越後交通 栃尾線(21) 栃尾 1972(S47).3.23 終点の栃尾です。 先頭で牽引してきた電動車を機回し入換です。 荷物ホームに留置してあった(発送)荷物車を折り返し列車に連結し、牽引してきた(到着)荷物車を荷物ホームへ留置するという入換も行いました。 その入換の模様を順番に写真でご紹介します。 |
越後交通 栃尾線(22) 栃尾 1972(S47).3.23 211号は、荷物ホームに留置してあったニフ(発送)を連結するため、荷物ホームへ行きました(右から2本目です)。 |
越後交通 栃尾線(23) 栃尾 1972(S47).3.23 荷物ホームから、荷物を積み終わったニフ(発送)を連結し戻り、栃尾まで連結してきた客車の前に連結します。 |
越後交通 栃尾線(24) 栃尾 1972(S47).3.23 211号は、ニフ(発送)+ホハ2両+ニフ(到着)を連結し、一旦本線上へ引き上げ、到着したニフを荷物ホームへ置きに行きました。下の写真へ続く↓ |
越後交通 栃尾線(26) 栃尾 1972(S47).3.23 すぐ下の写真の続きです。到着ニフを荷物ホームへ置いたあと、また本線上へ引き上げ、出発ホームへ戻ります。一つ飛んで下の写真(27)へ続く |
越後交通 栃尾線(25) 栃尾 1972(S47).3.23 終点・栃尾駅構内の全景です。 なかなか雰囲気のある終着駅でした。 この写真は、入換の途中で、牽引してきたニフを荷物ホームへ押し込んでいるところです。 一番奥のニフ1両を、ここで切り放してもう一度本線上に引き上げ、出発ホーム(左から2本目)へ戻ると入換終了です。 入換の順番で行くと、この写真の次がすぐ上の(26)で、その次が下の(27)です。 |
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越後交通 栃尾線(27) 栃尾 1972(S47).3.23 栃尾駅は、栃尾電鉄の全盛期を偲ばせる雰囲気がありました。 この写真も私のお気に入りです。 機回しと、荷物車の差し替えを終えて出発準備の整った列車です。 |
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越後交通 栃尾線(28) 栃尾 1972(S47).3.23 上の写真(27)より少し近づいて撮りました。 編成は左から、モハ211+ニフ17+ホハ25+ホハ22でした。 ホハ22・25は1930(昭和5)年、松井車輌(松井自動車工作所)製の荷台付片ボギー式ガソリンカーのキ4・5で、栃尾鉄道の電化に伴い、エンジンの代わりに床下にモータを吊り下げ電車化、モハ201・202となり、車体大改造・両ボギー化も電車化に前後して行われました。しかし1個モータでパワー不足のため電装解除され、ホハ22・25になりました。 気動車→電車→客車と変遷を遂げた松井三兄弟の内の二人(両)です。 ・キ4→キハ106→モハ201→ホハ22 ・キ5→キハ107→モハ202→ホハ25 (青文字部分は前頁の再掲) 同じような運命をたどったホハ2両ですが、写真を見ると車体形状は少し異っていたことが判ります。 |
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越後交通 栃尾線(29) 栃尾 1972(S47).3.23 栃尾駅の端には、貨車とダブルルーフの客車が置いてありました。 その向こうには日通の倉庫もあり華やかだった昔を偲ばせます。 この客車はホハ1号で、1915(大正4)年に栃尾鉄道として開業したときから、蒸機に引かれ使われていた車両です。 当然木造車でしたが、1964(昭和39)年に車体に鋼板を張り付け、外吊りの乗降扉を取り付けるなどの大規模な更新工事が行われました。更新後も2・3等合造車だった名残が窓配置に残っていました。 その奥の貨車はワ16号で、1929(昭和4)年に自社工場で製造されました。 |
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越後交通 栃尾線(30) 栃尾 1972(S47).3.23 この写真を撮ったあと、列車の出発まで時間があるので駅前に行くと、ちょうど見附方面へ行くバスが出発するところでした。 ついついそれに乗ってしまいました。雁木の町並みを通ったので、それを初めて見て感激しましたが、帰りも栃尾線の列車に乗るべきだったと反省しています。 1年後に東北旅行をしたとき、栃尾線にも寄りましたが、時間の関係で浦瀬までしか行きませんでした。 栃尾駅はこれが最初で最後の訪問でした。 |
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↓日本交通公社時刻表1973(昭和48)年4月号より 前頁及び上の写真の1年後の時刻表です。 4/16改正予定と書いてありますが、1973(昭和48)年4月16日に悠久山~長岡と上見附~栃尾が廃止となりました。その部分廃止直前の時刻表で1年前に比べ列車本数が削減されています。 |
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越後交通 栃尾線(31) Nさん撮影 下長岡 1973(S48).3.23 下長岡の車庫をカラー写真で! 電車の色は、この当時の西武鉄道と同じ色で、なかなか良い色でした。 中央付近に真っ黒の車両が写っています。電気機関車ED51です。 上の写真(21)~(30)のちょうど1年後にNさんと二人で栃尾線を訪ねました。 前回は一人旅でしたが、今回は記録をとるNさんと一緒でしたので時間がはっきりしています。 急行「しらゆき」金沢発青森行きに富山から長岡まで乗車しました。長岡着13:41でした。長岡13:49発の栃尾行きに乗車し、下長岡で交換するときにホームから撮ったと思われます。 |
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越後交通 栃尾線(32) 浦瀬 1973(S48).3.23 長岡13:49発の栃尾行きで、浦瀬着は14:04でした。 乗ってきた列車を撮りました。 このあと浦瀬には16:30まで滞在しました。 |
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越後交通 栃尾線(33) Nさん撮影 浦瀬 1973(S48).3.23 上の写真(32)と同じ列車です。 線路の間のパイプは、地下水を流して雪を溶かす、雪解け用の配管ですね。 |
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越後交通 栃尾線(34) Nさん撮影 浦瀬~宮下 1973(S48).3.23 この列車は、記録によると次の栃尾行きのようです。15:20頃です。 右から左に向かって走っています。 モハを先頭に、+クハ+サハ+クハの4両編成でした。 |
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越後交通 栃尾線(35) 浦瀬~宮下 1973(S48).3.23 上の(34)と同じ列車です。 広告車が2両も入っていて、少しガックリしました。 |
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越後交通 栃尾線(36) Nさん撮影 浦瀬~宮下 1973(S48).3.23 上の列車と浦瀬で交換し、栃尾からの列車がやってきました。 栃尾線名物のデッキ付き電車209号が牽引していました。 強力な209号の後ろも電動車で、電動車2両の豪華編成でした。 |
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越後交通 栃尾線(37) 浦瀬~宮下 1973(S48).3.23 上の写真と同じ列車です。 私も、傾いた小屋を入れて撮りました。 とにかく、デッキ付の209号に会えて、とても嬉しかったです。 |
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越後交通 栃尾線(38) 浦瀬~宮下 1973(S48).3.23 上の写真(37)の続きです。 209号を先頭に、その後ろの電動車は旧塗装のモハ213号と思われます。 その後ろが、たぶんホハ24号で、一番後ろがニフです。 |
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越後交通 栃尾線(39) 浦瀬~宮下 1973(S48).3.23 (37・38)の続きです。 去りゆく列車を撮りました。 この続きが、下の(40・41)です。 |
越後交通 栃尾線(40) 浦瀬~宮下 1973(S48).3.23 Nさん撮影 | 越後交通 栃尾線(41) 浦瀬~宮下 1973(S48).3.23 |
越後交通 栃尾線(42) 浦瀬 1973(S48).3.23 浦瀬付近での撮影を終え、長岡へ戻ります。 浦瀬16:30発の列車でした。 ホームにはそれなりのお客さんが待っていました。 この列車に乗って長岡に戻りました。 長岡から浦瀬まで乗ってきた電車と同じ212号(上の写真32・33)でした。 34~41の写真を撮っている間に、この電車は栃尾まで行って戻ってきたことになります。 |
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越後交通 栃尾線(43) Nさん撮影 浦瀬 1973(S48).3.23 同じ場所で、Nさんのカラー写真です。 |
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越後交通 栃尾線(44) 車内 1973(S48).3.23 上の写真(42・43)の列車の車内です。上の写真ではかなりのお客さんが待っていますが、この車両は空いていました。これから一服付けようとしています。 昔は、こういう電車の中でもへっちゃらでタバコが吸えました(全車喫煙車!) 何号の車内か判りません。ホハかサハの車内と思われますが、床に大きな点検蓋がありますので、昔は電車か気動車だったようです。 |
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越後交通 栃尾線(45) 下長岡 1973(S48).3.23 上の写真(44)の列車で長岡へ戻る途中、浦瀬付近で撮ったデッキ付きのモハ209号ともう一度会うことができました。その横の客車はホハ24号と思われます。 交換した駅は、たぶん下長岡です。 |
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越後交通 栃尾線(45) 長岡 1973(S48).3.23 前年に栃尾で撮ったとき(上の写真27・28)は茶色一色の211でしたが、西武色ツートンに塗り替えられて長岡に停まっていました。 |
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越後交通 栃尾線(46) 長岡 1973(S48).3.23 こぢんまりとしていますが、しっかりしたホームでした。 ホームにはモハ207号がいました。207号は、元・草軽電鉄のモハ104号です。 可愛らしい顔ですね! |
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越後交通 栃尾線(47) 長岡 1973(S48).3.23 国鉄のホームから撮りました。 栃尾線で到着したあと約20分後の急行「赤倉」(名古屋発新潟行き)で新潟に向かいました。 左から、モハ211、ホハ25、モハ207と並んでいました。 ホハ25は、気動車→電車→客車と変遷を遂げた松井車輌製三兄弟の内一人(両)です。片ボギー式ガソリンカーを電動車化、その後両ボギー式に改造された名残でしょうか、左右で台車が異なりました。 これが私が撮った栃尾線の最後の写真となりました。 これより古い時代の栃尾線は 地方私鉄1960年代の回想をご覧ください。 |
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2015(H27).9.1renewal 2010(H22).12.29up |
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参考図書
「世界の鉄道'74」朝日新聞社1973(S48).10.14発行
「新・消えた轍5 上信越-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング2011.2.28発行
「軽便追想」 高井薫平著 ネコ・パブリッシング 1997(H9).4.30発行
「軽便探訪」 新井清彦著 機芸出版社 2003(H15).6.10発行
レイルNo.45 「私鉄紀行 北陸道 点と線(上)」 湯口 徹著 エリエイ2003(H15).7発行