稲沢第一機関区の蒸気機関車

稲沢第一機関区の扇形庫と転車台 稲沢第一機関区@

  1970(S45)年6月21日

この頃まで、稲沢には蒸気機関車がたくさんいました。
日本の三大操車場の一つ、稲沢操車場があり、中部地方最大の貨物列車の基地でした。
貨物列車用に多数の機関車が配置されており、蒸気機関車(+DL)は稲沢第一機関区、電気機関車(東海道線・中央線用)は稲沢第二機関区でした。
当時、関西線や稲沢〜笹島の貨物列車はD51が、武豊線の貨物列車はC11が、名古屋港貨物線はC50が、操車場の入換は9600形やD51などの蒸気機関車が使われていました。
この頃からディーゼル機関車への置き換えが始まり、約1年後には蒸気機関車が消えてしまいました。

大型の扇形庫と転車台は蒸気機関車の基地に欠かせないものでした。
転車台の上のD51179号は煙突に集煙装置を付けています。これはトンネル区間を走る蒸機の特徴で、稲沢の機関車には不要の装置ですから、どこかの山岳路線から転属してきた機関車であることがわかります。
 
 稲沢第一機関区A

   1970(S45).6.21

転車台に乗り込もうとするD51209号です。
誘導係のおじさんが良い感じです。

後ろには新鋭のディーゼル機関車が待機しています。



私は、稲沢第一機関区を2回訪問しました。1970(S45).6.5と6.21です。
稲沢駅からは大操車場を迂回するためかなり遠く、2回目はバスで行った記憶があります。
この頃の機関区の見学は、入口で記帳する必要はありましたが、構内を一人で自由に動き回れました。
稲沢第一機関区B

   1970(S45).6.21

操車場での入換を終えたキューロクが扇形庫へ戻ってきました。

9600形蒸気機関車は、大正時代に770両も製造された貨物列車用の機関車です。
チョットずんぐりして動輪が小さく見える愛らしいスタイルでした。
稲沢第一機関区C 1970(S45).6.5
 9600形を扇形庫の裏から撮りました。
 稲沢第一機関区D 1970(S45).6.5
 上の写真Bの逆方向から扇形庫を撮りました。
稲沢第一機関区E 1970(S45).6.5
 C50は名古屋港の入換とその往復の貨物列車用でした。
 稲沢へ帰ってくるのは夜でした。中日球場の横を通るとき汽笛を鳴らすので、ナイターをラジオで聞いていると定時に汽笛が聞こえてきました。
 稲沢第一機関区F 1970(S45).6.21

 扇形庫を転車台越しに正面から見ました。

稲沢第一機関区G

   1970(S45).6.21

稲沢第一機関区のスターD51の2号機です。
背後に見えるガントリークレーンは、石炭を給炭塔に積み込むための設備で、大型の機関区にしかありませんでした。

デゴイチは1,110両も製造され、一番ポピュラーな蒸気機関車でした。SLブームの頃は「デゴイチ」が蒸気機関車の代名詞にさえなっていました。
大量にいたD51仲間のうち、初期の95両は煙突から続く「ナメクジ形」のドームが特徴でした。

稲沢第一機関区H

   1970(S45).6.21

機関車に石炭を積み込むための、給炭塔です。
大機関区にふさわしい立派な給炭塔でした。

一番手前には、砂(滑り止め用)を機関車に補給するための給砂塔も写っています。
↑稲沢第一機関区I  1970(S45).6.21

給炭塔の向こうの方で、機関車前面の煙室扉を開けて中の点検清掃を行っているのでしょうか。
石炭と水は蒸気機関車に必要不可欠なエネルギー源ですから、機関車の停まっているあたりで給水をしていたのかもしれません。
←稲沢第一機関区J  1970(S45).6.21 

給炭と給水の終わった9600形が戻っていきます。
稲沢第一機関区K

   1970(S45).6.5

「ナメクジ形」ドームのD512号機です。

このデゴイチ2号機は、大阪・弁天町の交通科学博物館に保存展示されています。
稲沢第一機関区L

   1970(S45).6.5

D512号機を斜め後ろから見ました。
転車台の上には標準型のD51がいました。


今だから言える稲沢の機関車の印象は、薄汚れた機関車が多かったことです。ナンバープレートさえ磨かれておらず、近寄らないと何号かわからない機関車もいました。晴れた日に撮ればまだ良いのですが、曇っていると機関車に艶がないので、ぼやけたような写真になってしまいました。
このしばらくあとに九州旅行をしたとき、九州の蒸気機関車がどれも綺麗に磨き出されているのを見て感動しました。
東海道線の貨物列車を見ていても、汚い電気機関車が来れば、稲沢か吹田の機関区所属でした。大機関区は清掃に手が回らなかったのでしょうか?逆に米原の機関車はとても綺麗でした。
 稲沢第一機関区M 1970(S45).6.5
 戦時中に製造されたカマボコ形ドームのD51903号です。
 左の方にC12がいます。右の写真の一番左に写っています。
稲沢第一機関区N 1970(S45).6.5
 一番左にC12、真ん中と右がC11です。C11は武豊線の貨物列車用でしたが、C12は稲沢付近で走っているの見たことがありませんので構内入換用だったと思います。
 稲沢第一機関区O 1970(S45).6.5
 右上の写真Nの右側から撮りました。
 稲沢第一機関区P 1970(S45).6.21

インターネットで、稲沢第一機関区関係の蒸機の廃止を調べると
 武豊線:1970.6.30  稲沢操車場入換:1970.9
 関西線:1971.4.25  名古屋港入換:1971.7.31(最後)となっています
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