津島軽便堂写真館

因美線津山   陰陽連絡の役割を果たしていた頃の因美線と津山

因美線は、鳥取~東津山70.8kmの路線ですが、東津山で姫新線に合流し、実質は鳥取~津山73.4kmの路線でした。津山線(津山~岡山58.7km)と共に、山陰の鳥取と山陽の岡山を結ぶ陰陽連絡線の役割を果たしていました。

1994(H6)年12月に智頭急行(左図の右上赤線)が開業するまで、鳥取~岡山間には急行「砂丘」が5往復走っていました。
所要時間は約2時間半で、鳥取から東京・大阪方面に向かう場合の主要ルートでした。

現在では、鳥取~大阪方面の特急列車どころか、鳥取~岡山間の特急列車も智頭急行線経由になり、鳥取~智頭間は幹線、智頭~津山間は完全なローカル線になりました。

陰陽連絡の役割を果たしていた頃の因美線と津山駅の写真をご覧ください。

この地図は国土地理院発行20万分の1
 「姫路」昭和41.4.30発行(右85%)
 「高梁」昭和45.4.30発行(左15%)
       
撮影地最寄駅などを追記しました
津山①

 津山 1991(H3).10.26

朝靄に霞む津山駅です。
津山は、津山線、因美線、姫新線が集まる鉄道の要衝で、駅に隣接して車両基地がある広い構内でした。

津山線の列車が間もなく出発します。

津山駅前に宿泊し、朝早く駅へ出かけて撮りました。
津山②

 津山 1991(H3).10.26

津山駅に隣接している車両基地です。

この当時はキハ40系が主力でした。
紺色に白帯の車両が因美線の普通列車に使われていました。

この奥が扇形庫です。
津山③

 津山 1991(H3).10.26

津山機関区の扇形庫です。
既に蒸気機関車は引退し、使われていませんでした。

2016(H28)年4月から、津山まなびの鉄道館としてリニューアルされ、保存車両を展示しています。
津山④  Nさん撮影

津山機関区 1971(S46).3.11

上の写真①~③の20年前です。
蒸気機関車が現役時代の津山機関区です。
Nさんが訪問しました。

扇形庫の中にC58が3両います。
津山⑤  Nさん撮影

津山機関区 1971(S46).3.11

C58 387です。

この当時、姫新線と因美線でC58が使用されました。
津山⑥  Nさん撮影

津山機関区 1971(S46).3.11

C11 77です。
C11は津山線で使用されました。


1971年の写真は以上です。
津山⑦

 津山 1991(H3).10.26

再び1991年に戻ります。

扇形庫の中から転車台を見ました。


この写真を撮った後、津山城を見物に行きました。
津山⑧

 津山 1991(H3).10.26

津山駅へ戻ると、朝靄が晴れて、遠くまで見えるようになりました。

車両基地に集う車両群です。
青緑色のキハ23は加古川線色と呼ばれる色の車両で、姫新線にも使われたようです。
津山⑨

 津山 1991(H3).10.26

津山に停車中の姫新線の列車です。
その左に、紺色の因美線の列車が停車中ですが、陰に隠れています。
因美線①

美作加茂 1991(H3).10.26

紺色+白帯は津山から乗ってきた普通列車(ワンマン)です。
急行列車と交換のため、しばらく停車したので、下車して隣のホームで急行の到着を待ちました。
因美線②

美作加茂 1991(H3).10.26

急行「砂丘」が到着しました。駅長がタブレットを交換します。

この当時、急行列車が走る路線でタブレット閉塞+腕木信号機は希少価値になっていました。
因美線③

美作加茂 1991(H3).10.26

上の写真の続きです。


因美線のタブレット閉塞は、鳥取~智頭間が1994(H6)年3月、残区間が1999(H11)年12月にCTC導入で自動閉塞化されたということです。
因美線④

美作加茂 1991(H3).10.26

駅長は急行から受け取ったタブレットを肩にかけ、分岐器と腕木信号機を切り換えます。
因美線⑤

美作加茂 1991(H3).10.26

駅長は急行列車の車掌に出発合図をして、出発を見送ります。
因美線⑥

美作加茂 1991(H3).10.26

駅長は、急行列車の出発を見送った後、ホームを移動し、急行列車から受け取ったタブレットを普通列車の運転士に渡します。
これが済むまで、普通列車は出発しないので、安心してホームで写真を撮ることが出来ました。
因美線①~⑥は、この列車が美作加茂停車中に降りて撮った写真です。

再び、この普通列車に乗り、美作河井へ向かいました。
因美線⑦

美作河井 1991(H3).10.26

到着した普通列車です。昼頃でした。
この列車から真っ先に降りて撮りました。

タブレットを交換して出発です。
因美線⑧

美作河井 1991(H3).10.26

上の写真の続きで、智頭方向へ出発した列車です。
駅長が見送ります。
因美線⑨

美作河井 1991(H3).10.26

良い雰囲気の、昔ながらの駅舎でした。
因美線⑩

美作河井 1991(H3).10.26

鳥取行きの急行「砂丘」が通過します。
運転助士がタブレットを通票受器に引っかけます。

この写真を撮るために、この駅で下車しました。
因美線⑪

美作河井 1991(H3).10.26

駅の全景です。
因美線⑫

美作河井 1991(H3).10.26

ホームの智頭方にあった信号扱い所です。
津山行きが到着します。
因美線⑬

美作河井 1991(H3).10.26

この駅で列車交換です。
智頭行き(右)が到着します。
この列車に乗って美作河井をあとにしました。

美作河井には約1時間半滞在し、因美線⑦~⑬の写真を撮りました。
因美線⑭

 智頭 1991(H3).10.26

鳥取方向から黄緑色の気動車が智頭に到着します。
腕木式を色灯式信号機に取り替える工事が始まっていました。

⑮若桜鉄道

 若桜 1991(H3).10.26

上の写真⑭を撮った後、郡家で乗換え、若桜鉄道の乗り鉄をしました。
若桜鉄道は、元国鉄若桜線でしたが、1987(S62).10.14にJR西日本から若桜鉄道へ転換されました。

若桜駅の駅舎は、現在もこの木造駅舎で、国の登録有形文化財になっています。

この折り返し列車に乗り鳥取へ行きました。
⑯山陰線

 鳥取 1991(H3).10.26

特急「エーデル鳥取」が、鳥取駅に到着します。
山陰線、福知山線経由の大阪行きで、この列車に乗り帰りました。
⑰山陰線

 岩美 1991(H3).10.26

「エーデル鳥取」の運転台後ろから撮りました。特急「はまかぜ」と交換です。
岩美駅と思われます。
⑱山陰線

余部鉄橋 1991(H3).10.26

夕暮れの余部鉄橋を渡る「エーデル鳥取」です。
運転台後ろから撮りました。
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