上田交通別所線 丸窓電車がいた頃 1 上田交通2へ 上田交通3へ
1960年代、信州上田の周辺には上田丸子電鉄の路線網がありました。 1972(昭和47)年以降は、左図赤線の別所線・上田~別所温泉11.6kmのみが残りました。青線の各路線は既に廃止となっており、残念ながら訪ねることは出来ませんでした。 廃止となった時期は以下の通りです ・西丸子線 下之郷~西丸子8.6km 1961(S36).6.29 豪雨により運休 1963(S38).11.1 廃止 ・丸子線 丸子町~上田東11.9km 1969(S44).4.20 廃止 丸子線廃止後、「上田交通」と社名変更 (1969/S44.5.31) ・真田傍陽線 真田線 電鉄上田~真田12.8km 傍陽線 本原~傍陽3.1km 1972(S47).2.20 廃止 私がローカル私鉄ファンになったのは、昭和40年代に廣田尚敬さんが鉄道雑誌に発表された上田丸子電鉄真田傍陽線の混合列車の写真を見てからです。その写真に感動し、混合列車ファンになりました。あこがれの真田傍陽線を訪問しようと、1972(昭和47)年の春休み、東北私鉄めぐり旅行の帰りに上田駅で途中下車しました。ところが、上田交通真田傍陽線はその1ヶ月くらい前に廃止されていました・・・。当時は情報が少なく、廃止になったことを全く知りませんでした。これにはがっくり意気消沈しました。当日は上田の駅前旅館も高校のスポーツ大会があり、どこも満室で断られたため、別所線を暗くなってから乗りつぶしだけして、長野から夜行列車で名古屋へ帰りました。そんな苦い想い出のある上田交通です。 -------------- 上田交通① Nさん撮影 上田 1974(S49).10.18 上田8:07発の別所温泉行きです。 丸窓電車の後ろに連結したサハ62に、小学校の遠足の団体が乗っていました。 1974(昭和49)年10月に、Nさんと一緒に木曽森林鉄道を訪問したついでに上田まで足を伸ばしました。 上田駅前の旅館で泊まった翌日、この電車に乗り出発しました。 |
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上田交通② サハ62車内 1974(S49).10.18 上田から別所温泉に向かう電車の中です。 遠足の小学生が乗り込んだサハ62に私たちも乗りました。朝は少し冷え込んだようで、窓ガラスが曇っています。そこに指先で落書きをするのは昔懐かしい想い出です。 このとき、私は2度目の上田交通訪問でした。 と言っても、最初の訪問は暗くなってから乗っただけで、明るい時間に乗るのは初めてで、写真も初めて撮りました。 |
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上田交通③ Nさん撮影 別所温泉 1974(S49).10.18 8:38に別所温泉へ到着した電車は、早速入換を始めました。 丸窓電車モハ5250形(5253)は2両連結で到着しましたが、連結していたサハ60形(62)には運転台がなく、上田へ折り返すためには、モハを上田方に付け替える必要がありました。 機回し線のない別所温泉駅での入換の模様を写真③~⑧でご紹介します。 まず、到着したホームから推進でサハを側線へ押し込みます。 |
上田交通④ 別所温泉 1974(S49).10.18 サハを側線に押し込んだあと切り放し、モハは本線上に一旦逃げました。サハを留置した側線は若干勾配があり、向こうが少し高くなっています。 |
上田交通⑤ 別所温泉 1974(S49).10.18 留置されていたサハが手ブレーキを緩め、勾配を利用して無動力で手前へ近づいてきました。 |
上田交通⑥ 別所温泉 1974(S49).10.18 モハとサハの位置が入れ替わった状態で連結します。これで上田方へ出発できる体制は整いました。右の写真に続きます。 |
上田交通⑦ 別所温泉 1974(S49).10.18 朝ラッシュ輸送が終わり、この列車をしばらく留置するため、連結した状態で入換を行い、ホームの向こう側の側線へ入りました。 |
上田交通⑧ 別所温泉 1974(S49).10.18 入換が終了したようで、運転士が降りてきました。線路を横断して駅舎に向かいます。 |
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上田交通⑨ 別所温泉 1974(S49).10.18 丸窓電車モハ5250形5253号をアップで撮りました。 1928(昭和3)年に上田交通の前々々身の上田温泉電軌が新造した電車です。 1984(昭和59)年に友の会からエバーグリーン賞を受賞しました。この写真の10年後です。 詳細は→Wikipediaデナ200形参照 5250形は、1986(昭和61)年の上田交通1500V昇圧により引退しましたが、この5253号は丸子町の長野計器丸窓電車資料館で保存されています。 詳細は→丸窓ミュージアム参照 |
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上田交通⑩ Nさん撮影 八木沢~別所温泉 1974(S49).10.18 別所温泉に到着し、上の③~⑧の入換を見たあと、八木沢に向けて歩き、次の電車を待ちました。 稲刈りが済んで、稲木干し・稲架掛け(地域によって呼び名が違うようです)の田圃の中を2両編成の電車が来ました。 別所温泉に向かう列車です。 |
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上田交通⑪ 八木沢~別所温泉 1974(S49).10.18 上の写真⑩と同じ列車です。 モハ4257号+サハ41の編成です。 パンタの大きな電車(モハ4257)は、元富士山麓電気鉄道(現・富士急行)開業時のモ1形1号の車体に国鉄台車を組み合わせて誕生し、廃車後は富士急に里帰りし保存されました。 詳細は→Wikipediaモハ4250形参照 後ろのサハは→Wikipediaサハ40形 |
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上田交通⑫ Nさん撮影 八木沢~別所温泉 1974(S49).10.18 モハ4257号が別所温泉で折り返してきました。 上の写真⑩⑪の少し後の写真です。 連結していたサハ41号を別所温泉駅に置き去りにしてきたようです。 |
上田交通⑬⑭ 八木沢~別所温泉 1974(S49).10.18 上の写真⑫と同じ列車です。 逆光で稲木干し・稲架(はさ)掛けを入れて撮りました。 最近は稲刈り後の天日干しを見かけなくなりました。 |
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上田交通⑮ 八木沢 1974(S49).10.18 八木沢駅に到着する別所温泉行きの丸窓5250形です。 なかなか雰囲気のある駅で、何回か訪問しました。 |
上田交通⑯ 八木沢 1974(S49).10.18 Nさん撮影 5250形の単行ですが、車掌も乗っていました。 |
上田交通⑰ 八木沢 1974(S49).10.18 Nさん撮影 丸窓電車が八木沢を出発しました。次が終点の別所温泉です。 |
上田交通⑱ 上田原 1974(S49).10.18 車庫のあった上田原に到着した丸窓電車です。 小荷物も運んでいました。 別所温泉~八木沢間を歩いて撮影したあと、Nさんの記録によれば八木沢9:54→上田原10:13の丸窓電車で上田原へ移動しました。上田原で途中下車して撮ったのがこの写真です。 次の上田行き(10:49発)まで約30分間車庫で撮影しました。 その写真は次ページです。 |
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2015(H27).6.2up | |
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参考図書:RM LIBRARY 73・74 「上田丸子電鉄(上・下)」宮田道一・諸河 久著 ネコ・パブリッシング 2005.9・10.1発行
「新・消えた轍5 上信越-ローカル私鉄廃線跡探訪-」寺田裕一著 ネコ・パブリッシング2011.2.28発行