津島軽便堂写真館

山口線  SL現役時代SLやまぐち号

山口線は山口県の小郡(現・新山口)から島根県の益田に至るの93.9kmの陰陽連絡ローカル線です。
そのうち小郡~津和野間は、国鉄の蒸気機関車(SL)廃止後に、最初にSL復活運転が1975(昭和50)年8月から開始されました。現在も「SLやまぐち号」として運転されていて、人気を集めています。

山口線の現役SLは1973(昭和48)年10月に引退しました。
現役時代の1971年に訪問しましたので、その写真をご覧ください。


左の地図は、国土地理院1/20万「山口」S45.2.28発行に主要駅と撮影最寄駅を青字で追記しました。仁保~篠目間の田代峠が分水嶺の峠で、山口線最大の難所です。
2003(平成15)年10月から小郡駅は新山口駅に改称されました。
山口線-01  Nさん撮影

 篠目 1971(S46).3.7

篠目に到着する小郡行きの客車列車です。
当時の時刻表で調べると、篠目7:32発の522列車です。

左下が篠目駅で、その上に写っている白い大きな建物は篠目小学校と思われますが、廃校になったようです。
山口線-02  Nさん撮影

篠目~仁保 1971(S46).3.7

篠目を出発し田代峠に向かう客車列車です。
上の写真01と同じ場所から同じ列車を撮りました。上の写真は望遠で、下の写真は標準レンズです。
D51+客車6両の編成です。
山口線-03  Nさん撮影

津和野機関区 1971(S46).3.7

津和野駅に隣接した機関区に停泊するD51 612です。
当時の山口線は、客車列車も貨物列車も集煙装置付きのD51で運行されていました。

津和野機関区の正式名称は山口線管理所で、機関車の区名札には「山」が入っていました。↓
山口線-04  Nさん撮影

津和野機関区 1971(S46).3.7

津和野の転車台と扇形庫です。
扇形庫の中には3台のD51がいました。

現在、転車台は「SLやまぐち号」のSL方向転換用に残されていますが、扇形庫は解体されました。
山口線-05  Nさん撮影

 津和野 1971(S46).3.7

給炭台横に停泊中の機関車から、津和野駅を見ました。
津和野駅の全景です。
山口線-06

 仁保 1971(S46).7.23

仁保に停車中のD51です。田代峠に向かいます。

九州へSL撮影旅行に向かう途中に山口線へ寄りました。
仁保で下車して峠越えのSLを撮るつもりで歩き始めましたが、雨が降っていて雷が鳴り出しました。雷がひどくなってきたので、山の中を歩くのが怖くなり、撮影を諦め駅へ戻りました。
撮影を予定していたD51客車列車に乗り津和野に向かいました。
そのときに仁保で撮った写真です。
山口線-07

 津和野 1971(S46).7.23

津和野を出発したD51客車列車・益田行きです。
(523列車、津和野17:27発)
この列車に仁保から乗り、津和野で下車しました。

当時の時刻表を見ると、山口線の客車列車は1日1往復で、その他はディーゼルカーでした。
山口線-08

 津和野 1971(S46).7.23

津和野に停車中の貨物列車です。
上の写真07を撮った後、隣のホームに停車中の貨物列車を撮りました。
客車列車より少し前に到着したと思われます。
ホーム上をリヤカーで運ばれる荷物は、客車列車から降ろされた荷物でしょうか。
山口線-09

津和野~船平山 1971(S46).7.23

津和野の町並みを見ながらD51単機回送です。

津和野で下車して南へ歩き、津和野の町並みを見下ろす丘に登りました。
山口線-10

津和野~船平山 1971(S46).7.23

上の写真09の続きです。

1970(昭和45)年10月の山口線ダイヤです。(鉄道ファン117号より)
津和野以南が省略表示ですが・・・

D51牽引の客車・貨物列車のスジを青くなぞりました。
山口線-11

津和野~船平山 1971(S46).7.24

津和野に宿泊し、町なかを散策したあと、町外れまで歩き貨物列車(上のダイヤで564列車)を撮りました。
山口線-12

津和野機関区 1971(S46).7.24

津和野駅から北を見た写真です。
機関区(正式名称は山口線管理所)の全景です。
右の線路が益田に向かう山口線で、左奥に扇形庫が見えます。
山口線-13

津和野機関区 1971(S46).7.24

停泊中のD51 1041に近寄って撮りました。
山口線-14

津和野機関区 1971(S46).7.24

機関車の後ろから津和野駅方向を見ました。
山口線-15

津和野機関区 1971(S46).7.24

転車台と扇形庫です。
山口線-16

津和野機関区 1971(S46).7.24

扇形庫の中にいたD51 581です。
山口線-17

津和野機関区 1971(S46).7.24

扇形庫の中にいたD51 194です。

D51 194は、現在 津和野駅前に保存展示されています。
 (↓下の写真27参照)
山口線-18

新山口 2024(R6).9.29

上の写真から53年後に、山口線を再訪しました。
新山口駅で出発を待つ「SLやまぐち号」です。

山口線でのSL復活運転は、1975(昭和50)年8月から開始されましたが、それから49年経って初めて訪問しました。
SLやまぐち号は人気の列車で、私が乗車した日(2024.9.29)は満席(全車指定席)でした。沿線も至る所にカメラマンや手を振り見送る人々がいました。
山口線-19・20 仁保 2024(R6).9.29

仁保駅で峠越えに備えて5分ほど停車するという案内放送があったので、乗客は降りて撮影しました。
仁保駅には、53年前に下車しています(上の写真06)が、写真を見比べるとホーム先端に跨線橋ができています。跨線橋の上には「SLやまぐち号」を待ち構えていた人が大勢いました。
山口線-21

 地福 2024(R6).9.29

地福駅では列車交換のため通常ダイヤで14分停車します。
ほとんどの乗客が列車から降りて撮影タイムです。
山口線-22

 地福 2024(R6).9.29

キハ40系単行の反対列車が到着しました(12:38)。
通常ダイヤなら、この列車の到着を待ちSLやまぐち号は出発しますが、この日はさらに7分余分に停車し12:45出発でした。
JTB時刻表(2024.7月号)を見ると、9月8・29日は時刻変更と記載してありました。
何故時刻変更したのか不明でしたが、しばらく後に納得しました。この日は臨時列車が運転されたためでした(次の写真)。
山口線-23

 徳佐 2024(R6).9.29

臨時列車「トワイライトエクスプレス瑞風」が徳佐駅を通過します。

SLやまぐち号が徳佐駅に到着する前に、「トワイライトエクスプレス瑞風と交換待ちのため3分停車します。ご覧になる方はホームの白線の内側でお見送りください」と言った主旨の案内放送がありました。
ほとんどの乗客がホームへ出て見送りました。
山口線-24

 徳佐 2024(R6).9.29

トワイライトエクスプレス瑞風が通過しました。
最後部が展望デッキになっていることを、恥ずかしながら初めて知りました・・・
山口線-25

 徳佐 2024(R6).9.29

「瑞風」が通り過ぎ(チラッと後ろ姿が)、ホームで見送った乗客がSL列車に乗り込みます。
ほとんどの乗客がホームで「瑞風」を見送ったことが分かります。

SL列車に乗って「瑞風」が見られることは滅多にないので、この日のお客は幸せでした。沿線にカメラマンが大勢いたのもSL+瑞風狙いだったかもしれません。

憧れの「瑞風」に一度は乗ってみたいと思いますが、あとで値段を調べたら私の予想の10倍でした・・・
山口線-27 津和野駅前 2024(R6).9.29

終点の津和野に到着した「SLやまぐち号」です。
山口線-27 津和野駅前 2024(R6).9.29

津和野駅前に保存展示されているD51 194号です。
山口線-28 津和野駅前 2024(R6).9.29

同左、横から撮りました。後ろが津和野駅舎です。
山口線-29

津和野機関区跡 2024(R6).9.29

機関区跡から津和野駅を見ました。
転車台の手前側に扇形庫があったのですが、完全に撤去されていました。
山口線-30

 津和野 2024(R6).9.29

津和野に到着したSLやまぐち号は入換をして1番線に移動しました。
折返しは16:12発の新山口行きになりますので、しばらく停泊します。
山口線-31

 津和野 2024(R6).9.29

2番ホームからSLやまぐち号を見ました。

このあと、私は右の3番線から出発する「スーパーおき」に乗って山陰に向かいました。
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参考図書:「鉄道ファン No.117」 1971(昭和46)年1月臨時増刊 交友社
     国鉄監修 時刻表1970(S45)年8月号 日本交通公社発行
     JTB時刻表 2024(R6)年7月号 JTBパブリッシング発行