三美運輸 三井美唄鉱で活躍したB6形 美唄鉄道1へ 美唄鉄道2へ
国鉄南美唄支線(3.0km)の終点、南美唄から1.2km三美運輸専用線(左図赤線)がありました。その終端の石炭積込場で、三美運輸のB6形蒸気機関車が入換に活躍していました。 1973(昭和48)年に三美炭鉱が閉山となり、専用線も廃止となりました。 三美運輸の終端(石炭積込場)の線路配置は →三美運輸・構内図をご覧ください。 函館本線美唄駅の東の方には、三菱の美唄鉱が、東南の南美唄周辺には三井の美唄鉱がありました。 1963(昭和38)年に三井美唄鉱は閉山となりましたが、その前年に三美鉱業三美炭鉱が設立され、昭和48年に閉山となるまで、石炭が採掘されました。 ←左図は、国土地理院1/20万「札幌」S41.2.28発行(上の1/4は「留萌」S41.5.30発行)より |
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三美運輸① railbusさん撮影 1968(S43).8.9 元国鉄のB6形蒸気機関車で、三美運輸の1号機です。 明治の雰囲気が漂ってきます。 B6形蒸機は、明治時代にイギリス、ドイツ、アメリカで計500両以上が製造された古典ロコです。 C1軸配置の機関車を、なぜB6と呼ぶかは→Wikipediaをご覧ください。 B6の詳細も→Wikipedia2100形です。 B6は大別すると4形式あり 2100形(2100~2116)イギリス製 2120形(2120~2387)イギリス製・一部国産 2400形(2400~2474)ドイツ製 2500形(2500~2667)アメリカ製 この三美運輸1号は、国鉄(鉄道院)時代の番号は2500形2649号で、1935(昭和10)年に明治製糖(→日本甜菜製糖)士別製糖所へ譲渡、1967(昭和42)年に三美運輸へ再譲渡されました。 |
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三美運輸② railbusさん撮影 1968(S43).8.9 斜め前から見た1号です。 前照灯の位置や横に付いている煙突のカバーがユニークです。 三美運輸には1・2号の2両の機関車が入換に活躍していましたが、各々、初代と2代目がいて、延べ4両が在籍しました。その4両とも全てB6形でした。 この写真の1号は2代目です。 国鉄 三美 2623号→初代1号(1949~1967) 2649号→2代目1号(1967~1973) 2651号→初代2号(1949以降~1963) 2248号→2代目2号(1963~1973) ↑RM LIBRARY 17 「B6回顧録」より |
←↓三美運輸③④ 1968(S43).8.9 railbusさん撮影 2代目2号機、国鉄(鉄道院)時代は2120形2248号で、イギリス・ノースブリティシュ製です。この機関車も日本甜菜製糖士別製糖所経由で三美運輸へやってきました。緑色のプレートを付けていて、庫内で黒光りしていました。定期検査から帰ってきたばかりのようです。 ↓修理箇所の記録が車体にチョークで縦書きに何行も書かれています。 |
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三美運輸⑤ railbusさん撮影 1968(S43).8.9 庫内の2号機のリヤービューです。 型式だけでなく、三井の社紋入りのプレートが光ります。ただし、2代目2号の型式は2500ではありませんので、初代から引き継いだプレートかもしれません。 |
三美運輸⑥ 1968(S43).8.9 railbusさん撮影 国鉄から三美運輸専用線へ乗り入れてきたD51 569[築]号です。 実はこの場所は南美唄貨物線で、三美運輸への引き込み線になっています。さすがのD51も急な坂道で空転していて、前に進まず、何回もシャッターを切ることができました。 |
三美運輸⑦ Nさん撮影 1971(S46).3.31 元2649号の1号機が、トラを石炭積込ホッパーに押し込んでいました。 railbusさんの訪問から3年後、Nさんも三美運輸を訪ねました。 美唄駅から「三井美唄」行きのバスで郵便局前で下車し、そこから築堤を登るとホッパーが見えました。 ↓1号機も、三井の社紋入りのプレートが光ります。赤いプレートでした。こちらは正真正銘の型式2500です。 |
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三美運輸⑧ Nさん撮影 1971(S46).3.31 石炭積込ホッパー側から構内を見た風景です。 上の写真⑦の逆方向から撮りました。右端に写っている建物は機関庫です。 |
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三美運輸⑨ Nさん撮影 1971(S46).3.31 1号機の入換です。トラをホッパーに押し込みます。 上の写真の右横(機関庫の横)から構内を見た写真です。 |
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三美運輸⑩ Nさん撮影 1971(S46).3.31 1号機が貨車を引いたり押したり、活躍していました。 |
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三美運輸⑪ Nさん撮影 1971(S46).3.31 三美運輸専用線の終点の構内全景です。 この構内を、1号機が入換で行ったり来たりしていました。 上の写真⑩を撮った場所から反対側を見た風景です。 |
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三美運輸⑫ Nさん撮影 1971(S46).3.31 1号機を正面側から捉えることができました。 元国鉄の2649号で、1905(明治38)年にアメリカ・ボールドウィンで製造された機関車です。 ボールドウィンらしくないスタイルですが、元々B6形はイギリスのダブス社製で、1890(明治23)年に最初の機関車が完成しました。 日露戦争用に、1904(明治37)年からわずか2年間でB6形を416両も大量増備する必要があり、イギリスだけでは賄いきれず、ドイツ・アメリカにも同じタイプを発注しました。そのためボールドウィンらしくないスタイルになったということです。 |
三美運輸⑬ 1971(S46).3.31 Nさん撮影 機関庫の中から見た1号機です。なお、この機関庫の奥のほうには2号機が休んでいました。 |
三美運輸⑭ 1972(S47).3.26 Nさん撮影 三美運輸の機関庫です。この写真は⑦~⑬の1年後です。1年ぶりに訪問したら、1・2号機が両方とも車庫で休んでいました。諦めて早々に美唄鉄道訪問に切り換えました。(カレンダーで調べると日曜日だったようです) |
三美運輸⑮ Nさん撮影 1972(S47).3.27 石炭積込ホッパーをバックに、1号機が元気に動いていました。 上の写真⑭の翌日です。Nさんは、この日も朝早くから、三美運輸を訪問しました。 |
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三美運輸⑯ Nさん撮影 1972(S47).3.27 入換をする1号機ですが、向こうの方に貨車の長い編成が停まっており、その先に蒸機がいるようです。 |
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三美運輸⑰ Nさん撮影 1972(S47).3.27 テンダーファースト(逆向き)のD51が貨物列車の先頭にいました。 国鉄から三美運輸へ乗り入れてきた石炭列車が、南美唄(手前側)に向けて出発準備をしていました。 上の写真⑯の奥のほうから逆方向を見た写真です。 ここが専用線終点駅の入口です。 →三美運輸・構内図をご覧ください。 この写真はカラーポジ(フジ)でしたが、うまく色補正できなかったので白黒でアップしました。 |
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三美運輸⑱ Nさん撮影 1972(S47).3.27 石炭を満載した貨物列車を牽引し、D51がバック運転で南美唄に向けて専用線を出発しました。 |
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↑交通公社時刻表1970(昭和45)年8月号 美唄~南美唄の函館本線・南美唄支線には旅客列車が6往復運転されていました。 1971(昭和46)年8月3日で旅客扱いを廃止(Nさんは乗りました)。 1973(昭和48)年、三美鉱業が閉山し、左写真の三美専用線が廃止となり、南美唄支線も貨物営業を廃止、廃線となりました。 |
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三美運輸⑲ Nさん撮影 1972(S47).3.27 Nさんが、高校のころ鉄道雑誌で見て、憧れていた風景です。 冬の鉱山に小さな機関車が走っていて、荷車を牽く道産馬が主役の写真です。 これを写してやろう意気込んで、三美運輸を何度も訪問しました。 やっと、その願いが叶いました。超ラッキーです。満足、満足!! ↓感動しすぎて一寸ブレたので、小さくしました。(^^;) |
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三美運輸⑳ Nさん撮影 1972(S47).3.27 これが現役B6最後の写真です。 煙が良い感じです。 B6は大量に生産されたので、国鉄では駅の入換などで1961(昭和36)年まで使用されました。 譲渡先の私鉄や専用線で、最後まで現役で使用されたB6が、この三美運輸の1・2号機です。 1973(昭和48)年の閉山・廃線まで使用されました。 |
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津島軽便堂 | 美唄鉄道1へ 美唄鉄道2へ | 2013(H25).9.17up |
参考図書:
RM LIBRARY 17 「B6回顧録 (私鉄・専用鉄道・専用線編)」 瀬古龍雄著 ネコ・パブリッシング 2000.12.1発行
RM LIBRARY 16 「B6回顧録 (国鉄編)」 瀬古龍雄著 ネコ・パブリッシング 2000.11.1発行
「鉄道ピクトリアルNo.259」 臨時増刊号 1971.12月号 鉄道図書刊行会発行
「機関車の系譜図1・2」 臼井茂信著 交友社1972.9.10&'73.4.10発行
「小型蒸気機関車全記録(東日本編)」 高井薫平著 講談社 2012.1.26発行