津島軽便堂写真館

三菱鉱業美唄鉄道 2/2            美唄鉄道1へ     三美運輸へ

美唄鉄道⑯ Nさん撮影

 美唄 1971(S46).3.31

国鉄払い下げの4122号と、自社発注の4号が並びました。
4122号の丸いナンバープレートが魅力的です。
3年前(前頁の写真②③)は四角のプレートを付けていました.

Nさんは、前頁の⑫~⑮を撮った翌日も美唄鉄道を訪問しました。2日連続で行った甲斐がありました。

この日は、朝 札幌を出て8:57に美唄に着きました。すぐ美唄駅からバスで南美唄の奥にある三美運輸を訪問しました。そこでB6を撮り、次に夕張に向かう途中に美唄鉄道の構内で撮りました。
美唄鉄道⑰ Nさん撮影

 美唄 1971(S46).3.31

4122号を横から見ました。


この4122号は、1971(昭和46)年に廃車となっていますので、廃車直前の姿と思われます。
美唄鉄道⑱ Nさん撮影

 美唄 1971(S46).3.31

斜め後ろから見た4122号です。
美唄鉄道⑲ Nさん撮影

 美唄 1971(S46).3.31

左の6号機は、元国鉄9600形69603号です。1942(昭和17)年に国鉄から譲渡され、廃線まで活躍しました。
美唄鉄道⑳ Nさん撮影

 美唄 1971(S46).3.31

機関庫の前に並んだ4122号と4号です。
左の機関庫の中にも機関車がいて、写真を拡大して確認したら2号でした。

この当時(廃止約1年前)の美唄鉄道に残っていたE形タンク機関車は、2、4、4122号の3両でした。
美唄鉄道(21) railbusさん撮影

 美唄 1971(S46).12.25

4122号です。残念なことに廃車になっていましたが、機関庫の中に保存されていました。

railbusさんは社会人になり、京都でまじめなサラリーマン生活を送っていましたが、新入社員のくせに無理を言って休暇をもらい1971(昭46)年の暮れから1972年の正月にかけて冬の北海道を訪問しました。
1971年12月24日大阪伊丹空港20:30発東亜国内航空のポールスター便に搭乗、これは札幌行きの深夜便YS11です。いったん羽田に立ち寄りますが、機材はそのままで翌12月25日の午前2:40に(旧)千歳空港に着きます。千歳ではこんな真夜中でもバスが連絡していて、AM3:00の中央バスで札幌駅に4:00に到着しました。短い仮眠の後、まずは美唄へ向かいます。札幌5:40(521D)→6:55美唄。

美唄鉄道(22) railbusさん撮影

 美唄 1971(S46).12.25

転車台に乗っている4号機です。

雪景色がなかなか良い感じです。
美唄鉄道(23) railbusさん撮影

 美唄 1971(S46).12.25

庫内から見た4号機のリヤビュー、良い雰囲気が出ています。
美唄鉄道(24) railbusさん撮影

 美唄 1971(S46).12.25

4号機に牽かれた客車列車が出発の準備をしています。
3連窓の客車にツララが下がっています。
美唄鉄道(25) railbusさん撮影

 美唄 1971(S46).12.25

機関庫前の4号機です。

railbusさんの美唄鉄道の写真は、これが最後です。

(21)~(25)の写真を撮影したのち、深川へ向かいました。
美唄には1時間ほどの滞在でした。
美唄8:07(321列車)→9:18深川
美唄鉄道(26) Nさん撮影

東明~盤の沢 1972(S47).3.27

盤の沢付近の渓谷を走る、常盤台行きの貨物列車です。

Nさん2度目の美唄鉄道訪問です。
前頁と上の写真⑫~⑳の1年後、1972(昭和47)年3月27日、札幌を出発し9:19に美唄に到着、三美運輸を訪問した後、バスで盤の沢の峡谷の対岸に行き、Eタンクが沢山の貨物を引く走行写真を撮りました。
美唄鉄道(27) Nさん撮影

東明~盤の沢 1972(S47).3.27

上の写真(26)の続きです。
この写真を撮ったあと、帰りはヒッチハイクで美唄に戻りました。
美唄鉄道(28) Nさん撮影

 美唄 1972(S47).3.28

美唄構内で煙を吐いている4号と6号です。

上の写真(26・27)を撮った翌日も美唄を訪問しました。
この日は、15:18に美唄に着き、構内で左の写真を撮り、バスで盤の沢に向かいました。
美唄鉄道(29) Nさん撮影

東明~盤の沢 1972(S47).3.28

常盤台へ向かう列車です。
16時20分、バスで盤の沢の対岸に着き、夕暮れ迫る渓谷で撮りました。

一見、運炭列車(返空)ですが、美唄16:30発の1日1本だけの常盤台行きの旅客列車と時間帯がピッタリ合うので、この列車は後ろに客車をつないだ混合列車と思われます。

これがNさんの美唄鉄道最後の写真です。結局、盤の沢より奥には行かず、美唄鉄道にも乗らずに終わってしまいました(1日1往復の旅客列車を撮っていては乗れませんが・・・)
炭坑らしい風景を撮らなかったのが心残りです。
この写真を撮った約2ヶ月後の1972(昭和47)年5月31日限りで美唄鉄道は廃止となりました。
 2013(H25).9.13up
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参考図書: 「新・消えた轍1 北海道-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング 20011.7.30発行