国鉄 釧網線 釧路と網走をつなぐ釧網線 C58が走っていた頃
交通公社時刻表1970(昭和45)年8月号より-北海道東部路線図 2023年時点で、残っている路線を赤く塗りました(他は廃線) |
国土地理院発行1/20万「釧路」昭和41年4月発行 に駅名などを追記 釧網線の東釧路~茅沼は、釧路湿原に沿って走っています。 釧路湿原駅は1988(S63)年に臨時駅として開業、1996(H8)年から常設駅に。 |
鉄道ファン117号から昭和45年(1970)10月改正の釧網線のダイヤをコピーしました。 |
釧網線① Nさん撮影 釧路 1972(S47).3.31 釧路駅のホームで列車を待つ人々です。 |
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釧網線② Nさん撮影 塘路 1972(S47).3.31 塘路を出発した列車です。 上のダイヤで見ると、604D急行「大雪3号」と思われます。 |
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釧網線③ Nさん撮影 塘路~茅沼 1971(S46).3.28 塘路を出発し、網走に向かう混合列車です。 |
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釧網線④ Nさん撮影 塘路~茅沼 1971(S46).3.28 上の写真③の続きです。 C58牽引の混合列車が釧路湿原を北に向かい走ります。 |
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釧網線⑤ Nさん撮影 塘路~茅沼 1971(S46).3.28 C58重連の客車列車が釧路湿原を走ります。 |
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釧網線⑥ Nさん撮影 塘路~茅沼 1971(S46).3.28 釧路湿原の雄大な風景の中を走るC58牽引の混合列車です。 遠くに見える山は雌阿寒岳でしょうか? |
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釧網線⑦ Nさん撮影 塘路~茅沼 1972(S47).3.31 釧路湿原・塘路湖を俯瞰する山の頂上から撮りました。 現在の地図では、この近くに塘路サルルン展望台があります。 写真⑦~⑭は同じ場所から撮りました。 |
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釧網線⑧ Nさん撮影 塘路~茅沼 1972(S47).3.31 上の写真⑦と同じ場所(山の頂上)から、同じ列車を撮りました。 |
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釧網線⑨ Nさん撮影 塘路~茅沼 1972(S47).10.19 秋の釧路湿原です。 釧路行きのC58混合列車を200mm望遠で撮りました。 |
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釧網線⑩ Nさん撮影 塘路~茅沼 1972(S47).10.19 上の写真⑨の続きです。 同じ列車を標準レンズで撮りました。 |
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釧網線⑪ Nさん撮影 塘路~茅沼 1972(S47).10.19 上の写真⑨⑩と同じ列車です。 振り返って撮りました。 秋の釧路湿原・塘路湖です。 |
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釧網線⑫ Nさん撮影 塘路~茅沼 1972(S47).10.19 網走に向かうC58牽引の混合列車です。 |
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釧網線⑬ Nさん撮影 塘路~茅沼 1972(S47).10.19 上の写真⑫と同じ場所から同じ列車の後ろ姿を撮りました。 |
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釧網線⑭ Nさん撮影 塘路~茅沼 1972(S47).10.19 釧路に向かう気動車列車です。 釧路湿原・塘路湖を背景にした最後の写真です。 上のダイヤから推定すると613D急行「大雪1号」と思われます。 |
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釧網線⑮ Nさん撮影 標津線 根室標津 1971(S46).3.28 釧網線の標茶から分岐していた標津線の終点・根室標津です。 |
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釧網線⑯ Nさん撮影 弟子屈 1971(S46).3.28 弟子屈で交換するC58の混合列車です。 弟子屈は摩周湖展望台への最寄駅で、阿寒湖畔へのバスも出ていました。 弟子屈駅は1990(平成2)年に摩周駅と改称されました。 |
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釧網線⑰ Nさん撮影 斜里 1972(S47).3.31 斜里を出発した網走行きの気動車列車です。 斜里から網走まではオホーツク海に沿って走ります。 斜里は釧網線の主要駅で、知床観光の玄関口でした。 1998(平成10)年4月に「知床斜里」駅に改称されました。 斜里からは根北線が分岐していましたが、1970(昭和45)年12月に廃止になっていました。 |
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釧網線⑱ Nさん撮影 斜里 1972(S47).3.31 斜里には機関支区があり、転車台もありました。 北見機関区のC58 173が方向転換をします。 |
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釧網線⑲ Nさん撮影 斜里 1974(S49).6.6 網走行きのC58客車列車が到着します。 アンノン族の若い女性が汽車を待ちます。 アンノン族とは、Wikiによれば 1970年に創刊された若い女性向けのファッション雑誌『an・an』(アンアン)と、1971年創刊の『non-no』(ノンノ)に感化されて特定の旅行先に押しかけた若い女性たちのことです。 |
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釧網線⑳ Nさん撮影 斜里 1974(S49).6.6 網走方面から到着するC58客車列車です。 この斜里駅で客車列車どうしが交換ですね。 荷物も到着するようで、リヤカーで待ち構えています。 |
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釧網線(21) Nさん撮影 斜里 1972(S47).3.31 斜里川を渡るC58混合列車です。 斜里を出て、すぐ西側です。 |
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釧網線(22) Nさん撮影 浜小清水 1972(S47).3.31 流氷漂うオホーツク海を眺めながら、C58牽引の混合列車が浜小清水を出発しました。 |
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釧網線(23) Nさん撮影 浜小清水 1974(S49).6.4 到着するC58混合列車です。 点在する貨車が良い雰囲気です。 上の写真(22)の反対側から見ました。 遠くに知床半島の山々が見えました。 |
釧網線(24) 浜小清水 1974(S49).6.6 Nさん撮影 上の写真(23)の2日後です。知床半島の山々は見えませんでした。 |
釧網線(25・26) 浜小清水~車内 1974(S49).6.6 Nさん撮影 原生花園付近を走る列車と、その車内(ブレている)です。 |
釧網線(27) Nさん撮影 北浜~原生花園 1971(S46).3.29 オホーツク海の流氷を眺めながらC58の貨物列車が鉄橋を渡ります。 この鉄橋は、濤沸湖とオホーツク海をつなぐ場所に架かっています。 |
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釧網線(28) Nさん撮影 網走 1974(S49).6.4 網走に到着した9600形牽引の石北線貨物列車です。 |
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釧網線(29) Nさん撮影 網走 1974(S49).6.4 駅の横に車庫があり、気動車が待機していました。 その手前で貨車の入換をしていました。 網走には石北線、釧網線、湧網線が接続していました。 |
釧網線(30・31) 網走 1974(S49).6.4 Nさん撮影 網走駅で入換をする9600形SLと、木材満載の貨車です。 |
釧網線(32) 釧路 2023(R5).7.8 ここから下はおまけで、最近の釧網線です。 釧路駅に集うキハ54形です。 釧網線と根室線(釧路~根室間=通称:花咲線)は、ほとんどの列車がキハ54形で運行されていました。 左端(5番線)の水色ラッピング車が、釧網線から18:44に到着した列車です。 |
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釧網線(33) 釧路 2023(R5).7.10 釧路8:57発の快速「しれとこ摩周」号の網走行きです。 ヘッドマークを付けていました。 釧網線を走る唯一の優等列車?ですが、網走までに1駅通過するだけです。 |
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釧網線(34) 釧路湿原 2023(R5).7.8 釧路湿原の細岡展望台への玄関口です。 17:59の摩周行きが到着します。 私は釧路から1本前の16:51の列車で到着しました。10数名の観光客が下車しました。山道を登り細岡展望台から釧路湿原を眺め、細岡ビジターズラウンジへ寄ったあと、ここへ戻りました。ここから釧路へ戻る列車は13:14の次は18:24まで5時間以上ありません! 反対方向へ行くこの列車で次の細岡駅まで乗りました。 |
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釧網線(35) 細岡 2023(R5).7.8 細岡18:20の釧路行きが到着します。 上(34)の写真の列車に乗り細岡で下車しました。その列車は次の塘路で釧路行きと交換するので、ここで下車して駅周辺をうろつき15分ほど待ち、この列車で釧路へ戻りました。 |
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釧網線(36) 原生花園 2023(R5).7.10 濤沸湖の向こうに斜里岳が見えます。オホーツク海と濤沸湖に挟まれた約8キロの細長い砂丘に小清水原生花園があります。 遊歩道が整備され、その最寄駅は観光客で賑わっていました。 しかし、昼間は列車がほとんど通らず、ここを訪ねる人は自動車か観光バスです(国道が並行していて、大きな駐車場があります)。 私も網走からタクシーで訪ねました。 |
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釧網線(37) 北浜 2023(R5).7.10 オホーツク海に一番近い駅と宣伝されている北浜駅の駅舎です。 木造のこぢんまりした好ましい駅舎で、無人駅ですが駅舎内に喫茶店「停車場」が営業しています。 駅舎の横(写真左)に、オホーツク海と線路を見下ろす展望台があります。 |
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釧網線(38) 北浜 2023(R5).7.10 北浜駅舎横の展望台から到着する列車を見ました。 網走から知床斜里まで、オホーツク海に沿って走りますが、この付近が一番海に近い場所です。 北浜16:35の釧路行きキハ54形です。 |
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釧網線(39) 北浜 2023(R5).7.10 上の写真(38)の続きです。 北浜を出発するキハ54形の後ろ姿です。 |
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釧網線(40) 藻琴 2023(R5).7.10 素晴らしい雰囲気のある藻琴駅舎です。 映画のロケにもよく使われたということです。 |
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釧網線(41) 網走 2023(R5).7.11 釧網線と石北線が接続する網走駅です。 左の3番線のキハ40形は、石北線から7:53に到着した列車です。 右の1番線に停車中の列車は、8:05発の旭川行き特急「大雪2号」です。 |
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根室線(釧路~根室:通称-花咲線)へ | 2023(R5).12.14up |
参考図書:国鉄監修 時刻表1970(昭和45)年8月号 日本交通公社発行
「鉄道ファン No.117」 1971(昭和46)年1月臨時増刊 交友社