この地図は国土地理院発行20万分の1
 「釧路」昭和41.4.30発行(左1/4)
 「根室」昭和39.10.30発行(右3/4)
       撮影地最寄駅を追記
津島軽便堂写真館

国鉄 根室線   日本最東端を走る根室線 C58が走っていた頃

日本の最東端を走る根室線です。末端の釧路~根室間は、今は花咲線と呼ばれています。その中でも厚岸~糸魚沢間は厚岸湾と別寒辺牛湿原が広がり、昔から撮影名所でした。糸魚沢駅が廃止されたので、現在は厚岸~茶内間約20kmに駅はありません。
それより更に東の別当賀~落石間の落石海岸も撮影名所でした。Nさんが1972(昭和47)年に訪ねた写真をご覧ください。
根室線① Nさん撮影

厚岸~糸魚沢 1971(S46).3.27

霧の中を走るC58牽引の朝の列車です。

客車と貨車を連結していますので混合列車です。
根室線② Nさん撮影

厚岸~糸魚沢 1971(S46).3.27

反対方向から走ってきたC58の貨物列車です。

風光明媚な別寒辺牛(べかんべうし)湿原を走る区間ですが、霧のために景色が見えませんでした。
根室線③ Nさん撮影

 厚岸 1971(S46).3.27

厚岸に停車中の釧路行き普通列車です。

客車改造の気動車キハ08をつないでいました。
1972(昭和47)年3月の根室線の時刻表です。
交通公社時刻表1972年3月号をもとに釧路~根室間の列車だけを切り貼りしました。
釧路~根室間には急行3往復と普通列車6往復が走っていました。基本は気動車でしたが、普通の1往復はC58の客車列車(441-444列車)で、写真を見ると貨車もつないだ混合列車だったようです。
驚くのは、根室発函館行きの急行「ニセコ3号」が走っていたことで、根室8:30→函館23:05のロングランでした。
根室線④ Nさん撮影

厚岸~糸魚沢 1972(S47).3.29

厚岸から糸魚沢に向かうC58牽引の混合列車です。別寒辺牛湿原の中を走ります。
後方には厚岸湾が広がっていました。
根室線⑤ Nさん撮影

厚岸~糸魚沢 1972(S47).3.29

混合列車が近づいてきましたが、客車と貨車が煙に隠れてしまいました。
根室線⑥ Nさん撮影

厚岸~糸魚沢 1972(S47).3.29

反対方向からもC58の貨物列車が来ました。
根室線⑦ Nさん撮影

厚岸~糸魚沢 1972(S47).10.17

上の写真①~③の8ヶ月後の別寒辺牛湿原です。
根室に向かう貨物列車が走り去りました。
根室線⑧ Nさん撮影

厚岸~糸魚沢 1972(S47).10.17

釧路に向かう貨物列車です。
根室線⑨ Nさん撮影

厚岸~糸魚沢 1972(S47).10.17

厚岸湾に沿って走る5両編成の急行列車です。
根室線⑩ Nさん撮影

厚岸~糸魚沢 1972(S47).10.18

厚岸湾に沿って走るC58の客車列車です。後ろに貨車を連結していますので、混合列車ですね。
根室線⑪ Nさん撮影

厚岸~糸魚沢 1972(S47).10.18

別寒辺牛(べかんべうし)湿原を走り去る貨物列車です。
根室線⑫ Nさん撮影

厚岸~糸魚沢 1972(S47).10.18

3両編成の急行「ノサップ号」です。
根室線⑬ Nさん撮影

厚岸~糸魚沢 1972(S47).10.18

釧路に向かう混合列車です。
根室線⑭ Nさん撮影

厚岸~糸魚沢 1972(S47).10.18

秋枯れの湿原を走る普通列車です。

現在の列車は単行運転ですが、この当時は3両連結で走っていました。
根室線⑮

厚岸~茶内 2023(R5).7.9

上の写真から50年以上経過した、夏の別寒辺牛(べかんべうし)湿原です。
根室から釧路に向かう列車(単行)の一番後ろから撮りました。
根室線⑯ Nさん撮影

 茶内 1972(S47).3.30

国鉄茶内駅前には、浜中町営軌道がありました。
浜中町営軌道をご覧ください

左端の貨車が留置してあるところが茶内駅です。
根室線⑰

 茶内 2023(R5).7.9

浜中町営軌道が廃止になってから51年経過した茶内駅です。
釧路~根室間の列車は、この茶内駅で交換します。

釧路発5:35の根室行き、キハ54形の「快速はなさき」に乗車しました。座席の半分くらいが埋まる程度の乗車率でしたが、そのうち半分以上は乗り鉄が目的の人たちでした(私も含む)。

列車交換のため、しばらく停車したので下車して撮りました。
根室線⑱

 茶内 2023(R5).7.9

根室方面から到着する列車です。

霧に霞んでいますが、左端に建物が見えます。
浜中町営軌道があった頃は、雪印乳業の工場で、軌道沿線から牛乳缶を貨車で工場内へ輸送していました。
地図で調べると、現在はタカナシ乳業の工場になっています。
根室線⑲ Nさん撮影

 厚床 1972(S47).10.16

厚床を出発し釧路に向かうC58貨物列車です。

厚床は、中標津へ向かう標津線の分岐駅でした。
立派な給水塔がありました。
根室線⑳

 厚床 2023(R5).7.9

上の写真の51年後です。(同じ方向を見ています)

厚床を出発し釧路に向かう列車の最後部から厚床駅を見ました。

昔は標津線の分岐駅で、広い構内だったことが分かります。
根室線(21) Nさん撮影

別当賀 1972(S47).3.29

別当賀に到着するC58の客車列車です。
根室線(22)

 別当賀 2023(R5).7.9

上の写真の51年後の別当賀です。

交換設備は撤去され、駅の待合室には貨車が使われていました。
根室線(23) Nさん撮影

別当賀~落石 1972(S47).10.16

撮影名所の落石海岸を、急行「ノサップ号」が駆け抜けます。
根室線(24) Nさん撮影

別当賀~落石 1972(S47).10.16

根室に向かう貨物列車です。

ここまで来れば、根室はもうすぐ。
根室線(25) Nさん撮影

別当賀~落石 1972(S47).10.16

釧路に向かうC58の客車列車です。

絶好の景色ですが、霧が出たら隠れてしまいます。(この辺りは、よく霧が出ます)
根室線(26) Nさん撮影

 根室 1972(S47).3.29

日本最東端の終着駅・根室です。
キハ17系気動車2両 キハ20系の初期車両(バス窓・キハ21形)2両が停車しています。( ご覧になった方から指摘があり修正しました2023.9.30)
この当時は、国鉄を使った荷物・貨物輸送も盛んでした。
根室線(27)

 根室 2023(R5).7.9

上の写真から51年後の根室駅です。列車はキハ54の単行に代わりましたが、駅は昔の面影を残しています。
一つ手前の東根室駅が日本最東端の駅のため、日本最東端有人駅の表示がありました↓
根室線(28)

 根室 2023(R5).7.9

終端側から見た現在の根室駅です。
国鉄時代の終着駅の面影がまだ残っていました。


↓駅の出札口・改札口
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参考図書:国鉄監修 時刻表1972(昭和47)年3月号 日本交通公社発行