津島軽便堂写真館

山陰線 保津峡 2/2  SLが走っていた時代      保津峡1へ

山陰線保津峡⑱ 保津峡 1971(S46).4.4

保津峡を出発し京都に向かう、朝の通勤・通学列車です。
トンネルの上から撮りました。
山陰線保津峡⑲ 保津峡 1971(S46).4.4

C57 5号が煙を吐き、ドレインを切りながら近づいてきました。
山陰線保津峡⑳ 保津峡 1971(S46).4.4

形式入りのナンバープレートです。
この写真を撮った後、保津峡駅から列車に乗り馬堀に向かいました。
山陰線保津峡(21) 保津峡~馬堀 1971(S46).4.4

馬堀の駅から歩き、山道へ入り保津峡を見下ろす所まで来たら、急行列車が通りました。保津川の右岸から撮りました。

山陰線保津峡(22)

保津峡~馬堀 1971(S46).4.4

嵯峨・保津峡を出発し、馬堀・亀岡に向かうC57の客車列車です。

この日の本命列車でしたので、続けます。
山陰線保津峡(23)

保津峡~馬堀 1971(S46).4.4

上の写真(22)の続きです。
連なるトンネルを潜ってきました。
山陰線保津峡(24)

保津峡~馬堀 1971(S46).4.4

上の写真(22・23)の続きです。
近づいてきました。
山陰線保津峡(25)

保津峡~馬堀 1971(S46).4.4

上の写真(22・23・24)の続きです。
山陰線保津峡(26)

保津峡~馬堀 1971(S46).4.4

DD54の京都に向かう客車列車です。

列車の上方(山の中腹)に山道が写っています。そこを歩いてここまで来ました。
山陰線保津峡(27)

保津峡~馬堀 1971(S46).4.4

キハ58の急行列車も通りました。
山陰線保津峡(28)

保津峡~馬堀 1971(S46).4.4

DC普通列車はサクラカラー・リバーサルで撮りました。
山陰線保津峡(29)

保津峡~馬堀 1971(S46).4.4

DD54の貨物列車です。
上の写真(28)の反対側から撮りました。
山陰線保津峡(30)

保津峡~馬堀 1971(S46).4.4

保津川下りの船用に作ってある水路の横をDC急行が通ります。

保津峡の写真はこれが最後で、来た道を馬堀へ向けて帰りました。
山陰線保津峡(31)

保津峡~馬堀 1971(S46).4.4

渓谷沿いを抜けて上流側へ歩きました。
ここが保津峡の入口です。

京都に向かうC57の客車列車が通りました。
山陰線保津峡(32)

保津峡~馬堀 1971(S46).4.4

馬堀に向かうDD54の客車列車です。

現在、列車がいる付近にトロッコ亀岡駅ができました。
山陰線保津峡(33)

保津峡~馬堀 1971(S46).4.4

京都・梅小路に向かうD51貨物列車です。
山陰線保津峡(34)

保津峡~馬堀 1971(S46).4.4

京都に向かうC57の客車列車です。

上の写真(33)の反対側から撮りました。
山陰線保津峡(35) 嵯峨~保津峡 1971(S46).4.4

嵯峨を出た客車列車は、間もなくトンネルに入ります。トンネルの上から撮りました。
現在、この付近にトロッコ嵐山駅があります。
山陰線保津峡(36) 嵯峨~保津峡 1971(S46).4.4

左の写真の反対側です。トンネルを抜けてきた貨物列車は、間もなく嵯峨に到着します。
山陰線保津峡(37)

 嵯峨 1971(S46).4.4

C57 127号の園部行きです。

嵯峨から京都に向かう列車を待ちながら撮りました。
山陰線保津峡(38)

 嵯峨 1971(S46).4.4

同上
山陰線保津峡(39)

 京都 1971(S46).4.4

京都駅に佇むC57 5号です。

形式入りのナンバープレートで、梅小路機関区のスターでした。
保津峡(40) Nさん撮影

トロッコ保津峡 2002(H14).9.21

上の写真から31年後、Nさんが保津峡を訪ねました。

国鉄山陰線だった時代は1989(平成元)年で終わり、1991(平成3)年からは嵯峨野観光鉄道に転換され、写真のようなトロッコ列車が走るようになりました。
保津峡(41) Nさん撮影

トロッコ保津峡~トロッコ亀岡 2002(H14).9.21

午後の光を浴びたトロッコ列車です。

国鉄山陰線時代に、このアングルから撮れば良かった!と後悔しても、後の祭り・・・
 山陰線保津峡1へ戻る
 Top頁(Home)へ    2020(R2).10.14up