津島軽便堂写真館

この地図は国土地理院発行20万分の1
 「釧路」昭和41.4.30発行(左半分) 「根室」昭和39.10.30発行(右半分)
1972(S47)
3月に運行していたと思われる路線を赤く塗りました。
駅の大体の位置を赤丸(主要駅)・青丸、駅名を青文字で記入しましたが、推測で記入しています。間違いがあればご指摘ください。
東円朱別の先、日向前・上風蓮まで一時線路が延長されていますが、位置不明のため記入してありません。

浜中町営軌道   日本に最後まで残った簡易軌道(軌間762mm) 1972(昭和47)年5月廃止

浜中町営軌道の地図
ナローゲージの世界では、軽便鉄道・森林鉄道・鉱山鉄道と同等に、簡易軌道が登場しなければなりませんが、残念ながら私は行きそびれてしまいました。友人のNさんが1972S47)330日に訪問していますので、その写真と記録をご覧ください。(文章もNさんにお願いし、一部加筆しました)

北海道開拓のために、国鉄の駅から内陸部に向け、大正末期から昭和初期にかけ、数多くの殖民軌道が建設されました。
泥炭地で泥濘(ぬかるみ)がひどく、交通困難な道北・道東地方に多く建設された幅の狭い(762mm)貧弱な線路でした。
運行は、開拓民が各自の馬で台車を牽く馬車軌道で、主な荷物は出荷する生乳と開拓民用の雑貨だったようです。
1942
(昭和17)年に殖民軌道簡易軌道と改称され、輸送量の多いところは機関車や自走客車(気動車)を導入しました。しかし、道路の整備が進んだことと、国からの補助金が1970S45)年に打ち切られたため、1972S47)年に全ての簡易軌道が廃止となりました。
詳細はインターネットで「殖民軌道」を検索し、Wikipedia等をご覧ください。

浜中町営軌道は、簡易軌道の中では最後まで残った路線です(左の地図の赤い線)。
記録を読みますと1972S47)331日限りで運行を終了し、5月に廃線式が行われたそうです。

浜中町営軌道の自走客車


浜中町営軌道−@

茶内付近 1972(昭和47)330日 Nさん撮影

国鉄茶内駅を降りたのは7:34で、8:20発の上茶内行きに乗車していますので、その間、茶内付近で撮りました。
左の@は、茶内へ到着する自走客車(簡易軌道で気動車のことをこう呼ぶ)です。

たぶん、東円朱別から来た列車だと思われます。

 
 ↓浜中町営軌道−A 茶内付近 1972(S47).3.30 Nさん撮影
   下の写真Bの列車が通り過ぎたところです。
   茶内の町並みに向かっています
 


浜中町営軌道−B Nさん撮影

茶内付近 1972(S47).3.30

上の写真@の列車の次に、この列車がやってきました。

たぶん、西円朱別から来た列車だと思われます。

浜中町営軌道−C Nさん撮影

茶内付近 1972(S47).3.30

上の写真の@Bの列車が到着した後、機関車に引っ張られてミルクタンク車(空車)の貨物列車が茶内を出発して行きました。

後方に国鉄根室本線と防雪林が見えます。
 

浜中町営軌道−D Nさん撮影

茶内駅 1972(S47).3.30

茶内駅全景です。
手前側が浜中町営軌道の本線です。
左奥の方が国鉄の茶内駅で、貨車が留置してあります。
浜中町営軌道の乗降場は、一番右の線路の右側で、ちょうど人が立っている場所の近くにある踏み台のようなものがホームです。
中央に停まっているオレンジ色の車両が上茶内行きで、8:20発の予定でしたが、30分遅れて8:50に出発しました。この列車に乗って上茶内へ行きました。

  浜中町営軌道−E Nさん撮影

上茶内 1972(S47).3.30

記録によりますと、この上茶内到着は9:18です。茶内から28分間乗車したことになります。
地図では、ここから先、若松まで線路は延びています。資料によりますと、そこから更に別寒辺牛まで昭和39年に延伸されたとあります。しかし、このときは、ここ上茶内が終点でした。
終点で5分停車しただけで、9:23に上茶内を折り返し出発しました。
生乳満杯の牛乳缶を積み込んだ貨車を茶内へ運ぶ混合列車です。
滞在時間わずか5分でした。この列車に乗って秩父内へ戻りました。
 

浜中町営軌道−F Nさん撮影

秩父内 1972(S47).3.30

東円朱別線の分岐点、秩父内です。

上茶内から上のEの列車に乗って、秩父内で9:50に下車しました。
30
分ほど待つとDL牽引の貨物列車がやってきました。
貨車には牛乳缶がたくさん積み込まれています。

手前に写っている線路が、東円朱別線と思われますので、この貨物列車は西円朱別から来た列車と思われます。

浜中町営軌道−G Nさん撮影

秩父内 1972(S47).3.30

貨物列車は秩父内で停車し、ホームの牛乳缶を運転士と荷主で積み込んでいます。
所々にこのようなホームがあり、その都度運転士と荷主で積み込んでいました。

この貨物列車に便乗させて貰い、茶内へ一旦戻りました。

秩父内10:20→茶内10:35
  浜中町営軌道−H Nさん撮影

茶内 1972(S47).3.30

茶内には雪印の工場がありました。
茶内へ到着した貨物列車は、スイッチバックするような形で、牛乳缶を載せた貨車を工場の中へ押し込みました。
  浜中町営軌道−I Nさん撮影

茶内 1972(S47).3.30

茶内に停車中の自走客車3両です。
右の方の2両にはお客さんが乗っています。
続行運転で出発しそうなように見えます。
記録によりますと、緑色の車両に乗って茶内12:12発で東円朱別へ行きましたので、この写真は12時頃の風景と思われます。  
 

浜中町営軌道−J Nさん撮影

茶内 1972(S47).3.30

オレンジ色のツートンの車両が茶内を出発していきました。後ろ姿です。
西円朱別行きと思われます。

車両のすぐ向こう側のポイントを左方向へ行くと秩父内・西円朱別方面です。
(まっすぐ行くと雪印の工場へ入っていってしまいます。)

 
K 東円朱別へ向かう車内 1972(S47).3.30 Nさん撮影
 上のJの列車を撮ったあと、緑色ツートンの車両に乗り込んで東円朱別へ向かいました。  茶内(12:12)→東円朱別(12:47) 

L 東円朱別 1972(S47).3.30 Nさん撮影
 資料によりますと、ここから更に上風蓮まで昭和40年に延伸されたとありますが、この当時はここ東円朱別が終点でした。
12:47
に到着し、3分停車で12:50に折り返し出発しました。

  浜中町営軌道−M Nさん撮影

東円朱別線 1972(S47).3.30

東円朱別から茶内へ戻る車内で、「名古屋から写真を撮りに来ました。走行写真を撮りたいから、ちょっとだけ、降りて撮りたいです」と申告したところ、「いいよ」ということで、走行シーンを撮らせていただきました。

浜中町営軌道−N Nさん撮影

東円朱別線 1972(S47).3.30

もう一度お願いして、下車して撮りました。
根釧原野の中を走るという感じが良く出ています。


いろんな資料を調べますと、この浜中町営軌道は、この翌日331日に定期運行を終了し、5月にお別れ式を行ったという記録もあります。
このときは、そのような気配をあまり感じませんでした。本当に331日で運行を終了したかどうか不明です。 

 
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