山陰線 保津峡 1/2 SLが走っていた時代 保津峡2へ
保津峡付近の地図 国土地理院1/20万「京都及大阪」S43.3.30発行より 1983(平成元)年3月まで山陰線の保津峡付近は、保津川(桂川)に沿っていました。電化・複線化のため新線(図の青線)に切り替えられ、ほとんどの区間がトンネル(水色部)になりました。 風光明媚な(旧)山陰線嵯峨~馬堀間は、トロッコ列車が走る嵯峨野観光鉄道へ1991(平成3)年に切り替わりました。 山陰線時代の保津峡付近の写真をご覧ください。 |
山陰線保津峡① 1970(S45).11.22 嵯峨~保津峡 先輩のrailbusさんに引率され、数人(6人程)で紅葉の保津峡を訪ねました。山陰線の嵯峨駅から嵐山の渡月橋を渡り、対岸の山道を歩きました。キハ58の急行列車です。このときばかりは私も気合いを入れ、カラーリバーサルのコダック・エクタクロームを奮発しました。(当時は高価) |
保津峡② 1970(S45).11.22 嵯峨~保津峡 Nさん撮影 C57の客車列車も走っていました。Nさんは200mmの望遠レンズ、左の写真は135mmです。Nさんは富士フイルムのカラーリバーサルで、色は左のエクタの方が良いですね! |
山陰線保津峡③ Nさん撮影 嵯峨~保津峡 1970(S45).11.22 上の写真②の続きです。 C57の客車列車がすぐ近くに来ました。 |
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山陰線保津峡④ 嵯峨~保津峡 1970(S45).11.22 保津峡駅に向かう、D51の貨物列車です。 |
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山陰線保津峡⑤ 嵯峨~保津峡 1970(S45).11.22 DF50の客車列車です。 標準レンズで撮ると小さくなります。 |
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山陰線保津峡⑥ Nさん撮影 嵯峨~保津峡 1970(S45).11.22 同上 200mmの望遠レンズで撮りました。 |
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山陰線保津峡⑦ 嵯峨~保津峡 1970(S45).11.22 嵯峨駅に向かうD51の貨物列車です。 こちらに向かう列車は、基本的に下り勾配なので、煙が出ません・・・ |
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山陰線保津峡⑧ 嵯峨~保津峡 1970(S45).11.22 嵯峨を出発して保津峡を走るC57の客車列車です。 日が少し陰ってきました。 |
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山陰線保津峡⑨ Nさん撮影 嵯峨~保津峡 1970(S45).11.22 京都に向かって走るD51の貨物列車です。 |
保津峡⑩ 1970(S45).11.22 嵯峨~保津峡 Nさん撮影 日は陰りましたが、保津川下りの船と普通列車のコラボです。 Nさんもフジのリバーサルからコダックのエクタクロームに切り替えて撮りました。きれいですね。 |
保津峡⑪ 1970(S45).11.22 嵯峨~保津峡 Nさん撮影 保津川下りの船と急行列車のコラボです。 |
山陰線保津峡⑫ 嵯峨~保津峡 1970(S45).11.22 Nさん撮影 京都に向かって走るC57の客車列車です。日がだいぶ陰ってきました。 これで保津峡の紅葉撮影は終了し、渡月橋を渡って嵐山に戻り、参加者数名は高校時代の友人の下宿に泊めてもらうことになり、嵐電・京都市電・叡電を乗り継ぎ、岩倉に向かいました。 |
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山陰線保津峡⑬ 保津峡 1970(S45).11.23 Nさん撮影→ Nさんは、上の写真を撮った翌日、叡電・京都市電を撮影し、その後、二条駅から園部まで山陰線を乗りに行きました。そのとき乗ったDD54の客車列車とD51の貨物列車が保津峡駅ですれ違いました。 |
山陰線保津峡⑭ 亀岡~保津峡 1971(S46).4.3 私が次に保津峡を訪ねたのは、上の写真①~⑬の半年後でした。 北近畿旅行の帰りに、亀岡駅で降りて到着する客車列車を撮りました。 |
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山陰線保津峡⑮ 亀岡 1971(S46).4.3 亀岡駅を出発する客車列車です。 梅小路機関区のスターC57 5号でした。 このあと、亀岡のユースホステルに泊まり、次の日に保津峡に向かいました。 |
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山陰線保津峡⑯ 保津峡 1971(S46).4.4 朝の保津峡駅です。 DD54の客車列車とC57の客車列車が交換です。 |
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山陰線保津峡⑰ 保津峡 1971(S46).4.4 C57の客車列車が保津峡駅を出発しました。 この続きは次の頁(準備中)です。 |
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2020(R2).10.5up | |
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