津島軽便堂写真館

木次線(きすきせん) 奥出雲おろち号 +出雲坂根スイッチバックのC56

木次線を走ったトロッコ列車「奥出雲おろち号」は2023(令和5)年11月23日に運行を終了しました。
私は木次線を乗ったことがなく、一度は「奥出雲おろち号」に乗りたいと思っていましたが、終点・備後落合に到着しても芸備線の接続列車がないので、行くのを躊躇していました。
そんなとき、クラブツーリズムのパンフレット(↑上図)で「奥出雲おろち号」ツアーがあることを知り、早速2023年5月21出発のコースを申し込みました。
←乗客に配布された「おろち号パンフレット」中面
おろち号の運行区間(木次線)の部分を抜粋しました。
通常は木次~備後落合間で運行されました。

ツアーの1日目は、名古屋を出発「ひかり」「やくも」を乗り継ぎ13:11出雲市駅着。一畑電車1日フリー切符で出雲大社・松江城をめぐり出雲市駅前ホテルに宿泊。2日目に出雲市駅から普通列車を乗り継ぎ、木次駅へ移動し、木次から「奥出雲おろち号」に乗車しました。
↑木次線-01
  宍道 2023(R5).5.22

宍道9:09発の木次線普通列車です。トロッコ鉄道は木次始発なので、トロッコ列車ツアー客は、この列車で木次まで移動します。
←木次線-02
  宍道 2023(R5).5.22

宍道に到着した特急「スーパーまつかぜ」です。
特急「まつかぜ」は山陰線を代表する列車というイメージでしたが、今やこんな姿に・・・
この特急に接続して木次線の列車は出発しました。
木次線-03

 木次 2023(R5).5.22

木次へ9:43に到着したキハ120形。
同じ2番ホームから「奥出雲おろち号」が出発するため、キハ120形はホーム端へ移動。
木次は検修庫のある広い構内でした。
木次線-04

 木次 2023(R5).5.22

木次駅の駅舎です。
木次線-05

 木次 2023(R5).5.22

2番線に入線する「奥出雲おろち号」。乗車客が一斉にカメラを向けます。
側線に留置してあった列車を2番ホームへ転線しました。
木次線-06

 木次 2023(R5).5.22

「奥出雲おろち号」の先頭側です。
備後落合行きはDE10に推進されて走ります。
左端に写っている「き(すき)」の駅名標が良いですね。
木次線-06

 木次 2023(R5).5.22

トロッコ列車「奥出雲おろち号」の車内です。月曜日でも満席でした。
1番線(左側)に宍道行きの列車の到着を待ち、10:08に木次を出発です。
「奥出雲おろち号」パンフレットの裏面です。編成図とトロッコ車(1号車)の指定席番号です。控車(2号車)の窓付き座席車の同じ座席番号の席に座ってもOKです。
木次線-07

出雲八代 2023(R5).5.22

出雲八代を出発する「おろち号」です。近くの幼稚園児がお見送りをしてくれました。
地元が一体となってトロッコ列車を盛り上げようとする気持ちが嬉しいです。
木次線-08   2023(R5).5.22

出雲八代~出雲三成

車窓風景です。
木次線-09

出雲三成 2023(R5).5.22

出雲三成へ到着します。
反対列車が待っていました。
木次線-10

 車内 2023(R5).5.22

控車スハフ12系の車内です。
こちらにのんびり座っている人もいました。
木次線-11

 亀嵩 2023(R5).5.22

まもなく亀嵩に到着です。
亀嵩は映画『砂の器』で一躍有名になった駅です(私は映画館で見ました)

前日に添乗員から、「トロッコ列車用に『そば弁当』を亀嵩駅と八川駅で販売します。希望者は申し込んでほしい。代金は釣り銭のないように準備し、商品と引き換えです」と説明があったので、申し込みました。
木次線-12

 亀嵩 2023(R5).5.22

亀嵩駅で駅弁販売。
予約者限定の『そば弁当』1個750円
停車時間1分では対応できず、遅れること必定。
木次線-13

亀嵩~出雲横田 2023(R5).5.22

早速、そば弁当を食べる人もいました。
木次線-14

出雲横田~八川 2023(R5).5.22

トロッコ列車が保育園の横を通過。
トロッコ列車を待ち構え、みんが手や旗を振ってくれました。
沿線人口は少ないですが、トロッコ列車を見かけた人はみな手を振ってくれました。

大井川鉄道沿線では「SL列車を見かけたら仕事の手を休めて手を振る」運動が行われていると聞きました。ここも同じことが行われていて、嬉しく思いました。
木次線-15

 八川 2023(R5).5.22

八川駅で『そば弁当』の販売です。
車内では列車の窓から買う人が待ち構えていますが、待ちきれない人は下車して購入しています。
1分停車ですが、全員が買い終わるまで出発を遅らせました。
木次線-16

八川~出雲坂根 2023(R5).5.22

車窓風景です。
次はいよいよ沿線のハイライト・三段スイッチバックの出雲坂根です。
木次線-17

出雲坂根 2023(R5).5.22

出雲坂根に到着した「おろち号」
この駅で5分停車し、折り返して三段スイッチバックを上ります。
列車は、亀嵩・八川駅で『そば弁当』販売のため出雲坂根へ5分遅れて到着しましたが、5分停車は守り、出発を遅らせました。
ほとんどのお客は一旦降りて写真を撮ったり、駅舎横の「延命水」の所へ行きました。
木次線-18

出雲坂根 2023(R5).5.22

まもなく出雲坂根を出発します。
立派な駅舎がありました。調べたら2010年に新築された駅舎のようです。乗降客はほとんどいない駅ですが、「おろち号」乗客の休憩用に作られたのでしょうか?
木次線-19

出雲坂根 2023(R5).5.22

出雲坂根を出発し最初のスイッチバックを上ります。
左の線路が木次から走ってきた線路です。
三段スイッチバックの出雲坂根ですが、木々が生長し見通しが悪くなってきたようです。
木次線-20

出雲坂根 2023(R5).5.22

スイッチバック2度目の折り返し点です。スノーシェッドの向こう側で左へ分岐し、2段目から3段目に入り三井野原に向かいます。
木次線-21  Nさん撮影

出雲坂根 1971(S46).3.12

上の写真の52年前の出雲坂根
三段スイッチバックの全景です。

列車の上下に線路があり、Z形の三段スイッチバックであることがよく分かります。
木次線-22  Nさん撮影

出雲坂根 1971(S46).3.12

スイッチバックの1段目と2段目の分岐付近です。
この右側が出雲坂根駅です。

右上の白い築堤が、三井野原・備後落合に向かう線路で、この高低差のための三段スイッチバックです。
1970(昭和45)年10月の木次線ダイヤです。
 (鉄道ファン117号より)

この当時の木次線は、陰陽連絡の亜幹線で、広島~米子間に夜行を含む急行「ちどり」が3往復走っていました(うち1往復は鳥取へ直通)
出雲坂根スイッチバック越えのC56貨物列車も1往復ありました。
木次線-23  Nさん撮影

出雲坂根 1971(S46).3.12

木次から備後落合に向かうC56牽引の貨物491列車です。
まもなく出雲坂根に到着します。
木次線-24  Nさん撮影

出雲坂根 1971(S46).3.12

C56貨物列車は2段目のスイッチバックに入り、写真左方向へ列車を押し上げています。
列車の進行方向に(写真中央付近)に黒い穴のようなものが見えますが、そこがスノーシェッドで、2段目と3段目のスイッチバックの分岐点です。
木次線-25  Nさん撮影

出雲坂根 1971(S46).3.12

C56貨物列車は3段目のスイッチバックに入りました。
その下に2段目、1段目の線路が見えます。
木次線-26  Nさん撮影

出雲坂根 1971(S46).3.12

上の写真25の続きで、三井野原・備後落合方面へ去り行くC56貨物列車です。

木次線-27

備後落合 2023(R5).5.22

再び現代に戻り、終点の備後落合に12:36に到着したトロッコ列車「奥出雲おろち号」です。
トロッコ列車に乗ってきたお客で、駅は一時の賑わいです。

備後落合は中国山地にある鉄道の要衝でしたが、今や見る影もありません。芸備線も木次線も優等列車は皆無で、1日数本の列車が折り返すだけです。
トロッコ列車で到着しても、、芸備線の列車は三次・新見方面共に約2時間待たねばなりません・・・
我々ツアー客は、ここから迎えに来た観光バスに乗りました。
木次線-28

備後落合 2023(R5).5.22

上の写真27を撮った場所から左を見ると、給炭台と転車台の遺構が残っていました。
木次線-29  Nさん撮影

備後落合 1971(S46).3.12

1971(昭和46)年に戻ります。
芸備線のC58、木次線のC56などSLが4両も写っていて、当時の活況が偲ばれます。
給炭台(左端)、転車台の横には機関庫もあり、鉄道の要衝だったことが分かります。
木次線-30  Nさん撮影

備後落合 1971(S46).3.12

転車台側から見ました。
木次線-31

備後落合 1991(H3).10.25

上の写真29・30の20年後1991(平成3)年の備後落合です。
鉄道の要衝ではなくなりましたが、その名残が少し残っていました。

木次線の列車(キハ52単行)が到着します(14:06着)。その左側に機関庫が残っていました。

この写真とほぼ同じアングルで撮ったのが、4つ上の写真27です。この写真から32年経過して、機関庫が解体され、ますます寂れたような印象があります。
木次線-32

備後落合 1991(H3).10.25

木次線で到着したお客さんが広島行き急行に乗り換えます。
まだ陰陽連絡の名残があった時代です。
変わった色のキハ58だと思って調べたら、2代目広島急行色と呼ばれるそうです。
この急行は2両編成で、反対側へ回ると↓
木次線-33

備後落合 1991(H3).10.25

こちらが初代広島急行色だそうです。
当時の時刻表(1991年10月)を見ると、備後落合→広島の急行は1日1本だけで、14:14発の急行「ちどり」でした。

左に停車中の紺色に白帯の気動車(津山色?)が新見行き(14:10発)で、それに乗って芸備線を全線乗車しました。
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参考図書:「鉄道ファン No.117」 1971(昭和46)年1月臨時増刊 交友社
     国鉄監修 時刻表1991(H3)年10月号 日本交通公社発行
     「スイッチバック大全」 江上英樹・栗原景 編著 誠文堂新光社2024.8.16発行