津島軽便堂写真館

Nさんの 北海道旅行 1 1970(昭和45)年10月の北海道   北海道旅行2

2025(R7)年1月12日に、私の親友・西川和夫さん(Nさん)が満73歳で逝去されました。西川さんを偲んで追悼写真集を掲載します。
西川さんは私の1年下、学生時代の鉄研仲間で、それ以来55年間の付き合いでした。津島軽便堂写真館に数多くの写真を提供してもらっており、「Nさん撮影」=西川和夫さん撮影の写真です。西川さんは裕福な家庭に育ったので、学生時代からニコンのカメラで、全てカラーポジフィルムで撮影しました。私がHPを始めた頃(=2010年、定年退職して半年間家でぶらぶらしていた)、西川さんが撮ったカラーポジ約9,000枚(学生時代~昭和末期)のデジタル化を頼まれて実施しました。また、その写真を津島軽便堂へアップしてほしいと頼まれていましたが、アップするにもエネルギーが必要、順番に少しずつ行うので、撮影記録(場所・月日)をまとめておいてくれと頼み、生前に作っておいてもらいました。
西川さんは1970(S45)年に名古屋大学医学部に入学、6年間の在学中に北海道へ7回も撮影旅行をしています(他にも九州・東北などへ行きましたが北海道が一番多い)。私は西川さんと何度も撮影旅行に出かけましたが、北海道へは一度も一緒に行っていません。
西川さんの写真と撮影記録を元に、北海道旅行記を綴っていきます。写真は全て西川さん撮影なので「Nさん撮影」は省略します。
北海道1-01 室蘭線礼文~大岸 1970(S45).10.10 礼文華海岸を走るD52牽引の貨物列車です。ここは有名撮影地でした。
西川さんの北海道旅行第1歩は礼文華海岸からスタートしました。夜行の青函連絡船に乗り函館へ早朝に到着、秋休みを利用して1週間の撮影旅行です。当時の北海道はSL全盛時代で、1人で有名撮影地めぐりをしました。撮影順にご紹介します。
使用したのは富士のカラーリバーサルフィルム(ポジ)でした。後半は一部コダックのエクタクロームも使用していますが、エクタは高価だったので、大部分は富士フイルムです。撮影から40年後にデジタル化するときにポジを見たら、エクタは綺麗なままでしたが、富士は全部赤っぽく変色していました。それをフォトショップエレメンツでカラー補正すると、ほぼ満足できる状態に戻りました。
北海道1-02

長万部機関区 1970(S45).10.10

礼文から長万部に戻り上目名に向かいましたが、長万部で1時間弱の乗換時間があったので、機関区へ行きました。
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上目名 1970(S45).10.10

C62重連の急行「ニセコ1号」函館行きです。

当時1番の人気列車で、北海道旅行は、この列車の撮影をメインにした人が多かった!
上目名はC62重連を撮るファンの聖地でした。
SLファンが来なくなった上目名駅は後に廃止されました。
北海道1-04

上目名 1970(S45).10.10

スノーシェッドを抜けるD51

西川さんのメモによれば、上目名に11:32に到着、14:14の列車で長万部に戻りました。
北海道1-05

長万部機関区 1970(S45).10.10

15:12長万部に到着し、再び機関区を訪ねました。
北海道1-06

長万部 1970(S45).10.10

憧れのスワローエンジェルC62 2号機です。
上り函館行きの「ニセコ1号」と下り札幌行き「ニセコ3号」がC62牽引の客車急行でした。

急行「ニセコ3号」は、長万部で山越えのため前補機を連結します。
北海道1-07

長万部 1970(S45).10.10

C62 3号機がバックしています。
急行「ニセコ3号」の前補機として連結します。
北海道1-08

長万部 1970(S45).10.10

前補機を連結してC62重連となった急行「ニセコ3号」です。

時刻表1970.10月号によれば、函館14:25発、長万部着が16:36、出発が16:43、終点札幌へは20:25着です。
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長万部 1970(S45).10.10

機関士・機関助士が乗り込み、急行「ニセコ」3号はまもなく出発です。

西川さんはこの列車に乗り倶知安へ行き、倶知安で宿泊しました。
北海道1-10

倶知安 1970(S45).10.11

特急「北海」です。

青函連絡船夜行1便に接続して函館4:45発、倶知安7:39発の旭川行きでした。
北海道1-11

倶知安 1970(S45).10.11

倶知安は函館・山線の拠点駅で、胆振線も分岐していて機関区がありました。
二つ目玉の9600形もいました。
北海道1-12

倶知安 1970(S45).10.11

倶知安8:03発D51牽引の小樽行きです。

西川さんはこれを撮った後、8:23発のDC急行「ニセコ1号」で小樽に向かいました。
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小樽 1970(S45).10.11

交流専用電車711系です。
小樽~旭川間は交流電化されていたので、電車が走っていました。

左に停車中のキハ58系「ニセコ1号」で到着し、右の電車で小樽築港に向かいました。
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小樽 1970(S45).10.11

北海道用の電気機関車ED76形500番台です。
この当時は、客車列車や貨物列車を牽引して小樽まで顔を出していました。
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小樽築港機関区 1970(S45).10.11

函館・山線のSL基地・小樽築港機関区です。
「ニセコ1・3号」用のC62も配置されていました。
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小樽築港 1970(S45).10.11

「ニセコ1号」を牽引するため、小樽築港機関区を出て小樽駅に向かいます。
この日はスワローエンジェルC62 2が先頭に立つようです。
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小樽 1970(S45).10.11

小樽を出発する急行「ニセコ1号」です。

小樽10:51発で函館16:12着です。

これを撮った後、普通、急行を乗り継いで岩見沢に向かいました。
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岩見沢機関区 1970(S45).10.11

岩見沢へ13:06に到着し、機関区を見学に行きました。

岩見沢は、函館線、室蘭線、幌内線が接続し、万字線の列車も発着する鉄道の要衝でした。

この当時、岩見沢第一機関区にはSL44両、第二機関区にはEL23両が配置され、北海道最大の機関区でした。
北海道1-19

岩見沢機関区 1970(S45).10.11

C57 135です。

この機関車は、1975.12.14に国鉄最後のSL定期旅客列車(室蘭→岩見沢225列車)を牽引しました。
現在、大宮の鉄道博物館に保存展示されています。
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岩見沢機関区 1970(S45).10.11


岩見沢に約1時間滞在し、14:15発の電車急行「かむい4号」で旭川に向かいました。
北海道1-21

旭川 1970(S45).10.11

左が15:35に到着した「かむい4号」です。
隣の線路にC55 1がいたので荷物をホームに置いて、慌てて撮りました。稚内発小樽行きの列車を牽いてきて、ここで電気機関車に交代します。
北海道1-22

旭川 1970(S45).10.11

C55 1が駅から機関区に向かいました。
北海道1-23

旭川機関区 1970(S45).10.11

転車台の上のC55 1です。
北海道1-24

旭川機関区 1970(S45).10.11

旭川機関区の扇形庫にはDLがたくさんいました。
北海道1-25

旭川機関区 1970(S45).10.11

細長い煙突のD51 167です。
ギースル・エジェクタと呼ばれる煙突で、燃焼効率を高める効果があったそうです。北海道を中心に36両のD51に取り付けられました。

西川さんは旭川18:10発の電車急行「かむい8号」に乗って一旦札幌に戻り、札幌21:20発の夜行急行「利尻2号」で稚内に向かいました。
続きは次回です。
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参考図書: 国鉄監修 交通公社の「時刻表」 1970(昭和45)年10月号 日本交通公社発行