津島軽便堂写真館

関西線(加太越え)のD51  1970(S45).5~1971(S46).5    加太越え①  加太越え③

関西線加太越え②-01

柘植~中在家 1970(S45).5.10

柘植を出発し、峠(加太トンネル)に向かう後補機付きの貨物列車です(後補機がよく見えません…)。よい撮影場所が見つからず、線路脇で撮りました。


この日は、午前中に紀勢線下庄~亀山間で撮影し、亀山から333Dに乗り、柘植へ14時半頃に着きました。峠(加太トンネル)方向へ歩き、峠に向かう貨物列車を待ちました。

地図とダイヤは前頁(加太越え①)を参照してください。
関西線加太越え②-02

 中在家 1970(S45).5.10

加太駅と柘植駅の中間にあった中在家
(なかざいけ)信号場です。
急勾配区間の途中にあったので、スイッチバック式(通過列車は直進)でした。
中在家信号場を通過する列車(柘植→加太)から撮りました。貨物列車が交換待ちをしていました。


関西線加太越え②-03 関~加太 1970(S45).5.10
関西線加太越え②-04  〃    〃
関西線加太越え②-05  〃    〃

加太駅で降りて、関方向へ歩きました。加太駅に一番近いトンネル(坊谷隧道)の出口で、貨物列車を待ちました。同じ列車を(03→04→05→06)の順に撮りました
(前頁のダイヤから推定すると17:20頃)


関西線加太越え②-06 加太 1970(S45).5.10

同じ場所から、遠ざかった列車を撮りました。列車がいる位置が加太駅付近です。
関西線加太越え②-07 関~加太 1970(S45).5.10

亀山17:16発の草津線直通727客車列車です。上の貨物列車(03~05)の約20分後に通りましたので、同じ場所で少し高い位置から撮りました。


関西線加太越え②-08 左の写真の続きです。機関車はC58-51でした。
  この右側に踏切があります。

関西線加太越え②-09

 関~加太 1970(S45).5.10

上(07・08)の客車列車と加太駅で交換した急行列車が来ました。

左端のほうには、加太駅を出発した客車列車の煙がみえます。
関西線加太越え②-10

 柘植 1970(S45).11.23

柘植駅に停車中の貨物列車です。
撮影場所の背面にも蒸気機関車がいて、そのヘッドライトで照らし出されました。


京都旅行の際、草津線・関西線経由で名古屋へ帰り、その途中に撮りました。
関西線加太越え②-11

加太~中在家 1971(S46).1.17

加太越え三度目の訪問です。
荷41列車を加太大築堤と中在家信号場の間で撮りました。
関西線加太越え②-12

加太~中在家 1971(S46).1.17

中在家信号場の手前を上る長大編成の貨物列車です。上の写真(11)の場所を横から見た景色です。
関西線加太越え②-13

加太~中在家 1971(S46).1.17

上(12)の続きで、長大編成の貨物列車の後補機です。
関西線加太越え②-14

加太~中在家 1971(S46).1.17

次の貨物列車は、大築堤の西側から逆光で撮りました。



加太の大築堤は、この地方で一番のお立ち台(有名撮影地)で、SLブーム&日曜日のこの日は、築堤上(写真の右枠外)には大勢のカメラマンが集結していました。それを避けて(14~15)の写真は横から撮りましたが、お立ち台から編成全体を普通に撮ったほうがよかったかも…当時の私は、皆と違う写真を撮ろうという意識が強すぎたかもしれません。反省!
関西線加太越え②-15

加太~中在家 1971(S46).1.17

上(14)の続きで、貨物列車の後補機です。


この写真を撮った後、線路から離れて道路沿いに峠を越え、柘植に向かいました。
関西線加太越え②-16

加太~中在家 1971(S46).1.17

柘植に向かって、峠道を歩いているとき大築堤が見え、貨物列車が煙をたなびかせ走りすぎました。
関西線加太越え②-17

柘植~中在家 1971(S46).1.17

草津線から直通の客車列車724レです。
強い季節風(北西風)で、汽車のスピードより風速が早く、煙が前にたなびいています。

間もなく、峠の加太トンネルに入ります。トンネルの入口付近がサミットです。
関西線加太越え②-18 柘植~中在家 1971(S46).1.17

後補機付きの貨物列車が坂を上ってきました。かなりの迫力でした。
関西線加太越え②-19 柘植~中在家 1971(S46).1.17

左の写真の続きです。後補機付きの貨物列車の後ろ姿を撮りました。
関西線加太越え②-20

柘植~中在家 1971(S46).1.17

柘植駅の近く(中在家信号場方)で、柘植を出発した急行列車を撮りました。

腕木信号機(場内信号機)が並んでいました。手前側の線路は貨車入換用の引上線です。
関西線加太越え②-21

 柘植 1971(S46).1.17

柘植の機関支区で一休みするD51です。
亀山~柘植間の上・下貨物列車には後補機が付きましたので、柘植で切り放された補機が一休みしました。給水・給炭設備と転車台がありました。
関西線加太越え②-22

 柘植 1971(S46).1.17

機関支区は、柘植駅の草津方にありました。留置中のD51から柘植駅方面を見た写真です。。
関西線加太越え②-23

 柘植 1971(S46).1.17

柘植駅に停車中の客車列車です。
草津線から亀山へ直通する724列車でした。
関西線加太越え②-24

 亀山 1971(S46).1.17

亀山駅の夕暮れです。
ホーム端から撮りました。
駅の西(関・加太方)に機関区や操車場があり、当時は鉄道の要衝でした。
関西線加太越え②-25

月ヶ瀬口~島ヶ原 1971(S46).5.3

新緑の高原を走るキハ35系の4連をカラーで撮りました。

この年にNHK大河ドラマ「春の坂道」が放映され、柳生新陰流発祥の地「柳生の里」が一躍有名になり、観光客用に臨時列車が天王寺~伊賀上野間で運転されました。
(下の写真26)
その列車を撮るため加太越えをして、月ヶ瀬口に向かい、まずDC列車を撮りました。

このとき、カメラを2台持っていき、主の一眼レフ(ミノルタ)には白黒フィルム、副のキャノネットにカラーフィルムでした。(SLもカラーで撮ったのですが写りが悪く…)
関西線加太越え②-26

月ヶ瀬口~島ヶ原 1971(S46).5.3

本命のD51牽引の臨時客車列車「柳生号」です。ヘッドマーク付きでした。
関西線加太越え②-27

月ヶ瀬口~島ヶ原 1971(S46).5.3

亀山に向かう荷物(荷44)列車です。

この写真を撮った後、普通列車で月ヶ瀬口から隣の島ヶ原に向かいました。
関西線加太越え②-28

 島ヶ原 1971(S46).5.3

島ヶ原を通過し、月ヶ瀬口方向へ向かう後補機付きの貨物列車です。
関西線加太越え②-29

草津線・貴生川 1971(S46).5.3

貴生川駅に停車中のD51貨物列車です。

この日は、暗くなる頃に信楽線を乗り潰し、貴生川で亀山方面の列車を待つ間に撮りました。
2020(R2).4.26up 
津島軽便堂Topページへ戻る          加太越え①  次の頁(加太越え③)

参考図書:  鉄道ファン117号 「蒸気機関車撮影地ガイド」 昭和46(1971)年1月臨時増刊号 交友社発行