってはこれが最後の二俣線蒸機になりました。

二俣線ダイヤ (鉄道ファン117号 「蒸気機関車撮影地ガイド」より)

C58が牽引していた客車列車のスジを、貨物列車のスジをでなぞりました。

金指からセメント工場への専用線も出ていましたので、それなりの貨物列車が走っていました。
二俣線⑩ Nさん撮影

豊橋付近 1971(S46).3.18

上の写真①~⑨の4日後に、Nさんも二俣線を訪問しました。

豊橋を出発する二俣線の貨物列車です。
二俣線⑪ Nさん撮影

 豊橋 1971(S46).3.18

豊橋駅構内で入換に励むC50です。

向こう側に写っている湘南形電車にも時代を感じます。
二俣線⑫ Nさん撮影

豊橋機関区 1971(S46).3.18

機関区に憩うC50 96とC58 20です。
二俣線⑬⑭ 豊橋機関区 1971(S46).3.18  Nさん撮影

↑⑬ C58が停まっている右側に機関庫と転車台がありました。

←⑭ 給水塔・給炭台の横で休憩中のC50です。
二俣線⑮  Nさん撮影

西鹿島~二俣本町 1971(S46).3.18

天竜川の鉄橋を渡るC58貨物です。
後ろには、このあと2週間足らずで本務機になるDE10がくっついていました。


Nさんは上の写真⑩~⑭を撮ったあと、豊橋11:09の列車に乗り、新所原で乗り換えて西鹿島に12:40に到着しました。
二俣線⑯  Nさん撮影

 佐久米 1971(S46).3.18

佐久米駅の横を通過するC58貨物列車です。
金指の向こうの住友セメントの工場から専用線で運んできたセメント貨車タキをたくさん繋いでいました。

東名高速道路が横を走っていて、車窓から浜名湖の景観が見えなくなっていました。
二俣線⑰  Nさん撮影

 佐久米 1971(S46).3.18

上の写真⑯の続きです。

セメント貨車は8両でした。
この列車も、上の⑮と同様一番後ろにDE10を連結していました。
上の(⑨と⑩の間)ダイヤを見ると同じ673貨物列車で、金指でセメント貨車等を解結するため、約1時間停車し、その間に普通列車で追い越して撮ったと思われます。ダイヤをよく見るとスジに補機付きの△印が付いていました。
←二俣線⑱ 佐久米 1971(S46).3.18  Nさん撮影

 反対方向に向かう短い貨物列車でした。
 
↓二俣線⑲ 金指 1989(H1).3.18

左と上の写真⑮~⑱のちょうど18年後の平成元年に二俣線を訪問しまた。
二俣線は、その2年前に第三セクター天竜浜名湖鉄道になっていました。
金指駅は、セメント工場への専用線の分岐駅でしたので、右の方に留置線がありましたが、無煙化14年後の1985(S60)年に貨物輸送をやめていました。
この駅を経由していた軽便鉄道の遠州鉄道奥山線も、とっくの昔に廃線になっていました。
二俣線⑳

 天竜二俣 1989(H1).3.18

二俣線の拠点であった遠江二俣駅は、第三セクター天竜浜名湖鉄道になったとき(1987/S62年)に天竜二俣駅と名前を変えました。

第三セクター化に合わせて製造されたLEカーのTH1形がたくさん停車中です。

三ヶ日みかんのオレンジ色と、浜名湖・天竜川の水色を取り込んだ塗色でした。
二俣線(21)

 天竜二俣 1989(H1).3.18

機関庫の中から、転車台、駅舎方向を見ました。
二俣線(22)

 天竜二俣 1989(H1).3.18

転車台の前には、蒸機さよなら列車の先頭を飾ったC58 200号の煙室扉とナンバープレートと動輪が展示されていました。
二俣線(23)

 天竜二俣 1989(H1).3.18

機関庫遠景です。扇形庫としては小型の庫でした。
右の方の運転区の建物は立派でした。
二俣線(24)

西鹿島~二俣本町 1989(H1).3.18

天竜川の鉄橋を渡るLEカーTH1形です。


二俣線のC58→天竜浜名湖鉄道のTH1形の写真は、とりあえずこれで切りを付けます。


天竜浜名湖鉄道のトロッコ列車は、仕事で深く関わり、忘れられない想い出があります。この続編として、後日、トロッコ列車の写真をアップしますので気長にお待ちください。
 津島軽便堂Topページへ戻る  2015(H27).10.3up

参考図書:  鉄道ファン117号 「蒸気機関車撮影地ガイド」 昭和46(1971)年1月臨時増刊号 交友社発行