樽見線の蒸気機関車1/2  (夕暮れのC11)

  樽見線の蒸気機関車1-@

東大垣〜横屋 1971(S46).12.2

大垣から出ている(現)樽見鉄道は、1989(H1)年まで、国鉄樽見線でした。
樽見線の蒸気機関車が引退したのは1972(S47)年4月でした。

私は、樽見線のSLが引退する約半年前、1971年10月〜12月の2ヶ月間に9回も樽見線を訪れました。
当時、関西線名古屋〜亀山のSLも既に引退('71.4)し、私の家から最も近くを走るSLが樽見線でした。
SLはシルエットでも美しいので、夕焼けの中を走る姿をカラーで残そうと何度もかよいました。
今日は、きれいな夕焼けが見られるかと、昼過ぎから学校をサボり出かけたこともありました。結果は・・・
なかなかきれいな夕焼けに巡り会えないということが体験できました。

左の写真は、揖斐川鉄橋近くです。夕暮れではありませんが、雲と太陽と煙と鉄橋の感じが良く、自分では一番お気に入りの写真です。 
 
←樽見線の蒸気機関車1-A

東大垣〜横屋 1971(S46).12.2

上の写真@の次の列車で、美濃本巣へ向かう貨物列車です。
空は良い感じになったのですが、肝心の蒸気機関車から煙が出ていません・・・。
写した場所が、揖斐川鉄橋を渡り、下り坂になったところで、絶気運転(シリンダへの蒸気の供給を止める=電車のノッチオフ=車のアクセルを放すと同じ)のため、煙も蒸気も出ていないのが残念です。
↓樽見線の蒸気機関車1-B

美濃本巣 1971(S46).11.8

美濃本巣を出発し、大垣に向かう貨物列車です。
煙は十分に出ていますが、夕焼けが物足りないですね。
  樽見線の蒸気機関車1-C

糸貫〜美濃本巣 1971(S46).10.25 

この写真は、夕焼けシリーズの最初の頃に撮った写真です。

夕焼け空を見上げながら、広角レンズがほしいなぁ・・・広角レンズを買うと金がなくなり、撮影に出かけられなくなるなぁ・・・そんなことを考えながら撮っていました。

カラー写真については以前にも書きました(桜の近鉄八王子線参照)が再掲(緑文字の部分)します。
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この頃の私にしては珍しいカラー写真です。コダックのポジフィルム(スライド用)エクタクロームで撮りました。当時貧乏学生だったので、写真はほとんど白黒フィルムを使っていましたが、どうしてもカラーで撮りたいときだけエクタクロームを使いました。カメラは当然1台しかありませんのでカラー白黒併用もできませんでした。
エクタクロームは当時フィルム代+現像代で1枚あたり約80円でした。ちなみに当時の国鉄の最低運賃は30円で、駅弁200円、お茶20円の時代でした。カラーで写すときは、シャッター1押し80円、心してシャッターを押すよう自分に言い聞かせて撮っていました。

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樽見線の蒸気機関車1-D

横屋〜十九条 1971(S46).10.28

横屋と十九条の中間に鉄橋(2-Hと同じ)がありましたので、そこで夕方の貨物列車を待ちました。
煙は良い感じですが、日没から時間が経ち、暗くなりすぎでした。

樽見線は田んぼと柿畑の中を走っていましたが、空をバックにスッキリと撮れる場所は意外と少なかったです。

 
  樽見線の蒸気機関車1-E

美濃本巣 1971(S46).11.9

当時の樽見線は、大垣〜美濃神海24.0kmの路線でしたが、蒸気機関車が牽引する貨物列車が走っていたのは大垣〜美濃本巣16.3kmでした。

美濃本巣からは住友セメント岐阜工場への引き込み線も出ていました。

美濃本巣で、出発を待つ蒸気機関車C11ですが、背面全体にゼブラ模様が描かれています。私は、ゼブラ模様が嫌いでしたので、シルエットで写した写真が多くなりました。
   
1-F 美濃本巣駅の北端 1983(S58).3.21
 上の写真の11年半後です。住友セメントの機関車が美濃本巣駅に現れました。写真右の真っ直ぐな線が樽見線で、住友セメントの引き込み線は左へカーブしています。 雨の日でした。
1-G 住友セメント岐阜工場 1983(S58).3.21 
 左の写真と同じ時に撮りました。
 工場の中には貨車がたくさん留置してありました。後に貨車輸送をやめるとは夢にも思いませんでした。
  樽見線の蒸気機関車1-H

美濃本巣 1983(S58).3.21

SLが引退してから11年後の美濃本巣駅です。
上の写真FGと同じ時に撮りました。
雨が上がって少しモヤがかかっています。

腕木信号機も健在で、蒸気機関車時代(上のE)と比べて、駅の風景はほとんど変わっていないですね。
下のIの写真とほぼ同じ場所で撮りました。

この1年半後に、国鉄樽見線は廃止になり、樽見鉄道に名前を変えました。
  樽見線の蒸気機関車1-I

美濃本巣 1971(S46).11.9

再び、蒸気機関車時代に戻ります。

上のEの写真の続きで、ゼブラのC11が美濃本巣を出発しました。
写真を撮っていて迫力を感じました。

転轍機標識灯の青紫色の光が幻想的でした。

  樽見線の蒸気機関車1-J

東大垣〜横屋 1971(S46).12.7

カラーフィルムがなくなったので、ここから下の4枚は白黒写真です。

大垣に向かうC11貨物列車の最後の難所です。揖斐川鉄橋への坂道を登っていきます。
この頃の樽見線の貨物列車は、いろんな貨車をつないでいました。セメントタンク車だけの編成ではなかったですね。
  樽見線の蒸気機関車1-K

東大垣〜横屋 1971(S46).12.7

揖斐川鉄橋を渡り、美濃本巣に向かう貨物列車です。

煙とススキが逆光に映え、良い感じでした。

まもなく下り坂ですから絶気します。

  樽見線の蒸気機関車1-L

本巣北方〜糸貫 1971(S46).12.14

C11の重連貨物も時々見かけました。
タイミングが悪く、なかなか重連らしく撮れませんでした。

線路脇にあった祠です。
黒野揖斐道の石碑も建っていました。

この辺りで撮るときは、新岐阜駅前から岐阜市内線(25円)+揖斐線忠節→美濃北方(50円)へ名鉄510形+520形の直通急行に乗ってきて、美濃北方から歩きました。
  樽見線の蒸気機関車1-M

本巣北方〜糸貫 1971(S46).12.14

畑の中で、農作業をしている人たちを入れて撮りました。
これが私が撮った樽見線の蒸気機関車の最後の写真となりました。
2ヶ月足らずの間に9回もSLの撮影に訪れたのですが、この頃は他のSLファンに一度も会うことはありませんでした。
既にSLブームは始まっていて、SLの有名撮影地は混雑していましたが、樽見線のSL走行区間は地味な路線であったためでしょうか。


この写真を撮ったあと、樽見線への訪問はパッタリ途絶え、次に訪ねたのは、11年3ヶ月後の1983(S58)年3月21日でした(上の写真F〜H)

夕暮れのC11の写真は終了ですが、次のページでは、昼間のC11の写真と旅客輸送を担っていたキハ17系の写真を掲載しました。ご覧ください。
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